第176話『亀裂』

 



 先程まで会話をした人がたった今、死んだ。

 抵抗という欠片すらできずに、惨殺された。

 人間を小さな虫か何かだと勘違いしているのではないか。



 ライラはそのまま突き刺した剣を縦に捻る。首の骨が折れて死体の頭部が歪に動く。

 更に串刺しにされていた頭部が瞬時に凍り付き、光の消えた眼球に霜が降りて無造作に固まる。


 それはもう、ただの肉の塊。にもかかわらず、今まで使うまでもなかった魔術具の能力を、今ここでわざわざ行使して見せつけていた。

 その理由はゼントにもなんとなくだが伝わってくる。戦地ゆえの狂気とでも例えればいいのか。


 しかしゼントにとってその残虐は許せるはずもなく、膝をつきながらも拳を微かに握りしめる。

 午後の陽気な気温のはずなのに、思わず歯を食いしばるほどこの場だけは不穏。

 冷えた空気は魔術具の力のせいだけではないだろう。



 我慢などできるわけもなくゼントは額に皺を寄せ、口を大きく開きかけた。

 しかし彼の動作を遮るように、先にライラが心配の声を上げる。



「――ごめんなさいゼントっ、気づくのが遅れた、怪我はしてない? やっぱり二手に分かれるのは危険だからこれからはやめよう?」


「あ、ああ……俺は何とも……」


 怒りに身を任せて声を荒げようとしたが、いきなり心配そうな顔して謝罪してくるので出端を挫かれる。

 放心していたということもあるが、それ程ライラの不安の表情があまりにも新鮮だった。


 しかしすぐに自我を取り戻し、感情を表に滲み出す。

 協力し合う仲間とは言え、がなり立てずにはいられない。



「そうじゃなくてライラッ……!!なんで殺したんだ……盗賊だからってここまでしなくても……!」


 さりげなく名前を使ってしまった。どうやら感情が高ぶると忘れてしまうようだ。

 途端にライラに目の色が変わる。珍しく名前を呼ばれたからではない。ゼントが理不尽に感情を露にするから。

 訳が分からず、しかしまだ冷静に抗弁する。



「盗賊だからやったんじゃない。別にこいつが何をしようとどうでもいい。でもゼントを傷つけるなら私はどんな非道なことでもするよ」


「あいつは!! 俺を傷つけようとしたんじゃない、ただ話を……していただけだ……」


 彼女は勘違いをしている。そう考えてゼントも負けじと弁明した。

 こっそり逃がそうとしていたと声を大にしては言えるわけもなく、途中から言葉を選びながら最後は口を噤む。



「隠さなくても何を話していたかは知ってる。そして私はゼントの不利益になるようなことはしない」


 どうやったのかライラには会話が全て筒抜けだったらしい。

 しかし行動にも質問にも関心がない様子で、意識を変えるためにすぐに話題を切り替える。



「――でもそれは置いてさ。ゼント、これを見てもまだ同じことが言える?」


「そ、それは……っっ?!」


 ライラは何を思ったのか、先程までは生きていた女に近づく。続いて死体を尊厳もなく蹴ってひっくり返した。

 肉の塊は岩でできた床の上に無造作に倒れこみ。対してゼントの表情は自然と険しくなる。


 だが彼女は気にも留めず、縛られた腕に手を伸ばし、手の中から徐に“何か”を拾い上げた。

 更に拾い上げた“何か”をぶら下げて、得意げな顔で見せびらかしてくる。

 ゼントは初め憤りを覚えながら見ていたが、やがてライラが拾い上げたものを直視しては青ざめた。



 その何かとは――人間の手の大きさほどの刃物。手の中の死角に隠し持っていたらしい。

 例え小さくとも人間相手なら、首元を掻き切れるだけで致命傷を与えられるほどの。

 ライラは更に言葉を尽くして、善良で愚鈍な心を屠っていく。



「――交渉しようとしている人間が武器を隠し持つと思う?」


「いやでも…………最低限の護身用として持っていたのかもしれないだろ」



「ゼントはまだこいつを信用するの?襲われて死んでいたのかもしれないんだよ?」


「それはだな……その……」


 ゼントの勢いは途端に削がれていく。声はもう死に絶える虫のように震えていた。

 相手は喜んでいたが、優しさに付け込んで利用していたとも言える。

 もしかしたら裏切られたのかもしれない。そんな感情が胸の内を逆撫でして毛羽立たせた。


 加えて告げるのなら死んだ女の縄は既に解けていた。刃物を持てていたのだから当然か。

 そのままこっそり逃げるよりも、見つかった上で安全に逃走するため、油断させて接触してきたのだろう。


 頷いたからまだ良かったものの、もし断っていたらすぐにでも襲い掛かってきたかもしれない。

 そうなればゼントの命はかなり危うかった。殺さないまでも、さっさと気絶させるべきだと誰もが思っただろう。


 完全に己の落ち度。悪党に情けを掛けた結果がこれだ。

 今も尚、あの女のことを信じたい気持ちもある自身が余計に空しくも感じる。




「私はゼントを絶対護るって言った。なのに、その約束を守らせてはくれないの?」


 ライラは悲しげに言葉を綴る。近寄っては駄目押しとばかりに優しく手を差し伸べた。

 それを見たゼントは思うところがあり、顔を顰めながらも手を掴み返す。



「――世界ってのは、なんでこんなにもやりきれないんだ……」


 そして戯言の如く世の不満を吐き捨てた。

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