第165話『怯臆』
ジュリには昨夜の説得が功を奏して何とか家に留まってもらえた。
これならもし赤い悪魔が家に現れても彼女も居てくれてかなり安心できる。
無論町の人間に見つかればただ事では済まない。しかしこれは持ちつ持たれつ。
それに前回はたまたま見つかっただけ。要素は取り除いたし、感覚が鋭いジュリなら二度も見つかるとは到底思えない。
それ以外にもまだまだ課題は残されているけれど、今までも何とかやってこられた。
だからこれから困難があってもやっていけるはず。僅かでもそう自信を持って言える。
少なくとも同じ轍は踏まない。人間には学習する知恵があるのだから。
――翌早朝、ゼントは協会前へ向かった。ライラと共に依頼を遂行する為だ。
最近は雨が多かったが本日の天候は曇り、しかし地面は所々ぬかるんでいた。
まだ冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、慣らすために感覚を溶け込ませる。
ゼントはこの時間が好きだった。初心を忘れず童心に還って、これから始まる小さな冒険を雰囲気で楽しめるから。
必ずしも依頼が安全なものとは限らない。しかし力み過ぎず、程よい緊張感を思い出させてくれた。
冒険者としての依頼が彼の本来の仕事、本来の日常。
不完全ながらまたいつも通りの日々が戻ってきているのだ。
生憎ユーラやジュリの一件で遠ざかってはいるがそれでも……
そして今日も日常の一部へと赴く。しかし協会に着くや否や、頻りに笑顔を浮かべている者と出会った。
本当はこれからこの人物と一緒に仕事に行くのだが……
奇行とも思える彼女の行動に、思わず挨拶もせずに尋ねてしまう。
「お前……何をやっているんだ……?」
「あっ、おはようゼント、もし来なかったら家まで行って無理やり引っ張っていくところだったよ」
目の前まで近づいていたのに、今気づいたかのような反応を見せた。しかも質問を無視して一方的に語り掛けてくる。
朗らかな声とは裏腹に発言の内容はあまり冗談に聞こえない。
しかし昨日とは打って変わって、いくらか機嫌が良さそうなのは少なくとも悪いことではないはず。
見える範囲で装備を確認するもライラはいつも通り丸腰のようだった。
対照的に、ゼントは新しく彼女からもらった剣と防具を外からでも分かりやすく着込んでいる。
そういえば、と彼は魔術具について話し合うこととなっていたことを思い出す。
しかし今回は難しい依頼ではないし使う必要がないと考えていた。
「ところで受けた依頼の内容はなんだ?」
「――北東部の街道に出没する盗賊団の壊滅」
「……は?」
「最近隣町と行き来する貨物馬車が襲われて荷物だけでなく死人も出ている。自警団と協力し人的脅威の撃退、排除、もしくは無力化したい。故に此度、協会には戦闘に秀でた冒険者に前線職を募集する……って依頼書に書いてある」
何気なく軽い気持ちで聞いてみると驚くほど淡々と、如何にも剣呑そうな内容が耳に入ってきた。
確か討伐の依頼だとは聞いた気がする。討伐と言えば討伐だが……あるいは記憶違いか?
朝の心地よい空気は一変し神経が強引に強張ってしまう。
「ちなみに盗賊っていうのは……どれくらいの数だ?」
「二十人くらい?こんなに急速に人が集まることはなかなか無いから、多分流れ者たちじゃないかって。でもその分報酬は高額だったよ」
ゼントは震えるどころか唖然とするしかなく、悪い意味で開いた口が塞がらない。
しかしなるほど、これなら違約金発生の期限が短いのも納得できる。
だが、なぜライラがこれほどまで余裕そうなのかが理解できない。
いや、でも自警団と一緒ともなれば頼りになった。彼らは有志と
とはいいつつ、まさしく人間同士の争い。どちらがより多くの血潮を見るかの殺し合いだ。
この世界では決して珍しくなかった。最近は国同士のいざこざこそないものの、平和な時代でもない。
食料や物資、もろもろ不足していなくても楽に手に入れたいと思うものはいつの時代でもいる。
当たり前だがこの依頼は場合によって命をも失う、流石にそんな危ない橋は渡れない。危険に見合う金額だとか、高い報酬なぞどうでもよかった。
ユーラやジュリ、もし己が死んだらどうするのだと。
正直ここまでの規模になると町の総力を挙げて、もし可能なら帝国軍など公認の治安部隊に任せるべきだ。
にもかかわらずライラは……
「――付け加えておくと自警団の人たちは来ないよ。私たちだけでやるって言って了承を得ておいたから」
……今何と言った? ゼントはその内容に耳を疑う。
私たちだけ? つまりは……二人だけ?
ゼントは怒る。興奮で自信の体温の上昇を感じた。
しかし怒鳴るというよりは臆して慌てふためくように。
「おい!なんでわざわざ断るんだよ!協力するのが前提の依頼だろ!?」
「逆になんで二人きりの時間を妨げられなきゃいけないの?」
素知らぬ様子で疑問を返され、ゼントは頭を抱える。まるで思考が違うのだから仕方ない。
腕に自信がある、という次元の話ではない。彼女にとってはただその辺の小さな虫を潰すだけの依頼と同じなのだろう。
思えば彼女は竜を単独で倒せるのだ、強さは一瞬で打ちのめされた彼も知るところ。
一方盗賊は基本ならず者の集団。武器を持ったところで戦い方など我流の喧嘩に等しい。
然らば、全くの無謀とも言えないのではないかという声も聞こえるだろう。
しかし技術や戦法の心得がなくとも相手は人間、確かに身体能力なら魔獣が上だが知恵がある分たちが悪い。
そしてライラに命を賭けられるかといわれれば激しく否定する。
今から断るにしても相応の代価が伴う。途轍もなく面倒が極まった依頼を受けてきたものだ。
だがそれよりも、ゼントはライラの余裕そうな理由の中で気になることが一つある。
それは今日の依頼を受けるにあたって、決して避けては通れない所業。
もしこの予感が正しくないのだとすればそれはそれで問題だ。
躊躇っても意味はない。恐る恐るだが思い切って口に出してみた。
「――お前……人間を殺したことがあるのか……?」
途端にライラの赤い瞳が大きく動き、睨み付けてきた。
瞬時に強烈な寒気を覚える。あたりの空気が数度も下がったように感じた。
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