第156話『隆替』
「――ゼント、もう一度だけ言うからね。……そいつから離れて」
事態がどれほど緊迫しているかは、見かけだけではついぞ分からない。
氷の魔術具の力で心まで凍り付いてしまったのだろうか。
ライラが放った言葉は地の底を這いずるように冷たく乾いていた。
なにをそんなに怒っているのか、ゼントは知る由もない。
あふれ出てくる感情の勢いに圧されて、後ろに一歩二歩と退いていく。
当然ライラも合わせて少しずつ躙り寄る。なぜか長閑な表情しながら。
「おい、少し落ち着け!突然どうしたっていうんだよ!?」
「ゼントこそどうしたの?嫌いだって言った奴を庇ったりして」
「そ、それは……とにかく、俺が亜人嫌いだとしても、この問題はお前に関係あるか?ないだろ?」
「…………そうだね」
図星を衝くとライラはしばらく天を仰いだのち、ゼントの言葉を肯定する。
一点張りだった彼女が、だ。突破口がそこに見えた気がした。
「じゃ、じゃあ聞くけど、そいつとはどういう関係なの?まだ出会って間もないはずなのになんでそんな……」
「お前には関係ないと言ったはずだ。これ以上話を掘り下げないでくれ」
顔からはあったはずの余裕が消え失せ、必死に取っかかり口を探しているようだった。
ゼントは追い打ちをかけるように拒絶する。少々冷たい気もするがこれくらいがいいと考えた。
とにかくこの事案に多くの人間を関わらせたくはない。敵としても味方だとしても、巻き込んで被害を出すのは御免被る。
「ゼント、私、この武器の力を使いこなせるよ?だから……」
「確かにすごかった、あれは誰にでもできることじゃない。でも悪いがその話はまた今度しよう、今はこっちに集中したいんだ。申し訳ないが明日の討伐依頼とやらもまたの機会にしてくれるか?」
ライラの表情は次第に焦りを帯びてきていた。それは全く違う話題を出したことからも読み取れる。
振り上げた腕は生まれたばかりの赤子のように震えていた。初めの勢いはもう見えなくなり威圧する態度ではない。
もう少しで諦めてくれるだろうと踏んで言葉を強める。
そして今のやり取りが決定的だった。彼女の顔は焦りから悲痛へと変化していく。
ゼントから欲しかった言葉は、もう言ってくれないと悟ったのだろう。
今にも崩れ落ちそうになっても最後の胆力で弱々しく言葉を紡ぐ。
「……何か私に手伝えることはある?」
「今はない。この件は俺一人で何とかするか、今日見たことは忘れてくれ」
「じゃあ…………これで帰るね。剣はここにおいて行くから……」
「ありがとう。埋め合わせはするから、何かあれば来てくれ」
ゼントはそう表面上で繕いつつも、視線は怯えているジュリにしか注いでいない。
ライラや恋人の形見などより、今は今にしかできないことに注力したかった。
やりきれなかったことに対してこれ以上後悔したくないから。
ふと顔を上げると既にライラの姿はどこにもなかった。
まるで地面に吸い込まれたのかと思うほど奇麗さっぱり霧散している。
森の奥に消えたように見えたがそんなはずはない。
そこには魔術具である大剣が地面に整然と横たわっているだけ。
居なくなる瞬間、彼女はどのような顔をしていたのだろうか。
今はとにかく、家の中にジュリを急いで連れて行こうと考えた。
ライラに見つかったあたりからどうにも様子がおかしい。
それに町の他の人間に見つかるとかなり面倒なことになる。
ジュリは体や頭を胸の中に押し付けるように抱き着いていた。
目を強く瞑り耳は押さえつけ、世界から全ての情報を拒絶しているようだ。
ゼントは驚かさないように肩を叩き、優しく声をかける。
「ジュリ、ここは危険だから一旦家へ行こう。一人で歩けるか?」
だが彼女は一向に離れようとしない。聞こえていないわけではないと思うが。
やはりライラに対する恐怖心があったのだろう。ずっと住民に追われて、それから逃げていたのだから。
「今会った奴ならもう行ったよ。あいつは何もしない、もう怯えなくていいから」
背中を摩り慈愛にも満ちた声で安心させようとする。しかし結果は変わらず。
亜人故、締め付ける力がかなり強い。そのうち痛みで体に痺れが出てきそう。
魔術具を担いで持ち帰りたいのに……これでは無理だ。
仕方なくジュリの安全を優先し安心できる場所へ連れていくことにした。
雨の中、落とした明かりを拾って、ぬかるんだ上で転ばないよう慎重に。
しがみつかれた状態で家に戻ると、音を立ててしまったのかユーラを起こしてしまった。
姿を見るや否や驚きの声を上げる。
「――じゅり!!どうしたの!?どうしてここに!?おにいちゃんがつれかえってきてくれたの?」
「いや、俺が探したわけじゃなくて偶然見つけたというか……」
そう、ゼントは自らの意思でジュリを探し出したわけではない。
なのに、見つけたら丁重に匿おうとしている。一度は見捨てておいてなんと虫のいいことか。
隠しきれない罪の意識が後々尾を引くことにならなければいいが……
混乱の中だったので感動の再会ともいかなかった。
感傷に浸るよりも場を凌ぐのに必死で何もしてあげられていない。
ひとまずユーラと協力してジュリを引き離した後、大剣も間違いなく回収したゼント。
未だ恐怖に支配されているようで、離れさせようとした際も暴れられてかなりの苦労があった。
しかし、それ以上に胸の喪失感を埋めてくれる存在に彼は歓喜を覚える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます