第144話『未練』

 



 ――ひととおり体の隅々を見終わってゼントは一息ついた。

 だが一つ困った出来事がある。それはジュリの体毛の滑らかな感触。

 表面を毛の流れに沿って触れると艶があり、まるで抵抗が無く独特な感覚だけが手に残される。


 どうにもあの感触が忘れられない。無論ゼントは好き好んだ趣味はない、が――

 図らずも新たな方向の扉を叩いてしまったのかもしれない。



 見ていた中でも気になるのがやはり一本残らず切り取られた指だ。これでは物を掴むことも真面に狩りをすることもできない。

 このような状態で今までどのように生きてきたのだろうか。


 その理由は赤黒くなった断面を見ればすぐに分かる。傷口がごく最近のものだった。

 どうやら失ったのは最近らしい。鋭い角度と綺麗な断面、考えるまでもなく人為的なのは明白。

 卑劣にも指だけを狙い撃ちにする猟奇的な者が近くに居ると言うことだろうか。



 ゼントは一つ思い出したことがあった。こちらを嘲笑うかのように攻撃してくる正体不明の存在を。

 赤い悪魔――その行動は特に明確な目的も無く、ただ獲物を殺さず甚振るだけ。

 逆に言えばそれ以外に考えつかない。生き物は皆、ある程度合理的に生きている。



「――ジュリ、この手の先はもしかして、見た目が赤黒い奴にやられたのか?」


 ゼントは相当の確証を持って聞いた。そして予想は見事に的中。

 ジュリは静かにうなずいた。最大限の悲しみと憎しみをはらんだ瞳で。


 無くなった指を見られていた時、何かを思い出したのか複雑な表情をしていた。

 真っ直ぐに立っていたはずの耳は垂れさがり、尻尾は地面に垂れさがったままびくともしない。


 最近は遭遇することこそはなかったが、被害は確実に周りに出ているようだ。

 手段はともかく、奴倒さねばならぬ理由がまた一つ増えた。ユーラの為にも次に相まみえた時は今度こそ逃したくない。


 ゼントは一人覚悟を決めていると隣の部屋から物音がした。

 部屋の出入り口に目を遣るとそこにはユーラの姿が……




「――おにいちゃん!ようやくジュリに着せる服を見つけたよ」


 部屋で二人きり暗い顔をしていると突然、ユーラが元気な声と共に飛び込んで来た。

 手に持つのは白い簡素な服、教会で着替えとしていくつか預かった物だ。

 おそらくジュリ用の服を探して持って来てくれたのだろう。



 探していたとは言うがそれにしては時間がかかり過ぎている。

 もちろん陰で声を掛けるタイミングを見計らっていたのだ。

 内容までは分からなかったが、何か取り込んでいる声が聞こえたので合わせていた。


 だがその様子を見て彼女は驚きの声を上げる。

 片や自然の姿の動物、片やその体を触る人間。

 ユーラから見れば二人で肌の触れ合いをしていたのだから。



「お、おにいちゃん!な、なな、なにやってるの!!おんなのこのはだかをみ、みてさわるなんて!!」


 彼女は恥ずかしさで顔が真っ赤に、そして同時に手で隠された隙間から絶望が見える。

 その様子にゼントは自身が悪いことをしているような気持になった。

 そして狼狽える必要もないのに慌て、理由を並べては弁明する。



「いや、怪我を確認しようとしただけで…………それにジュリも了承してくれたし……見た目はほとんど獣人だから……」


「そうであってもおんなのこのはだかなんて、おにいちゃんはぜったいみちゃだめなの!!!」


 小さい部屋に甲高く響き渡る叫び声、気圧され意識が飛びそうになった。

 彼女は地団太を踏み両腕を暴れさせ、なぜか悔しがっている。


 隣に助けを求める視線を送るも、味方になるはずのジュリは若干頷きながらユーラに同意していた。

 思えば頼み込んだ時に逡巡があった気がする。本心では嫌がっていたのかもしれない。



「ほらじゅり、はやくからだをあらって、このふくをきて!おんなのこがぼろきれいちまいなんて、あんまりだよ!」


 ユーラは簡素な服の他に、もう一つ手に持っている布がある。

 それは水で濡らした大きなタオル。なぜ持ってきたのかはすぐに分かった。


 ジュリの傍に駆け寄るとすぐに彼女の体を拭き始める。

 どうやら体が汚れていたらしく、綺麗にしてあげようとしていたのだ。


 二人はいつも森の中にある池で体を洗うのだが、今そこに連れて出るわけにもいかない。

 少ない情報の中で賢い判断をしたと言えるだろう。



 ユーラは体の表面をわしゃわしゃと手軽にこなしていく。するとジュリの本当の姿が現れる。

 どういうことかと言うと、彼女の体毛は薄茶色だと伝えたが実は違う。実際には泥で汚れて茶色く見えただけだ。


 ユーラの服に泥がついていたのは、おそらくじゃれ合っていたからだろう。

 ゼントも自分の手を見ると乾いた泥がついていた。

 雨でぬかるんだ地面を素足で移動していれば仕方がないのかもしれない。



「――ほらおにいちゃん、こんなきれいになったよ!」


 ユーラの手によって露わになる真の美しくしなやかな体毛。頭の先から足の先まで、その色の名は純白。

 いや、目を凝らしてみると正確には毛の全体に薄っすらと赤みがかっていた。

 きわを見ると輪郭を縁取るように赤くなっており、それがよく分かる。




 若干の橙が入った赤、サラの髪の毛と同じ色。不意に悪い感情がゼントには浮かぶ。

 おそらくジュリは彼女の居場所を知っているはず、でもきっと教えてはくれない。


 生きてはいると教えられ一度は納得した。生死不明よりかはよほどましだ。

 だがよくよく冷静に考えると、理由も分からずお別れというのはどうにも気持ちが晴れない。

 ジュリが魔術具を持っていた理由も結局謎のまま。


 どうにかしてサラに会いたい。もう二度と会えないのだとしても、お別れの言葉くらいは伝えたい。

 後腐れなくジュリと接するためにも、簡単に諦めたくはなかった。

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