~代償~
――次に気が付いた時、まず初めに口の周りに違和感があった。
目を開けると鋭く睨みつけてくるゼントの顔がすぐに認識できる。
後ろには祈るような格好で心配そうに見つめるユーラが。
まだ私の命運は尽きていないのか、あるいはこれから真の生き地獄が始まるのか。
彼のこんなに怖い顔は見たことない。でもそれはきっとサラのためだと思うと、どうにも複雑な感情を持たざるを得ない。
その復讐心を本人にぶつけるとは何とも皮肉な話だが、当の私にとっては死活的な問題。
咄嗟に逃げようとしたけど、当然体が拘束されていた。
手足は無論、腰にも縄が回され、部屋の隅に締め付けられている。
それだけならまだしも、口すらもひらけないように縄が結ばれていた。
そして私に敵意丸出しの
噛みつかれ暴れられるとでも?私をなんだと思っているのか。
いや、サラだとは気づいてないのに言っても仕方ない。
その後質問攻めにされ私は例によって、首で肯定か否定を答える。
詳しく語るつもりはない。でもいくつかどう答えたらいいのかわからないものもあった。
要約すると次のようになる。
『お前は亜人か魔獣か?』
私は元とはいえ人間だ。亜人でも魔獣でもない。否定する。
『サラを知っているか?』
知っていると言われれば知っている。頷いて肯定した。
『魔術具は何処で手に入れたのか?奪ったり渡されたりしたのか?』
手に入れるも何も、元々私の物だ。首を横に。
『サラは生きているのか!?なら彼女のところに案内してくれ!』
あなたの言う彼女は今目の前で生きている。だが、案内しろと言われても……
『とりあえずサラは元気でやっているんだよな?』
これだけはどうにも答えられない。私の運命はゼント次第だから。
だからあえて何も反応を返さなかった。
……彼がこれらの回答をどのように解釈したのかはわからない。
でも少なくとも危害を加える存在ではないと分かってもらえたみたいだ。
その後、ユーラは宣言通りにゼントを説得して、見事に私を救ってくれた。
でも勝手に名付けられた時はどうしようかと思った。
私にはサラという両親からつけられた名前がある。少なくともジュリではない。
しかも由来が子供向け物語のお姫様の名前とは……
発想が子供じみているというべきか、それとも人間に近い扱われかたをされている私が妥協するべきなのか。
でも私が話せないのが原因だろう。ゼントにも諭され受け入れざるを得なかった。
そして紆余曲折を得る。昨夜の件を謝罪してきて、体を見せろと言われて……
体を見せろ、とは変な意味ではない。単に怪我がないか確認するため。
別に私にとってはかすり傷程度、だがゼントはあれだけの暴行を加えたのだ。
ここで拒否しても心配を募らせるだけだと考え、結局これを了承した。
私は唯一の服を自ら剥ぎ、大切な柔肌を露にする。今、もし私が亜人でなければ紛れもなく全裸だ。
寒気を覚えるほどの羞恥があった。意を決し豪快に幕を取り払った。
期待がなかったと言えば嘘になる。少しでも反応を示してくれることを。
なのにゼントは眼前の裸体を見てもなんでもないように振舞う。まるであえて意識しないようにしている。
覚悟を蔑ろにされたようで若干頭に来るものがあった。これがサラという人間であっても同じ反応をされるのだろうか。
そのあと、ユーラがゼントの悪行を止めてくれて、体をきれいにして着替えさせてもくれて。
誘引したのは私とは言え彼女にはすこぶる感謝している。もちろんゼントにも。
でも……彼が協会へ行くため外に出ると聞いた瞬間、私は正気では居られなくなった。
だって、もしかしたら私のことを他の人間に話すのかと思ったから。それに、それに……
また化け物が私を襲いに来るかもしれないから……、あれは本当に二度と味わいたくない。
あいつはゼントの前では化けの皮を被り、人間に成りすましている。
なら彼の傍に居れば、視界に常に入っていれば襲われる心配は限りなく少ないと考えたから。
卑怯だと思ったが、どこにも行けないように強く抱き着いた。
これで無理に出ようものなら、私の姿を町の住人に晒すことになる。
それに今の力なら体から引き剥がされることもない。
私の豹変した行動ぶりに当然二人は驚いていた。
事情を聞かれたり、宥められたりしたけど無理なものは無理だ。
何とか夜まで粘ってゼントは諦めてくれる。その後夕食を用意し始めた。
始め、彼から干し肉を渡される。いや、食べ物を分け与えられるのは感謝するべきだ。
私のこの姿を見て配慮してくれたのかもしれない。それは十分理解しているつもり。
でもこれはさすがに……、あえなく首を振って拒絶した。
望みを伝えて何とか同じ食事を出してもらえることになった。昨日から水しか飲んでなくてもう空腹が限界だ。
でも、そこで問題が起こる。口の形状が変わってものすごく食べにくかった。
口に備わっている鋸状の歯は、食物を噛み切ることはできてもすり潰すことはできない。
獣は基本肉を千切り、そのまま丸呑みするのだろう。
でも私は何回も噛んでようやく、散々えずきながら呑み込める。
これから食事すら真面に食えなくなるのか? 考えるだけで気が重くなる。
指がなくて食べさせてもらい、食べづらさから汚れた口の周りを何度も拭かれる。
まるで赤ちゃんになって介護されている気分。自分が情けなくて胸が苦しくなった。
自尊心が一つ、また一つと剥がされていく。気を強く保っていないと……、これも全てはあいつのせいだ。
就寝時、ユーラは不機嫌になって遠くに寝床を作った。
私はゼントと一緒に眠ることになった。いつ脅威が現れてもいいように警戒は解けず、彼の傍に寄る。
思えば、彼とここまで肉体的に接近できたことなどあっただろうか、いやない。
抱き着いてもあまり抵抗されなかった。人間のサラでいたならば、きっと遠慮されてできない。
ゼントと近づけるのなら、結果的にはこうなって良かったのかもしれない。でもそれにしては悪意に満ち満ち、綿密に刃のように“研ぎ澄まされた代償”があまりにも大きすぎる。
そして、私はとある事に気が付く。体を触られる感覚があることを。
その主はゼントだった。首元に手を伸ばしどこまでも優しく撫でられる。
始めは愛玩動物として扱われているようで嫌だった。でも彼の顔を見た時、私はその考えを放棄する。
表情は寂しさと苦しさに塗れていた。でも私を触る時だけは表情も和み、ゼントの心が洗われていっているように感じられる。
そこでようやく改めて気が付いた。私には亜人としての五感が備わっている事を。
そして、今までの視覚だけでなく鋭くなった嗅覚や聴覚を以ってすれば、ゼントの今の感情など手に取るように分かる。いや思考さえも正確に読み取れるという事実に。
意識を凝らせば呼吸や汗から、対象の身体の内側までも見抜けるだろう。
元来の培った感覚が更に“研ぎ澄まされた代償”に、この身体という始末。
辛く荒れた私の未来は、ゼントを傷つけたという過去の罰を模しているのだろうか。
まだ現状を受け止めきれたわけじゃない。暗闇の中毛布に包まり涙を溢れさせる。
でも、悲しいのは私だけじゃないみたい。不意にゼントの口から出る寝言が聞こえてしまった。
“サラ――どうして……”
何も考えずに、彼の体を温かく抱きしめた。
私の人生はずっとゼントに助けられている。
その胸の中にある存在だけは確かに記憶していた。
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