第164話『説得』

 



「――ゼント、お願いがあるんだけど」



 扉の前に居たのは……やはりというべきかライラだった。

 視界の端で揺らめく黒髪、頼みごとがあるようなのに相変わらず無機質な声。

 こんな人間世の中にそうそういるわけがない。


 ジュリは立ち上がったゼントの足元に縋り寄り、恐怖故か美しい瞳も見る事ができなかった。

 ユーラは椅子に座り平然としているようで、実際息を殺して無言で注視している。


 二人とも少なからず面識があり危険性はないと知っていたはず。

 それなのに何故部屋に人一人が入って来ただけでこうも空気が変わるものか、ゼントは理由が分からない。


 ライラは傍に居る二人には一瞥もくれずに近づいてきた。

 まるでゼント以外は木っ端とばかりに部屋を堂々横切る。



「お前……突然押しかけておいて……何の用だ?」


 大いに呆れ、仰け反り頭の後ろを掻きながら要件を尋ねる。

 ライラはその様子を気にも留めず、結論を急いできた。



「一緒に依頼をこなしてほしいの」


「……なぜだ?それは昨夜断ったはずだが?」



「それはそうなんだけど、戻って見てみたら期限が明日までだった。この依頼は前にもう受けてしまっている。つまり……」


「できなければ違約金が発生する、か」


 協会の依頼には必ず違約金が設定されていた。しかも少々割高で安くない金額を払わされる。

 だから冒険者は皆必ずできそうな依頼を受注する。これは安易に選ばないようにするための処置だ。

 勿論ライラは事前に知っているはず、実習教育の際に教えたのだから。


 最近受けた依頼にしては期限が短い気もするが、でも今回に関しては仕方がない。ゼントが断ってしまっていたから。

 でも別の方法もとれたはずだ。分かっていながらも一応聞いてみた。



「だったら、俺以外の奴と組んで行けば……」


「私はゼント以外の人間と組むなんて絶対に嫌。今日は無理でも明日には……」


 その言葉はまあ想定の内だろう。逆にライラと組みたい人間などいくらでもいるはずなのに。

 彼はやはり納得できない。理性的な彼女が不合理な選択をし続けることを。


 考えてみればゼントが仕事をできなかったということは、彼女も同じく収入を得られなかったということ。

 日々の消費にはやはりお金が必要で、彼女は現状不定期にしか成しえていない。

 竜討伐の特別報酬があったとはいえ、違約金を払うことは避けたいのだろう。



「……分かった、明日出られるように努力はする。でも確約はしかねる」


「うんっ、そう言ってくれると思ってたよ。時間は明日の朝協会前ね。じゃあ私はこれで……」


 渋々前向きに了承すると驚くほどあっさりライラは帰っていく。

 まるで嵐が過ぎ去って行き部屋にはほっと一息、また長閑な空気が戻っていた。



 努力するとは言ったがゼントもゼントとて金を工面する必要がある。

 ユーラの教会との金銭やり取りが残っていた。真面目に働いていつかは清算しなければ。

 もちろん利子、担保、期限は神官長のご厚意で無いのだが、少なくとも返済の手段を用意しておく必要があった。


 その為にもまずはやるべきことがある。ジュリに離れても安心できると説得することだ。

 まずは未だに成す術がない子供のように足元で恐怖する彼女を宥めた。



「ジュリ、あいつの見た目はちょっぴり怪しいけど、別に怖くはない。ユーラがいなくなった時もあいつが探し出してくれた。だからそんなに怯えなくても大丈夫だよ」


 屈んで背中を摩り、優しく声をかける。だがライラが居なくなった時点で落ち着きを取り戻してはいたようだ。

 恐る恐るゼントを見上げる。そのつぶらな瞳で疑問を訴えかけてくるがゼントは気づかなかった。



「だからその、明日冒険者の仕事に行ってもいいか?」


 そういった瞬間ジュリは激しく首を横に振る。予感はあったがここまで拒絶されるとは。

 同時に手足のしがみつく力が強くなった。外に行かせまいと自然に体が動いたのだろう。

 どうなってもここなら比較的安全に思えるのだが、無理やりに進めるのは些か酷か。



「そうはいっても、いつかは仕事に行かないと食べ物がなくなって、ここにいるみんなが餓えてしまう。だからまず一回、明日に行かせてはもらえないか?」


 確かユーラの時にも同じ文言で説得したことがある。あの時は彼女が何とか引いてくれたものだが……

 ジュリも苦々しい表情でも分別が付かないわけではなさそうだ。あと一息でこちらの筋を通せるはず。



「それにだ。ここに来るまでとか人間から逃げていた時とか、何回も離れていたけど大丈夫だっただろ?だから一旦は様子を見てみてほしいんだ」


 落としどころを提示して続けざまに言葉で尽くす。するとジュリはどうだろう。

 体をくねらせながら大きく首を振り狼狽える。その姿はうなされているようで、彼女の中にも葛藤がないわけではないらしい。


 そしてしばらくの時間を激しい動きで過ごし、決心がついたのかその後腕から解放される。

 どうやら遺憾を残しつつも理解を示してくれた。ならばなるべく不安を与えないようにするべきだろう。



「できる限り外で時間を使わないようにはする。だからそんな顔しないでくれ」


 ゼントはふてくされたジュリの頭をまた優しく撫でる。申し訳ないがやはり触り心地では人間のユーラに勝ち目はない。

 協会でサラ捜索依頼や町で出た魔獣の捜索を打ち切ったり食料の買い込みなど、やるべきことはまだまだ山済みだ。

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