第154話『放棄』
「――おい、もういいだろ。早く持っているものを返せ」
森の暗闇の中、聞こえてくるのは雨の冷たいさざめきのみ。
唯一の灯りに照らされて、ゼントはライラに向かって終わりだと声を掛ける。
念のためしばらく待ってみたが何も起こらない。いや、起こりえないのだ。
適性が無い者がどう足掻こうと力が発現することは無い。
それを彼は身を持って知っていた。
「待ってゼント、もう少しだけ……」
「何度やっても同じだ。結果を受け入れろ!」
面倒なことにライラは諦めが悪く、何度も遠くから声を掛けても言うことを聞かない。
しばらく考え込んでは変な動きを繰り返している。どうやら近づいて無理やり取り上げるしかないようだ。
呆れたため息を吐き、ゼントは背後から歩いて行く。
そして肩を掴み、最後の警告をしようと思ったその時。
ライラはちょうど、何かしようとしている瞬間だった。
「えっと、確か……こう――!!」
……どうやってその動作を知ったのだろうか。
突然ライラは大剣を振り上げ同時に逆手に構えた。
そして間も無く、自身の身長よりも長い刃を地面に突き立てる。
こんなはずじゃなかった。その動きは恋人と完全に重なる。
大剣の中心に描かれた文字が薄っすらと光り、止めるにしてももう手遅れだ。
少女の何の変哲もない掛け声と共にそれは現れた。
――初めに聞こえてきたのは薄い氷が割れるような地面からの音。
そこからは刹那の合間。瞬きするよりも疾く。
鋭い刃のような凶悪が周囲を排除せんと出来上がっていく。
衝撃で歯を無意識にかみ砕いてしまいそうだった。
空気そのものを凍り付かせ、氷よりも冷たい大気が肌に突き刺さる。
まるで波を凍り付かせたように荒々しく、冷徹な魔術具の本性を現した。
それでもなお、薄い剣身は拍が剥がれることなく中心で美しく輝いている。
かつて魔獣に追い詰められた時、ライラは何度もその力で助けてくれた。
なによりも恐ろしく、なによりも頼もしい力。しかし流石に唐突過ぎる。
平易に伝えると直前に目に映っていた全てが凍り付いていた。
木、地面、体を打つ雨すらも。この場所の風景に凍ってないものなどない。
そして地面には使用者を中心とした円状に凶器が飛び出している。
一歩間違えればゼントも串刺しになっていたかもしれない。
さながら一面の銀世界。いや、そんな表現すら生易しい光景が網膜に映る。
その大剣は絶対零度で出来ているのか、そんな慄く声すら聞こえてきそうだ。
そしてその力の全ては我が物と語らんばかりに、中央に立つライラは不敵な笑みを浮かべていた。
そうこれが、これこそがゼントの恋人が使っていた魔術具の能力。
延いては氷山の奥深く、星規模の圧力で凝縮された魔石の引き出された力。
まさか再び現実で目にするとは思ってもみなかった。
同じ氷の魔術具の中でも殺戮的に構えた兵装。だが周りを巻き込むので個人戦闘向けだ。
出来た針のような氷で敵を貫くも、直接体を凍結させるも風采甚だしい。
どちらにせよ対峙した相手にとっては何も変わらない、死という理不尽な審判が下される。
ゼントは衝撃で咄嗟に屈み後ずさろうとした。しかしそれすらも叶うまい。
彼の足元は堅氷の如く凍り付き、地面に張り付き一歩も動けなかったのだから。
能力を把握していたとはいえ、頭の中は混乱で満たされている。
しかし、その瞳の奥は茂みの揺らめきを見逃さなかった。
「――やったよ、ゼント!これでよく分かったでしょ。これからこの剣は死ぬまで私の物……」
数秒の間の後、嬉々としながらも妖しげな声色でライラは口を開く。
夜の森に透き通った歓喜の声が響き渡る。がしかし――
肝心の欲しいゼントの声が返ってこない。
「まさかやっぱり無しとか言わないよね。あれ、ゼント……?」
ライラが振り返ると――そこに居るはずの彼の姿は無かった。
ふと下を見ると何者かが居たらしい靴の凍結跡が残っている。
そして足跡が森の奥深くへと向かっていた。
足元が固められた状態から無理やり力で抜け出し、凍った地面の上を数舜の内に走り去ったらしい。
付近にはゼントが持っていた角灯が落ちている。
形見の大剣を放り出してまで一体何故? その答えは足跡を辿って行けば分かるだろう。
直前まで破顔していたはずのライラの心は途端に虚無と帰す。まるでこの世に生まれたばかりの頃のように。
ただ静かに、痕跡に向かって足早に進む。口には出さずとも嵐のように猛烈な不満が読み取れた。
ゼントにすごいところを見せたかった。人にはできないことをやってのけ、そして認めてほしかった。
そんな純粋子どものような思いが彼女にはあったのかもしれない。
なのに……ゼントはどこへ行ってしまったのだろうか。
自分よりも気になることなど果たしてあるのか。
だとすれば非常に不愉快、できることならそれを早く消し去ってしまいたい。
一歩ずつ着実に原因に近づいていく。茂みのすぐ先に二つの気配を感じた。
光景を見たくない、そう心が警告する。何が起こっているのか想像できたから。
視界を遮る雑草を無造作に払いのけると、そこには――意中の人物が居た。
奇態な生き物と一緒に……しかもそいつと親しそうに抱き合って……
彼女の中の何かが砕け散った。次の瞬間、顔は人の限界を超えて醜く歪んだ。
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