第175話『信条』

 



「――なあ、このままだと私は奴隷になるんだろ? そんなの絶対に嫌だ、お願いだから見逃してくれ!」



 洞窟での一幕、ゼントは地面に背を向け、名も知らぬ女と視線を交錯させる。

 賢い奴だ。何が起こったのかも分かっていないのに、的確に今置かれている状況を理解して行動に移した。

 しかしゼントにとって今日は運が付いていないのか、ある意味最も恐れていた事態。


 女盗賊は突然飛び掛かってきて、至近距離で不意打ちをするのではなく、最後は小者らしく命を懇ろに願った。

 つまるところ、このまま目を伏せていてほしいということ。ただ何もせずにいてほしいと。



「お前は人殺しの集団に居た。善良な人間の未来を奪っておいて、自分だけ助かろうなんて虫がいいにも程度があるだろう」


 だがゼントは冷たくあしらった。構図は追いつめられている側にも関わらず臆することはない。

 なぜなら武器は取り上げてある。手足も拘束済み、無防備であって攻撃されることはまずない。


 だがそれはこちらも同じ。寝そべっていて腰に掛けた剣は引き抜けず、代わりの武器も持っていない。

 これからは懐に小刀でも持っておこうと決意する。後悔は先に立たないけれども。



 意を決し、心を鬼にして接した。でないと殺された人が報われないから。

 しっかり罪を悔い改め、更生して今度は真っ当な人生を送ってほしいと願う。

 だが次に女盗賊の口から出る言葉に、彼は動揺を隠せない。



「好きでここに入ったわけじゃない! 他の奴らは金目当てだろうけど……食うものに困っていて、それで……とにかく私には居場所がここしかなかったんだ! 人を殺したのだって、向こうが抵抗して仲間が危険だったから仕方なく。ほ、ほら、助けてくれるなら何でもする。なんなら私の体を好きにしてもいいから……」


 毅然と振舞うゼントだったが、その言葉を聞いて思わず同情の念を抱かずにはいられなかった。

 まだ齢は幼く、今のライラと同じくらいだろうか。必死で捲し立てるように抗弁させてしまうなんて。


 罪を憎んで人を憎まず。 犯罪者を憎むのではなく、犯罪者を生み出してしまった社会環境を憎めという言葉もある。


 飢饉など特段珍しい出来事でもない。ならば事情を汲んで恩赦を与えてもいいのではないか。

 もし生まれが違えばこの女と立場が逆になることもありえた。何かの偶然があれば、捕まって奴隷になるのは自分かもしれなかったから。


 加えて助かるために易々と春を売ろうとする姿を見てやりきれなくなる。もしかしたら今までにも生き残るためにしてきたのかもしれない。

 今は状況が変わっている。もし二度と罪を犯さないと約束してくれさえすれば、手を貸すのもやぶさかではなかった。



「ならば今この場で誓えッ、二度と悪事を働かず善良に生きると、それが見逃す対価だ!!」


「あ、ああ、誓うとも!!絶対守るから」



「冒険者にでもなればある程度は安定した収入も得られる。危険もあるが盗賊稼業よりはましだろう」


「ありがとう!本当にありがとう!!」


 語気を強めて威圧する。これで懲りてくれればいいのだが、正直思えば約束が確実に守られるとは言い切れないし確認のしようがない。

 もしここで見逃したことで新たな被害が出たら目も当てられない。でもその態度を見て信じてみることにした。

 今日初めて出会ったばかりなのに……愚かにもゼントは自分の気持ちに正直すぎた。



「礼はいいからさっさと行け、あいつに見つかる前に……」


 少なくともライラが見逃す光景を見たら快くは思わないだろう。ああみえて彼女は職務には忠実だ。

 協会に見つかっても大目玉を食らうが、もう何度も危ない橋を渡っていれば自然と疎かになってしまっている。


 もしこれで襲ってくるようなら今度は容赦しない。

 ゼントは呼吸を整えて手足の拘束を解いてやろうと思った。



 だが――今日はとことん運に見放されていたようだ。




 女が立ち上がろうとしたその時――不自然な空気の動きを感じ取る。



 例えるならば突拍子もなく吹く一陣の風。

 ゼントはこの異様な風圧とも呼べる現象を知っていた。

 まさしくそれはライラが敵を倒すときに必ず起こるから。



 咄嗟にゼントは女の身に着ける衣服を掴んで引き寄せようとする。

 だが彼女の速度に人の身で間に合うはずがない。


 気が付いた時には正面に居たはずの女が視界から消えていた……



 頭が恐怖に染まり慌てて左右を見渡す。そして不意に隣にあった壁に視線を遣ると……居た。

 わき腹を抱え、必死に痛みに悶える先ほどの女の姿が……そして彼女のすぐ横には軽蔑の瞳を携えたライラがいつの間にか現れていた。


 何が起こったのかは目に見えなくても予想はできる。おそらくライラが横から蹴りを入れたのだ。

 加えて、今まさに魔術具を逆手に持ち、女の頭に突き立てようとしている。


 普通なら即死してもおかしくないというのに女は意識を保っていた。それが生前最大の悪夢になるとも知らず。

 ゼントはすぐに体を起こし助けに入ろうとした。しかしどうやっても間に合わないと考え、大声で牽制しようとする。


 しかし、何もかもが遅かった。音速を以てしても命が繋がらない。

 長い黒髪が視界の隅で不気味に揺れる。この世の終焉を捉えた気がした。




「ライラッ、早まるなっ!!」

「ッひ?! や、やめ――!!」


 ほぼ同時に狭い洞窟内で二種類の大声が惨めに響き渡る。

 片や懇願の想い、片や断末魔に近い叫び声。

 どちらも同じ願いを口にしていた。


 それなのに……二人の願いは非道にも踏みにじられる。たった一人の強者によって……



 女の悲鳴は後には続かない。なぜなら、もうそこに魂は留まってないのだから。

 石を割ったような音が今でも耳に張り付いている。ライラが殺したのだ。しかも、恋人の形見を使って。

 女は顔面から剣を貫かれて絶命していた。鼻の真ん中と目から血が溢れ出している。

 表情は恐怖に染まり壮絶な最後を思わせる。安らかな死とは程遠い。



 ゼントは立ち上がった直後に膝から崩れ落ちる。救えた人間だったのに、自分の正義を信じた結果の惨状が受け入れられなくて。

 同時に怨念を籠めて睨み付ける。その相手はもちろん人殺しをした人間だ。

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