第150話『稚拙』

 



 ――その日の夜、


 いつもはユーラが朝晩の食事作り担当している。

 だが今夜はゼントが率先して台所に立った。

 いや、彼女から仕事を奪ったと言うべきか。


 というのも、常に手を動かしていないと邪な考えが浮かんでしまうからだ。

 じっとのんびりしていると様々な想いが交錯し、自身の選択が合っているのか不安になる。



 ユーラもその気持ちを知ってか知らずか、すぐに調理の仕事を譲ってくれた。

 やるべきことを見つけてこなしていれば非情にも、心に掛かる暗雲を振り払える。


 そうだ、明日にでもライラと一緒にまた仕事に行こう。

 ユーラに送り出されて、採集でも討伐でも程よい難度の依頼をこなす。

 そして家に帰ってきて、温かい食事を食べて、二人で仲良く眠るのだ。


 ライラは神出鬼没でいつもどこに居るのか、いつまた会えるか分からない。

 だが町をほっつき歩いていればすぐに見つかるような感覚があった。

 町中を探そうと思えばそれはそれで気が紛れる。

 いつも通りに少しでも戻れるならゼントは何でもよかった。



「――それじゃあ、夕食にしようか」



 昨夜とは打って変わって二人きりの夕食。食卓机に皿を並べて、何一つ代り映えのしない料理たち。

 椅子を隣り合わせにして無言で食事を摂る。日常の光景なはずなのに、少し寂しく感じた。


 原因はおそらく、ジュリの為にと用意した背もたれ付きの椅子。

 食べづらいのか、長い間咀嚼していた姿が焼き付いていた。


 つい先程までそこに居たはずなのに今はいない、ただそれだけのはずなのに。

 意味が読み取れず聞き苦しかった彼女の声も、今となっては微かな手掛かりだ。




 ふと思考の歩みを止めて、新たに思い直してみる。

 何故自分は未だこれほどまでにジュリの事を考えているのだろうか。


 思えばサラの家の近くで出会った時からあの獣に対して妙な感覚があった。

 そして魔獣を逃がした翌日にも、なぜか心に突っかかるものを抱えていた。

 それはまるで自分の五感が壊れたのかと思ってしまうほどに、狂った感性。



 考えれば考えるほど、思考の整理という名目から遠ざかっていく。

 終わらない自問自答、そして一人議論はあらぬ方向へ。


 はて、自分は何のためにジュリを助けなければと思ったのだろうか。

 彼女はここに居るべき存在ではないのに……



 ……そうか、己自身が居てほしい、一緒に居たいと切に願っているからだ。


 では何故……


 もしかしたら入れ替わるように現れたジュリを現身にして、

 サラへの逢いたいという欲求を叶えているだけなのかもしれない。

 二度と会えないなら、それは多くの人間にとっては死んだと同義だ。



 無論二人は同じ存在ではない。だが共通点は多い。例えば――

 仮に失うものが何もないとして、ジュリが目の前の磔にされようとしていたら、刑場の柵を乗り越えて助けに行けるか?


 もちろんゼントは頷く。できる技量があるかはともかく。

 それがサラであったなら尚更。眺めている方が難しい。



 ユーラのことを思って、考えた抜いた末に追わないと決めたのはまだいい。

 しかし今の自分は何だ? 迷いの塊が頭蓋の中に満ちている。


 女々しくてどっちつかず、しかし未練がましく過去を追い求める態度。

 後悔するのは分かり切っているのに、手を出さないことにも思い残しがあった。





「――ねえねえ、おにいちゃんはじゅりがもどってきてくれたらうれしい?」


 自分で作った料理を口に運ぶ際中、自ら湧き出てくる想いに苦しんでいると隣から話しかけてきた。

 ユーラは微笑み、思いやりにあふれたような表情をしている。

 でも質問の意図がよく分からなかった。なんと答えればよいのかも。



「逆にユーラはどう思う?」


 そう質問を質問で返すのが精いっぱいだった。

 目の前のユーラが何を望んでいるのか分からなかったから。



「いてくれたほうがうれしい。にぎやかになるから」


 右往左往と迷っていたゼントとは対照的に、彼女は即答だった。

 でもあまり嬉しくはなさそうに見える。笑顔はなく、どこかぶっきらぼうだった。



「そうか…………」


「それで、おにいちゃんはどうなの?」


 この会話が有耶無耶になって流れてくれることを少し期待したが、どうやらそういうわけにもいかないらしい。

 どうにも回答しづらく、沈んだ気持ちで言葉を探す。どうにも自分の気持ちを表現しきれない。



「…………ジュリのことを考えると、彼女はここに居るべきじゃない。だから……」


 結局ゼントは答えることから逃げた。聞かれていたのはあくまで自分の気持ちだというのに。

 言葉にすることを躊躇い、具現化することを嫌い、心の奥底へと押し込んで蓋をしたのだ。

 どこまでも最低な人間だと言う自覚はあった。例えそれが事実だとしても。



「そっか、そういわれちゃうと、そっちのほうがいいのかもしれないね」


 無意識の内に感情が顔に出ていて、それを察してくれたのだろうか。

 ユーラは特に突き詰めたり疑問を呈したりはせず、柔和な姿勢で返してくれた。



「さあユーラ、食事も済んだことだしもう寝よう。ジュリならきっと今頃、町の外に逃げ果せたはずだよ」



 ゼントはユーラを……いや、自分自身に言い聞かせて安心させた。

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