第157話『失態』

 



 ――こんなはずじゃなかった。


 もっと威圧するように捲し立てれば優位になれたはず。

 そのはずなのに、あと一歩のところで引いてしまった。

 もう少しであいつをゼントから引き離せたのに。



 でも仕方がなかった。

 ゼントにこれ以上嫌われたくなかったから……


 大丈夫、これは私利私欲などではない。

 傍に居られなくなったら役に立つこともできなくなるから。

 問い詰めることはできても、それで逃げられては意味がない。



 でもどうしてなの? やること全てが裏目に出てしまうのは。


 早くあいつをどうにかしないといけないのに……

 じゃないとゼントが……また私から遠ざかってしまう。

 怖い、そのうち私さえ見てくれなくなるかもしれない。



 それにあの時のゼントの態度……確かに私がいい気になっていたのかもしれない。

 それでも普通の人には使えないって言われた能力を使いこなせて見せたのに。

 態度があまりに冷たすぎる。私と接する時だけ心が凍ってしまったかのよう。


 家の中で彼は幸せそうな笑顔は見せてくれるのに、

 その表情は私に対して向けられたものではないなんて。


 しかも私には関係ないと弾かれた。私の強さを認めたうえで、頼ってももらえない。

 もしかして何か嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。

 いやそんなはずは……でもやっぱり不安になってしまう。



 つらい、目すら合わせてくれなかった。

 優しさが他のものに与えられている光景を見たくない。

 今まで自分が何のために頑張ってきたのか分からなくなる。


 そもそもあの獣の存在を彼は正しく理解しているのだろうか。

 もし分かっていないのであれば、全てを教えてあげる必要がある。

 それでも手放してくれないなら……




 気が付くと目から水分が流れている。自分の意思で出しているわけではなかった。

 やっぱりこの体はだめだ。まるで言うことを聞いてはくれない。

 泣くと疲れるだけなのに、涙が止まらなかった。私はあまいのか?


 私が人間に近づこうと同じ体の造りにしたのが悪かったのかもしれない。

 でももし勝手に水が出る現象が以前と同じなら、ゼントの目の前でやればまた声をかけてくれるかな?

 でもなんとなくだけど、彼の前でこんな弱々しい姿を見せたくない。



 それにやっぱり人間の体は脆く、わけのわからない現象や無駄が多い気がする。

 こんな体で過ごしているなんてゼントが可哀想だ。

 だから私が新しい体を上げよう。そして古い今の体は――



 ――おいしく食べてあげるから。



 この時の私は雨と涙で顔は水浸しで見せられないくらいぐしょぐしょになっていた。

 でも気持ち悪いくらいの笑みと悲しみを入り交ぜた表情を浮かべていたことだろう。



 ◇◆◇◆




 ――ゼントの家ではライラが訪ねてきてから一夜明け、三名は朝食を済ましている最中。

 ここ二日の間どことなく感じていた不安や焦燥感からは解放され、今朝は清々しい気分の真っ只中。


 と言いたいところだが、ゼントだけはそうもいかなかった。

 なぜならジュリが傍からひと時も離れてくれなかったから。

 仕方なく朝食はそのままの形で食べさせた。


 常に足や腕に張り付き拘束されているような状態で、かなり動きが制限されている。

 昨夜は力の限り引っ張って一時的に事なきを得たが、一瞬だけ離れただけでも奇跡のような状態。

 その後、泥で汚れたジュリの体を再び綺麗にするのも苦労が絶えなかった。



 ジュリがここまで子供のように怯えるとは、さぞ怖い思いをしたのだろう。

 町の住人に延々追い掛け回されたのか。あるいは……


 大人しかったのは寝ている間くらい、でも抱き合うような形だったので毛布を掛けなくても暖かかったのは幸いか。

 隣でユーラが羨ましそうな目で見ていたのはここだけの話だ。




 さて、朝食を終えた後やるべきことがあった。

 それはジュリに対しての意思確認。

 これからどうするのか、聞くまでもないような気がしたが念のため。



「――それで……じゅりはどうしたい?」


 一連の質問はユーラに全て任せていた。ゼントはただ見守るだけ。

 なぜなら昨夜彼はどうしようもなかったとは言え、ジュリを見捨てた形になっているから。

 彼女は助けなかったことを恨んではいないだろうか。


 例えそうでなかったとしても後ろめたさが拭い切れない。

 だから面を向って語り掛けるのはどうしても気が引けた。



 何回か問答を繰り返して、分かったことは以下の通り。

 ジュリはずっとこの家に居たい、というかゼントと片時も離れたくないらしい。

 そして、サラのことに関しては相変わらず教えてくれない。


 それぞれなぜかという理由については結局知ることができなかった。

 しかし彼女の意思は確認できた。ならばその手助けをしてやるのが、せめてもの罪滅ぼしになるとゼントは考えた。

 匿うだけなら不都合はない。だがそこで問題になることがいくつかある。



「――ジュリ、ちょっとだけ失礼する」


 そう言って、ゼントは正面から抱き着く彼女の首筋に頭をうずめた。

 やわらかい毛並みに顔の皮膚が包まれる。しかしこれは堪能するためではない、重要な確認のためだ。



「おにいちゃん、どう?」


 隣でユーラが心配そうな表情で尋ねてくる。

 ゼントは嘘を言っても解決にはならないと考え、真剣な表情で伝えた。



「――うん、やっぱり獣臭がするよ。早く何とかしないと……」



 ――その瞬間、ジュリの顔は瞬く間に真っ青になった。

 途端に今まで動かなかったゼントの懐から慌てて抜け出す。

 そしてそのまま、稲妻よりも素早く玄関から外に飛び出してしまう。



「――あっ、ジュリ!」


 声を上げた時にはもう姿が見えなくなった後だった。

 後から聞こえてきたのは空しい足音、家の裏に向かって小さくなっている。


 唖然とし、ユーラと顔を合わせようとしたがそれもできない。

 なぜなら彼女は顔を真っ赤にして焼石のようになっていたから。

 怒っているのだと即座に理解できる。



 そこまで来て、ようやくゼントは自身が仕出かしたことに気が付いた。

 だが残念なことに、その詳しい内容までは理解できていない。

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