第171話『敷衍』

 



 緑が蔓延る広大な森、そこに不自然に開いた空き地、そして中心には至る所に穴が開いた岩山。

 概算で標高は百二十、外周は六百メートル程か。地上からは当然、頂上付近にも穴が開いている。

 そしてその全てが内部で繋がっている。拠点にするにはもってこいの場所だ。


 近づくだけで岩山に住まう盗賊共の笑い声が聞こえてくる。盗品の酒でも呑んで酩酊しているのか。

 これからの自らの運命も知らずになんと滑稽な。あまりに彼らを過大評価しすぎていたのか。

 おまけに周囲に見張りも配置しておらず、お粗末としか言いようがない警戒だった。



 その傍らの茂みの中に覆面黒ずくめの二人組が居る。

 背を低め、見つからないよう息を殺し耳元で作戦を囁き合う。



「――で、俺は後ろからついていくだけなんだが、これからどう動く?一周したが地上からの入り口は一つだけみたいだな」


「じゃあ多分、正面から突っ込めばいいんでしょ?」


 入り口は一つでも唯一の出入り口というわけでもない。頂上付近からの穴から外に出て地上まで下山するなんて逃げ道もある。

 ライラは間違ってもないのだろうが回答としては不十分。ゼントが知りたいのは更にその先だ。



「それから? 俺たちが拠点に攻め込んでいる間、仮に裏から逃げられたりしたらどうする」


「だから逃げられる前に素早く片付ける。それでも逃げられた場合は……」



「逃げられた場合は?」


「……ちょっと待ってて、ここら辺の地面がどうにも固くて」


 ゼントは茂みの中、質問しながらから拠点を遠目で観察し、どうにかして内部の構造を図れないか試みていた。

 しかし折角の問答の最中、脇から意味不明な言葉の羅列が聞こえてきたら作業を中断して振り向くしかない。

 だが目線をやるとライラは特に何かをしている様子はなく、精々ただ屈んでいるだけにしか見えなかった。



「地面が固い? 一体何を……」


「――はいっ、これで終わり」



「……何をしたんだ?」


「それは、万が一私が失敗した時のお楽しみ……多分大丈夫だろうけど、ゼントがあまりに心配性だから」


 ライラが一息ついてゆっくりその場から移動するも、地面に跡は何も痕跡が残っていない。

 ゼントは気になって聞いてみるも返ってくるのは曖昧、いやはぐらかされたというべきか。


 彼女の声にはいつも通りの落ち着きもあるが、それ以外の明るい要素が感じられた。

 ライラの瞳は仕事をやり切ったかのように光が満ち溢れ、盗賊の拠点を遠くに見据える。

 その態度からは通常、無口で大人しい性格は読み取れなかった。


 おかしい、少なくとも彼女のこのような性格を今まで見たことがない。

 似ても似つかない風貌、しかし雰囲気はまるで恋人そのものだった。

 見る目が変化したのか、あるいは彼女自身に余程嬉しい出来事でもあったか。



 大気の流れが一瞬止まる。まるで辺りが凍り付いてしまったかのように。

 ライラが瞼を閉じ体の動きを完全に止めた。おそらく精神統一というやつだろう。

 やはり流石の彼女でも緊張というものはあるのか。傍で眺めていたゼントは興味深く静観していた。


 そして次に赤い瞳を見せつけた時、彼女は言い放つ――




「――じゃあ行くよ。ゼント、全力で走って!!」


「えっ?もっと心の準備とかは……!!」


 一旦呼吸を整えたかと思っていたら、息つく暇もなく手を引かれ茂みから飛び出す。

 急に明るい場所に出て目が眩むのも束の間、二人は開けた大地を、手を繋いだまま走っていた。

 正確にはゼントが引っ張られていたというべきか。ライラが速すぎて足が縺れそうになっている。


 ゼントは今まで今まで感じたことのない風圧を全身に浴びた。

 正しくこれから殺し合いが始まろうとしているのだ。もう後戻りはできないし、するつもりもないが。


 しかしそれはおおよそ戦地に赴くような、肌をひりつかせる緊張した空気ではなかった。

 強いて表すなら、恋人同士がからかい合いながら光の世界へ飛び込むような、そんな感じ。


 風が表し方を忘れてしまったのか。ここに居たいと思えてしまうほどの心地よさ。

 掴まれた手には、絶対に放さないという力強さと同時に、壊れやすい物を触るような優しさが伝わってきた。



 とにかくこのまま勢いに乗じ、近づいて不意を衝ければ良かったものを。

 だが茂みから目標の岩山までは森が開けていて、どんなに急いでも数秒はかかった。

 入り口付近でたむろしていた三々五々の集団、やはりこちらに気が付くか。


 だがさもしき哉。奴らはこちらを見るや否や全員が汚らわしい笑みを見せつける。

 口元は歪に歪み、まるで次の獲物がやって来たと言わんばかり。どうしてそんな浅はかな思考に至るのか理解できない。

 きっと彼らは井の中の蛙、世界を知らずに育ってきたのだろう。自身で認知できるものでもないが。



「ライラ、殺しは本当に最低限だからな!!」


「うん、分かってる……」


 しかしゼントはそんなやつらに対しても臆病だった。

 最後の念押しとばかりにライラへ忠告する。

 返ってくる返事は……やはり少し不満げだった。




 そして――瞬きする間もなくその瞬間は訪れる。



 襲撃者に対し武器を持って応戦しようとする盗賊一味。

 始めに鮮血を噴き出したのはどちらだったか、それは言うまでもない。


 空気中に影すら落とさない、疾すぎる斬撃。

 己が何処に居たのかを彼は思い出さざるを得ない。

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