~決意~
――その後の一連のやり取りは……もうわざわざ語るまでもないと思う。
最終的に、私は家に置いてもらえることになった。二人とも悩む素振りすら見せてはくれない。
不安が全く無いとはいかないが、それでもまるで招聘とも言える形で歓迎してくれていた。
ゼントの思考を読み取る限り、私に対して負の感情を抱いてはいない。
でも、その素直な厚意に甘えてしまっていいのだろうか。
確かにあの化け物に言われた通り、私はゼントを殺しかけた。
今回に至っても殴って気絶させている。現に今彼の顔には大きな痣が。
なのに、一方彼は私の命の恩人、こんな不公平なことがあっていいのだろうか。
一方的に甘い汁を吸ってしまっている。全ての事実を知っていたら受け入れられるはずがない。
過ぎた事とは言え、自分の行いを赦すことができそうもなかった。良心の呵責という言葉すら生易しい。
あいつの思惑通り、誰からも優しい目を向けられることもなく、惨めに死んでいったほうがいいのかもしれない……
でも、ゼントの為に、私を想ってくれた人の為に、今はまだ死ぬことはできない。
あいつの正体を白日の下に晒し、想い人を不条理な未来から救うのだ。
ゼントをあの化け物から救うというのは、あくまで過去の罪滅ぼしでしかない。
ならばここは一つ、自分への罰を与えようと思う。並みに重い罰を。
その罰とは、両親に貰った大切な名前と存在を完全に捨て去ること。
サラという人間はもう……この世からは消えた。かつての名を捨て、身も心も別の存在へとなったのだ。
心の奥底に鍵を掛け封をするのではない。どうしても必要な時以外、二度とジュリの真の名前をこちらから告げようとすることはしないと誓う。
完全に生まれ変わり、そしてこれからはゼントのために自身の全てを顧みずに尽くすのみ。
昇華、いや退廃だろうか。少なくとも決めるのは現在の私ではない。
心残りがないと言えば嘘になる。サラとして、彼を見守り慕われてきた者として、最後の別れの挨拶ができなかったこと。
彼も相当に悔やんでいるのが見て取れた。それもこれも全部あいつの……
でも同時に、私が馬鹿で考えなしに動いたせいもあるのだろう。
もう少し慎重に行動していれば……傲慢にならず危険を察知していれば……
悔やんでも悔やみきれないのは私も同じ。だが、誰がこの結末を予想できただろうか。
ともかく人間として、今まで通りの生活はもう送れないだろう。
そしてこれから、いくつもの困難が待ち構えていることは想像に難くない。
今まで当たり前だったのに戻らなくなった過去への郷愁、
この先ほぼ一生人間から嫌悪され追われるという未来への絶望、
己の無能な惨めさと、受け入れてくれたゼントの温かさに挟まれ、
彼の懐の中で、ついぞ出てこなかった涙が瞳から溢れ出す。
自分の生きる意味が、価値が、これっぽっちも見出せそうになかったから。
「――ど、どうしたんだジュリ!?どこか体に痛いところでもあるのか?」
彼はどこまでも優しかった。初めて会った時からずっと。
自身の事など顧みず、どんな人間に対しても分け隔てなく向き合う。
相手の悪意に気が付かず騙され、損をする側の人間だと第一印象で感じた。
だから私が守ってあげようとかつて思っていたのに……
私は声を上げないように何とか感情を抑え込もうとして、結果的にむせび泣くことくらい。
問いかけに対して力なく首を振って答えることしかできない。
「あーー!!おにいちゃんがじゅりをなかせたー!!」
「いやユーラ、違うんだ!俺は何も……!」
こんな微笑ましいやり取りすらも、私は蚊帳の外から眺めることしかできない。
意思を声に出して伝えられないというのはあまりにつらかった。代償としてこれ以上ないくらい。
私ができるのは精々、ゼントの手の中に身を委ねること。
彼がジュリという存在をどう感じているのか、それは感情を読み取るだけですぐに分かる。
サラという数少ない心を許せる人間が消えて、そこに空いた隙間を私で埋めようとしていた。
更に言えば体を撫で、手に返ってくる感触を思い求めてすらいる。
私はそれが嬉しかった。
私はそれを幸せだと感じられた。
私はそれだけで良かった。
見た目だけで実際は何も入れ替わってないことを知ったら、ゼントはどんな反応をするのだろうか。
相変わらず、亜人の身体になってから得たこの能力だけは、災厄の巧妙だと思えた。
私の意思は伝えられない代わりに、向こうの意思は一針の漏れなく感じ取れる。
この家に身を置かせてもらっている以上、危険という迷惑を掛けてしまっている以上、
私にはできることをしなければならない義務がある。それはゼントの求める望みをさせてあげること。
即ち私の身体を心赴くまま、気が済むまで心置きなく撫でさせてあげること。
多少感覚が慣れず不快感を覚えることもあるが、それ以上にゼントの心が安らぐのなら構わない。
求められるだけで、私が今ここにいる存在意義になりえるから。
だから遠慮するゼントの手を私の腕で持ち上げ、無理やり自身の頭へと乗っけた。
続いて暴れることもなく無言で彼の瞳を見つめ続ける。これで自ずと向こうに伝わってくれるはず。
――彼は一瞬目を丸くしたまま見つめ返すと、そのまま頭を無意識にジュリの頭を撫で始めていた。
願わくばずっと永遠にこのままで居たい。人間の姿でなくても、彼の傍に居られるなら……
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