~俗諦~

今回と次回、少しグロい表現があります。

苦手な方は頑張ってください。


――――――――――――――――――――



「――痛っ!?」



 首の後ろに走る痛みに叩き起こされ、私は重い瞼をあげた。

 どれくらいの時間が経ったのかも分からない、ここが何処かも……

 とりあえず自分は生きてはいるようだ。でもこの先も続くとは限らない。


 薄ら眼で見渡すと周囲は赤黒く、肉塊のような壁で覆われている。

 四角い地下室のような部屋。不快な湿気と生温かい温度。

 窓は無く暗闇がはっきり分かるほどほどだ。でも薄暗さだけは不気味に保たれている。


 あれから自分がどうなったのかは断片的に分かる。

 気を失って、ここに連れ込まれた。



 そして自分は……壁と同じ材質の椅子に座っている、全身を拘束されて。

 胸や首、足首までもが繋がれていて、自由なのは口と瞼くらいだ。

 そして目の前には机がある。まるで尋問室のよう。


 一つ気がかりなのは、手の平までもが机の上に拘束されていた事。

 丁寧に指の一本一本を広げる形で少しも動かせない。

 それがただただ、得も言われぬ恐怖を感じさせた。


 縄で縛られているだけならまし。

 これから何が行われるのか、想像すらしたくない。




「――おはよう。いやまだこんばんは、かな。あなたとお話しするのはこれで二回目だよね?」


 目の前の暗闇から突然あいつが現れた。黒いコートと髪に、映えた赤い眼。

 優しく語り掛けるが表情に笑顔は一切とない。

 話す気分にはどうしてもなれない。無言で返すと彼女は構わず続けた。



「私前に言ったよね。“ゼントはずっと一緒に居るべき私の物だから、惑わせたりしないで”って…………“あなたの行動はすべて見ている”とも言ったはず、それなのに忠告を守らなかった。だから悪いのは全部あなただよね?」


 座らされている椅子の周りを、優雅に歩きながら尋ねてくる。

 顔は最初と変わらず、全くと言っていいほど無表情。

 私はただ黙って聞いていた。無言が私のとれる唯一の返答だった。



「さっきの出来事は全て見ていたよ。私を殺そうとしていたんでしょ?それならもちろん、自分が殺される覚悟もしていたってことだよね?」


 彼女の眼が鋭く光る。殺気は無くともそれが冗談でないことくらい感じ取れた。

 勿論そんな覚悟、出来ているわけがない。だって確実に殺せると思っていたから。

 背中が汗で濡れてくる。恐怖に震えて首を横に振ることしかできなかった。



「あれ、出来ていないの?だったらほら、私に命乞いとかしてみてよ。気まぐれで生かしてあげるかもしれないね」


 完全に調子に乗っている。ほんの少し前の私みたいだ。

 でもその行動はある意味正しい。相手に不快感を与えて精神的不安を煽っているのだ。

 どうせ私が助かる未来はない。どうせ殺すなら早く死なせてくれ。



「うそうそ、冗談だよ。そんな簡単に殺したりするわけないじゃない。ちょうどいいからいくつかあなたに質問させてよ」


 初めて僅かに笑って見せた。明るくひょうきんな声なのに聞こえる内容は物騒だった。

 結局、私をどうしたいのかは分からないけど、痛い思いだけはしたくない。

 大人しく従った方がまだ良さそう。黙って頷くしかなかった。



「ゼントに竜を襲わせたのはあなたでしょ。なんでそんなことしたの?」


 いきなり核心を突いた質問。でも真実だと認めてしまうのは、それこそお粗末。

 どうやって知ったのか、方法まではわからない。でもおそらく、私が魔術具を放つ直前に放った言葉を聞いていたのだろう。ならまだ言い訳できるはずだ。



「待って、私が言ったのはあなたの事じゃない!まだ知らないのかもしれないけど、以前あなたと同じ名前で竜を倒した人間が居て、その人の事を言っていたの!ゼントの元恋人で確認すればすぐ分かるはず」


 人は嘘をつく時、声色や仕草に出る。そしてそれを私は理解していた。

 だから気を付けて極力嘘が漏れないようにしたつもり。加えて言ったことは全部が嘘ではない。

 本当の事を織り交ぜることでより信憑性も増すはずだ。



「ゼントの過去くらい、いくらでも知っているんだよ。それにもう証拠は十分揃っているからいいよ、嘘とかそういうの。いくらそいつが疑わしくても確証が無かったら私はこんなこと絶対しない。いいからさっさと認めて、早く動機を教えてよ」


 しかし彼女には一切と通じなかった。そしてその声には明らかに怒りが込められている。

 これ以上は彼女を不機嫌にさせるだけ、でも正直に答えたところで何をされるか……



「……はぁ、もう時間が惜しいからこの質問はいいや。でもゼントだけ怪我を負ったのは納得できない。治してあげるのも大変だったんだから」


 最善を見いだせず、しばらく考え込んでいると諦めたように言う。

 それを聞いて安心したのも束の間、正面を見ると彼女は右腕を振り上げていた。

 手には人間の頭ほどの、どこにでもありそうな石が握られている。そして――



 そして――






 ――それを私の手が拘束されている机に、容赦なく振り下ろしてきた。


 狙いは――私の左手の小指…………




「――あがッー!!!??……な、なん、で……??」



 鈍い音が部屋に鳴り響いた。

 でも悲鳴は壁から反響してこない。

 痛みと共に音の正体を探る。


 そしてふと、机の上に拘束された手を見ると……

 小指が、石の衝撃で、干乾びた魚のように潰れていた……



「っあ…あ、ぎゃあああああ――――!!!!私の指が、私の指が……!!」


 叫喚の声が自身の鼓膜すらも引き裂いた。声にすらならず、言葉だけでは表現しきれない絶叫。

 先程の音の正体は、骨が歪に砕ける音と、指の肉がグチャっと抉られたもの。

 小指は内包されていた骨がむき出しに、周囲には、血が飛び散っていた。


 痛い痛い痛い、ああ、そんな……!!


 今も流れ出ている血は自身の体温を映していて、手のひらに滴る温かさが現実と恐怖をこれでもかと感じさせる。

 痛みに悶絶しのたうち回るが、椅子は地面に固定されているのかびくともしない。

 私はただその場で目を見開き、喉を酷使することしかできなかった。



「ゼントはあの時、背骨と肋骨と足首が折れていた。内臓も一部破裂していた。お前の指全部すり潰しても足りないくらい、痛くて傷ついて死にかけていた。なのに、お前は遠くから眺めていただけか……!?」


「わ、わかったから……!」



「うん?なに……?」


「しつもんのこと……は、は、はなす、から……!!これ以上は!!」


 確かにあの時、私は明らかに助けに入るべきだった。

 でもなんと言えばよいのか、あの時は計画が失敗して動揺していたのだ。

 いや、これは苦しい言い訳か。誰が何と言おうとあの場を離れるべきではなかった。


 ……彼女は何かを話していた気がするが、全く頭に入って来ない。

 流血による恐怖と痛みが脳内を染め上げ、本能が最善の回避を望んでいる。



「だからもういいって、今はそれより別の事が聞きたいの」


 私の心からの懇願の声を、彼女は容易く一蹴した。

 この時はもう考える頭も持ち合わせてはいないだろう。


 おかしい、遠目から見る限り彼女はこんなことをする性格だとは思えなかった。

 今思えば、確かによく観察しても感情が見えなくて苦労したけど……

 ゼントはこの猟奇性を知っているのだろうか。いや、知っていたら近づくはずがない。



「そうそう、これあなたの懐から出てきたんだけど、何で持っているのかな。私はゼントにあげたはずなのに」


 極度の緊張で荒くなる呼吸、口の中に溜まる唾液を何とか呑み込み、そして見上げた。

 するとそこには見たことがある楕円体の赤く綺麗な宝石、今思えば鮮やかな血の色だ。

 そんなことはどうでもいい。速く答えないと、また……!



「――ぜ、ゼントが私に、く、くれたのよ!!お、お返しにって!!!」


 血が流れているのに、問答無用で容赦なくあいつは続ける。

 まだ続く鈍い痛みと恐怖で呂律が上手く回らない。



「……次は隣の指だから、本当のこと言った方が良いよ。切断がいい?それとも爪を剥ぐほうがいい?」


「ひっ!?ほ、本当よ!!ゼントに聞けば……」


 彼女は努めて暖かい表情を続けた。その笑顔は恐怖の象徴であるはずなのに天津爛漫。

 思い出したくもないのに幼い頃の家族が頭を過る。


 私にはもう嘘をつく勇気も覚悟もない。

 こればかりは隠さずに本当の事を言ったはずだ。

 なのに……なのにあいつは…………



「――嘘を言えッ!!!」


 刹那――瞬時に暗さを増す室内。気温も乾いて低くなった。

 そして目の前には、今まで見ていたあの少女の姿はどこにも見えなかった。


 怒りのあまり、黒い髪の毛が逆立つ。眼孔が淀んで黒々しく染まっていた。

 声も地の底から這い出てくるみたいにおどろおどろしい。

 先程まで居たあの症状は幻覚だったのだろうか。目の前に居るのは誰が見ても人間の皮を被った化け物だ。


 いやきっと違う、今私が見ているものが幻覚に違いない。ついに頭が壊れたんだ。

 そして奴は人間の形を捨て去り、赤黒い肉塊へと変貌していく。

 私は耐えられなくなってとうとう目を瞑り視覚から得る情報を投げ捨てた。



「私のゼントが……気持ちを込めてあげたものを横流しにするわけないっ!!……お前だろ、お前がゼントから卑劣な手で奪ったんだろッ!!!」


「違うわっ!だからゼントに聞けば……」



「ゼントにあんなひどい目に遭わせたのに、また近づいたのも何かしようと画策していたに決まってる!!そんなことは私が絶対にさせないから!!」


「違う!違うの!誓ってそんなことしない!いいからゼントをここに呼んで!それで全て分かるから」


 ゼントに聞けばすぐにわかることなのに。でも私は委縮しながらも必死に弁明を続けた。

 なのに、聞き入れてくれる兆しが全く見えない。

 もしゼントがこの場に駆けつけてくれたらどれほど良かった事だろう。

 でも来るわけがない。別に彼を責める気もない。おそらくこれが審判なのだから。






 ――そして、その瞬間



 私の目の前には、二つの小さなものが宙に舞った。


 飛んでいる物をよく見ると、それは――


 私の根元から切られた薬指と中指だった。




 もう、頼むから早く殺してくれませんか……


 お願いだからこの地獄を早く終わらせてください。

 脆い紙みたいに破れた視界の中、切に祈ることしかできなかった。

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