第145話『不達』

 



 ジュリの体の汚れを拭きとるとバンザイの格好になる。すかさずユーラは白の服を上から被せ着替えさせた。

 その動きは以心伝心、しかし子供の面倒を見ているような気持ちにもなる。


 彼女ら二人の身長はあまり差がない。だが肩などの骨格に違いで服は肌にほとんど密着していないようだ。

 ジュリはかつて街で見かけた亜人のような姿になっていた。というかほとんど変わらない。

 特に違いも見られないのでもう彼女のことは便宜上、獣人と考えることにした。




 何はともあれ、一先ずこの場でできることは全て済ました。

 ゼントが次にやるべきことは……



「――よし、俺はカイロスに報告してくる。ジュリの処遇についても何かできることがあるかもしれない。その間にユーラにはやってもらいたいことがある」


「うん、なんでもいって!」


 頼られたことが嬉しかったのか、目の輝きを取り戻して辛抱たまらない様子。

 両拳に力を入れ、言葉通り何でも来いとやる気に満ちた構えをしている。

 その姿に幾分心が和みながらも真摯な態度で指示を伝えた。



「ジュリがなぜここに来たのか、そしてこれからどうしたいのか。聞き出しておいてくれるか?」


「え、なんで……じゅりはずっとここにいてくれるんじゃないの?」



「さっきは時間が掛かるから聞かなかっただけだ。もしかしたら元居た故郷に帰りたがっているかもしれないだろう?とにかく俺が協会に行っている間に頼む。いいか、ジュリの姿は誰にも見せちゃだめだからな」


「う、うん、わかった……」


 先程とは打って変わって意気消沈するユーラ。よほどジュリから離れたくないと見えた。

 しかしジュリにも個人の意思はある。危険な町中に居るよりは元居た場所の方が快適だろう。

 ついでに、ここへ来た理由も知りたかった。単純に町の状況を知らずに入ってきたのだろうか。



 会話をしながらゼントは再び外着に身を包み外出の準備をする。

 だが直後に一つ困った出来事に見舞われた。

 突然ジュリが片足に飛びかかってきたのだ。



「――うわっ、なんだよ!?」


 体の均衡が崩れる。一瞬何が起こったのか分からなかった。

 彼の視界にはジュリの体の色が……とうとう本性を現したのかと思ってしまう。

 が、どうやら襲い掛かってきたわけではなさそうだ。単純に足にしがみ付いてきただけ。


 倒れそうになるところを踏み留まる。そして改めて足元に目をやるとジュリが見つめていた。

 彼女はただひたすらに首を横に振り続ける。その動きは何に対しての否定か。



「――おいっ、手を放してくれ!」


 向かって命令する。しかしジュリは両腕でゼントの足を力の限り固く包み、一向に拘束を解こうとしない。

 人間の膂力では獣人に遠く及ばないだろう。無理やり引き離すには向こうが諦めてくれるしか手段がない。


 何かを訴えかけるその瞳には恐怖を灯していた。文字通り必死の形相だ。

 先程は死すら達観していたのに、今更何を怖がる必要があるのだろう。



「じゅり!さみしいのはよくわかるけど、おにいちゃんをこまらせちゃだめっ!!それにここにいればゆーらもいっしょにいるから、あんしんしていいんだよ」


 予想外の行動を取ったジュリを優しい声で宥める、が全く聞き入れてくれなかった。

 とうとう腰部分を掴んで引き離そうとした。だが当然びくともしない。

 ゼントは片足を動かせぬまま時間は過ぎていく。


 問題なのは何故こうなっているのかが全く分からないということ。

 こちらの言葉が通じても、向こうの意志は具体的に伝わってこない。

 ゆっくりと時間を掛けて対話する必要がある。

 その為にもまずは体勢を整えなければならなかった。



「――ジュリ、お願いだから一旦落ち着いてくれ、話を聞くから!」


 ゼントは足元を揺さぶられ、倒れないように姿勢を保つので精いっぱいだ。

 やむなく一歩引いてそのように要求を呑むことしかできなかった。

 するとようやく耳を傾けてくれる気になったのか、首を傾け狐疑逡巡と言った目で見上げてくる。



「落ち着いて、大丈夫だから。何が嫌なのかを教えてくれないか?」


 そこまで言葉を尽くして宥め、ようやくジュリはゆっくりと手を放してくれる。

 だがまだ怯えているようで離した傍から全身を震えさせていた。

 様子がおかしい、ただならぬ事情があるとしか思えない。



「もう!じゅりったら、ゆーらのいうことはきいてくれなかったのに……」


 その後ろでユーラがむすっとした表情で愚痴を零している。

 が、仕方のないことかもしれない。


 どうやらジュリは、ユーラではなく特にゼントに懐いているようだった。

 説明するまでもなく疑問は湧くが、理由はひとまずさておき。



 羽織ろうとしていたコートを部屋の壁に掛け、石造りの床に胡坐で座った。

 その正面にジュリは正座する。そして口を開け言葉を紡ごうとしていた。



「――ぁあ゛っう゛んがッ!!」


 しかし出てくるのは相変わらず金属同士を擦ったような、とにかく耳が痛くなる声。

 言葉は理解しているのに、発声が困難とはあまりにも残酷だ。

 とうとうゼントが声を上げる。寒気を覚えてしまいやむを得ず。



「ジュリ、本当に申し訳ないけどその声は耳が辛くて……できれば声を出さないでくれるとありがたい。伝えようとしてくれるのはありがたいけど、聞き取ることもできないんだ。こっちが二択の質問をするから、さっきみたいに答えてほしい」


 それを聞いたジュリはやはり、しょんぼり視線と耳を垂れる。

 だが自身でも理解しているのか、やりきれないながらも頷いた。


 時間が掛かるかもしれない。

 だが事情が分からない事にはこの先に進めないだろう。

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