第173話『気懸』
――ゼントは段階を得ながら心の整理をつける。
まだ呼吸が震えているが、思考は凪のようにひどく落ち着いていた。
正直言えば人を殺めた事に対し、驚くほど質素な自身に嫌気がさしている。
心の防御のため、もう少し狼狽えたり罪悪感を持ったりすることを危惧していたのだが。
良くも悪くも、ライラが驚くほど淡々とやってしまったので深く考えずに済んだのかもしれない。
いや、見方によっては彼女が正しいのだ。命の値なんて時代や場所によって目まぐるしく変化する。
ライラが今まで生きていたという外の世界では、人の存在なぞ紙切れに等しいのだろう。
ただ自分が平和でのうのうと生きられているだけ。豊かで恵まれていたことに気づかなかっただけ。
生き方が違ったのだから、考え方が同じであるはずがない。
だから自分の価値観を押し付けることだけは避けた。
それは相手の過去を否定してしまう、さもしい行為。
そうだ、やらなかったらこちらがやられていた。彼女の行動は間違ってなどいない。
当たり前の道理すら分かってないのでは、責める資格は自分にないのだと言い聞かせた。
そして同時に感じたこと。それはあとでない恐怖。
ライラの絶大な力に、どう感想を持てばいいのか分からない。
まだ魔術具の力すら使っていないというのに。
彼女が今見せたのは霹靂のように素早い攻撃。淡白だがこれ以外に言い表しようがない。
だが強さの源がそれだけだと思うか? 間違いなく他にもあるはず。詮索などするまでもなく。
大洞窟にて竜がどのように倒されていたのかをゼントは知っていた。
穿たれた胴体、そして体表を覆う鱗を貫通させていたとカイロスから聞いているのだ。
だから素早さ以外の何かがあるはずなのだ。そもそもあの大剣を扱えている時点で目を見張るものがあるがそれ以外にも……
初めは魔術具を隠して持っているのではないかと思ったがどうやら違う。
素の状態で既に彼女は強かった。亜人であったとしても証明できないほどに。
大剣を渡したのは失敗だったかもしれない。
普通なら仲間が強いのは良いことだ。頼れる存在に肩の力を抜いて冒険ができる。
あるいは才能に嫉妬するくらいが正常だろう。少なくとも恐怖などという感情は覚えない。
しかしあまりに強大すぎる存在を前にして、その力がいつ自分に向くかという脅威を感じてしまった。
落ち着いているように見えるライラでも言動は尋常とは言い難い。
どのような目的の為に自分の傍に居るのか、言ってしまえば得体が知れない人間だ。
寄ってくるには身に余る力。彼女にはもっと相応しい居場所があるのではないかと思った。
もっと実力を揮えるところがあるはずだ。なのに何故こんな辺鄙な町に居るのだろうか。
「――ゼント、早くこの中へ入って残りを片付けよう」
ライラからの呼び掛けがゼントを現実に引き戻す。見ると真面目な表情が読み取れる。
そうだった。今はこんなことを考えている暇はない。早く盗賊共を無力化しなければ。
「あ、ああ……」
力なく返答するのが精いっぱい。今日というよりも今後の不安が溢れすぎた。
流石に考えすぎだろうか? サラと会わせると言ってくれたり、怪我をした時も助けてくれたり。
これほど善くしてくれる人が突然牙向くことなど想像できない。
でも万が一彼女が暴走でもしたら止まらなくなる、誰も彼女を力で止められない。
だから何でもいいから抑止力が欲しかった。いざという時の不安を取り除ける何かを。
自分には何もない。強力な武器も、特技も皆無とくれば、解決方法は頭で考えるしかなかった。
思考に塗れながらゼントは手を引かれ問答無用でライラに連れていかれる。
いつから、そしてなぜ手を繋いでいるのか意識を向ける余裕もなく、体はされるがまま。
今は依頼に集中しようと思った。この調子では容易く拠点を制圧できるだろう。
落ち着いた帰り道にでもゆっくり考えようとした。
二人は岩山内部に侵入する。中は見立て通り、蟻の巣と言って差し支えないほど入り組んでいた。
床も壁も灰色の礫岩、洞窟は地下までにも続いている。形状や不自然に掘られた痕から、おそらく廃棄された魔獣の巣だと思われた。
大部分の空洞は外からの日光や松明で採光されており、奥の突き当りまで見渡せる。
途中、いくつか侵入を阻む障害物が組まれていたが罠などは一切なく、要塞というには稚拙な拠点だ。
道なりに進めば奥まったところの部屋の一つ一つが食料備蓄庫、寝室のように用途で別けられているようだった。
そして、武器から料理鍋までといった日々の生活に必要な様々なものが床に散乱している。
入り口の敵は声を上げる前に瞬殺したのでまだ侵入は発覚していない。
普通なら剣戟の音で騒ぎに気付くのだが今回はそれすらもなかった。
ライラは複雑な洞窟内を縦横無尽に駆け回り、ゼントも振り回され息を切らしながらもついていく。
初めてくる場所のはずなのに、彼女はどういうわけか迷いなく進んで各個の敵を見つけ出す。
敵の姿が見えたと思った瞬間、直後には誰しもが例外なく即座に地に伏せている。
悲鳴など上げる間もなく。顔を認識される前に倒すので覆面すら不必要だったと言えよう。
また、後ろで見ているだけのゼントでも、快哉を覚えてしまうほどの調子付きだった。
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