情動の萌芽

第162話『自負』

 

ずっとひらがなだと読みにくいため、今話からユーラの会話文が変わります。

知見を得て少しだけ子供っぽさが抜けた、とお考えください。


――――――――――――――――――――



 ゼントという人間は恋人を失ってからというもの、率直に表現をするなら人肌恋しい思いをしている。

 例えどんな暗い失意の中であろうと、過去を顧みては寂しい思いが募るばかりだった。


 だからなのだろうか。胸の奥底では恋人の代わりに、自分の心を癒してくれるものを求めていた。

 かといってユーラに情けない姿は見せられない、守らなくてはならないという重圧も理由としてはある。

 しかし無償の愛、それは決して道端に転がっているものではない。


 包容的という意味で告げるのなら、サラが一番求めるものとして合致していた。

 しかし彼女はきっと迷惑するだろうと考え至る。心酔し完全に甘え切って依存するわけにはいかない。恋人を裏切るわけにも……

 だから付かず離れず、このままの関係をずっと維持していきたかったのだ。



 なのに、彼女はある日突然消えてしまう。

 当然、心の拠り所を失って再び救いの見えない暗闇に落とされた気分だった。

 そしてサラと入れ替わるように、目の前へ現れたジュリ。


 愛玩動物のようになついてきて、見方によっては愛くるしいもある。

 一方的に心に寄り添ってくれて、それが当たり前のように見返りを求めない。

 決して恋愛という意味合いではないが、心を奪われるのにそう時間はかからなかった。


 だが、ジュリは人間のように確立した意思を持っている。

 おそらく、彼女は理由があって“仕方なく”ここにいるのだ。

 例えこちらが可愛がったり撫でたりしたくても、肝心の当人は嫌がっているかもしれない。


 だから安易に体を触ったり撫でたり、一方的にしてはならない。

 少なくともユーラには無許可にそんなことしないだろう。求められていない限りは。



 そう固く胸に誓い、心の奥底に鍵を掛けしまい込んだというのに……

 気が付くとまた抱き着くジュリの頭に手を置き、柔らかく撫でてしまっていた。


 いや、これはゼントが悪いわけではない。ジュリが腕を自身の頭に乗せさせてきたのだ。

 短い毛並みは、職人が丹精込めて作り上げた天鵞絨びろうどのように滑らかで心地よい。

 後は手を僅かに横に動かせば、指の隙間から流れていく毛の一本一本に心が掌握される。



「……あっ!?ジュリ、ごめん、俺はまた……」


 しかし、その直後に我に返ってしまう。お愉しみの時間は終わりだとばかりに。

 代わりにやってくるのは底知れぬ恐怖と罪悪感。全身を悪寒で囲まれる。

 こんな些細の馬鹿げた行動で彼女に嫌われでもしたら、精神が持ちそうにない。


 慌ててジュリの目を見て謝った。だが彼女はまた首を横へはためき、ただ見つめてくるのみ。

 訳が分からず首を傾げると、視点が変わったことで見つけてしまった。

 ジュリの耳が小刻みに仰ぐように、そして尻尾は彩り豊かに一人さんざめき動いていることを。



「……え、ジュリ?」


 目を見合わせ確認を取る。でも返ってくる仕草を見る前に彼女の碧眼が告げていた。

 それなのにゼントは許されているのか確証が取れない。それを察したジュリは呆れたように頷く。

 とうとう本人から許しが出た。それ見て彼は歓喜のあまり、吃りながらも感謝を伝える。



「――あ、あ、ありがとうジュリ!!」


 傍目から見ると掛ける言葉が違うような気がするが、感情が高ぶり過ぎたのだから仕方ない。

 だから……勢いのあまり、ゼントの方からジュリを強く抱きしめてしまったのも仕方がなかったのだ。


 その光景を横から見ていたユーラの表情が変わる。先ほどは仲直りを喜んでもいたのに今は……ただ無表情。

 寝ている間に無意識に抱きしめていたこともあったが、彼女がその様子を見るのは始めてだった。


 ユーラは少なくともジュリを妬ましいと思ったわけではない。

 ただ一つ、ゼントの口角の上がった顔に対して羨ましいと感じた。

 自分と一緒にいるときも、その幸せそうな顔でいてくれればいいのに。


 しかしどんなに尽くしても、自分一人では決して見ることができないその表情。

 この場の誰も悪いわけではないのに、一人で勝手に傷ついている自身にも嫌気がさした。



 ゼントは横の異質な気配に気づかず抱擁を止めない。

 一方ジュリは当然、些細な変化でも本能で察知している。

 そして彼女の心に掛かった暗雲を振り払う方法をも。


 全てを瞬時に理解するや否や、咄嗟にゼントの腕から艶やかに飛び立つ。

 宙を翻り華麗に地面に着地すると地面を蜥蜴ように素早く這って進む。

 そしてユーラの後ろに立ち、彼女の肩に手を添えた。



「ジュ、ジュリ、突然どうしたんだ? また俺が何か……!?」


 何も理解していない、気づいてすらもいないゼントは慌てふためくことしかできない。

 またしても気に障ることを仕出かし、避けられてしまったのではと筋違いな考えを持った。

 だがジュリは何も伝える素振りを見せず、ユーラの肩をそっと押し出す。



「ジュリ……?」


 ゼントの正面に来たユーラはその名を呼び、おどおどと振り返った。

 しかしジュリの目を見て、彼女の言わんとしていることがなんとなく分かってしまう。


 だから、少女は少し自信を持ってみることにした。

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