第142話『謝罪』

 



「――じゃあね、これからいっしょにすむんだから、ゆーらがあなたになまえをつけてあげるね!」


 大まかだが今後の方針が決まりこれから行動を起こそうとしていた時、ユーラが獣に対し声を大にして宣言しだした。

 名付け、確かにずっと呼び方が曖昧になっている。必要性は理解もできるが……



「ゆ、ユーラ、ちょっとそれは……」


 ゼントが引き気味に首を振りながら青くなっている、それもそのはず。

 正面に居る獣もゼント同様、いやそれ以上に首を振り拒絶していたのだ。

 だがユーラは気にすることなく、一人で早く話を進めようとしている。



「なまえは、はじめてみたときからきめていたの!“じゅり”っていうのはどう?むかしみたものがたりのなかに“でてくるじゅりあ”っていう、おひめさまのなまえからとったんだよ!」


 ジュリア、ジュリ……ゼントはその名前に聞き覚えがある。前に神官長から聞いたユーラお気に入りだった恋愛物語。

 その現れ出でる感性は悪くないのだが気になる不安がかなり多い。例えば……性別、



「ユーラ、その……そいつは男かもしれないからその名前はちょっと……」


「だいじょうぶ!うしろあしのつけねをかくにんしておいたから、まちがいない。このこはちゃんとおんなのこだよ」


 ユーラが自信を込めて声高々に言った瞬間、獣は慌てて内股になり着ていた布と両手で局部を隠した。

 嫌悪しながらも顔は若干赤らめて……いる気がする。

 服はぼろ布一枚でほぼ裸も同然だが、やはり恥ずかしいという感覚はあるらしい。


 亜人は全裸で過ごしても気にしないと聞いたのだが、彼らとも違う存在なのだろうか。

 しかし依然と獣は勝手に付けられた名前に対し首を振り、激しい拒絶を続ける。



「ユーラ、多分だけどそいつには元からの名前があるんじゃないのか?」


「そうなの!?だったらあなたのおなまえをおしえて?」


 ゼントの話を聞くや否や今度は見事な手のひら返し、すぐに切り替えて目の前に輝かせた視線を向ける。

 すぐに獣は頷き口を開く。不慣れながらも必死に何か伝えるように。

 だが出てくるのは聞くに堪えない低く濁った声。



「………ぁ…あ゛、ら゛ぁ……」


「あら……ちゃん……?あらちゃんっていうの?」


 数回聞いてなんとかききとったのか優しく疑問の声を掛ける。

 ようやく名乗ったかと思いきや、首を横に振るだけの獣もとい彼女。

 よく分からないが何かが違うのだ。残念ながら細部までは言いたいことは伝わらない。

 ユーラは口を尖らせ不満げに首を傾けると癇癪紛いに声を上げた。



「ちがうの?それじゃわからないよ!とりあえずこれからは“じゅり”ってよぶね!ほんとうのなまえがわかったらおしえてね!」


 平然を装いながら言い放つが態度からは感情があふれ出している。

 そして自分の思い通りにならなくて喚く子どものように、隣に部屋に走って行ってしまった。

 一方の部屋に取り残された二人。さぞ居心地が悪いことだろう。


 ユーラの突然の不可解な行動に目を丸くしている。しかしゼントは同時にこの時間を好機と捉えた。

 どうしても流さずにやっておきたいことがあった。赦されざることをしてしまった罪を少しでも償うのだ。



「……えーっと、その、ジュリ……ちょっといいか。昨夜のことで言いたいことがあるんだ」


 ゼントがしようとしていた事、それは誠意を見せるための謝罪。

 しかし彼女――もといジュリは怪訝な瞳をしている。何を言いたいのかはなんとなく分かった。ジュリという名前が気に入らないのだ。



「いや、他に良い呼び方がないから……とりあえず家の中ではこれで……」


 目は口程に物を言う、とは聞くがこれなら最低限の意思疎通は可能かもしれない。

 だからと言ってどうしようもないのも事実。名前が分からないのならこうする他なかった。

 向こうも諦めてくれたようだが眉を下げ落ち込んでいる。体毛も心なしか覇気が感じられない。


 頃合いとはとても言い難いが今しかできる時間がない。

 彼女の正面で正座になって潔く頭を下げた。



「――昨夜は確認もせず襲い掛かったりして本当に悪かった!!魔術具を持っていたから勘違いして……その上さっきも安全を優先してお前を追い出そうとした!許してほしいとまでは望まない、だけど償いの機会をくれないか?」



 先程までは感情が熱くなってしまっていた。仇が目の前に来たと思い込み、燃えるような怒りで我を忘れてしまっていた。

 だがユーラの横入りのおかげで大事に至らずにはすんだ。自身が感じていた疑問の蓋を開けてくれたのだ。


 そして冷静になればなるほど、自分の犯した罪の重大さに嫌でも理解させられる。

 彼の顔は今真っ青に染まっている事だろう。本当に生きているのか自身で疑問に思えるほど。

 だから謝って済むような内容ではなくても。何を置いてでも謝罪だけは確実にしておきたかった。



 相手は言わば大きい肉食獣、下手なことをすれば襲われてしまう、と普通の人は怯えるだろう。

 だけどゼントはある程度なら容認する。あれだけのことをしておいて、沙汰が何も無いのは道理にかなっていない。


 未だに情報が多く頭が混乱していて、頭痛すらもある。サラが消えた事、そして魔術具を持って現れた彼女。

 思考を整理するにしてもどこから手を付けたら良いか見当もつかない状況。



 額が地面に付くほど深く頭を下げるゼント。

 これは決して無様ではない。強いて表すのなら真っ直ぐな実意だ。


 それだけしかできない彼に対しゆっくりと歩きながら近づいてくる。

 今なら不意を衝いて仕返しをする絶好の機会、そしてその権利が彼女にはあった。

 だがゼントの前までゆっくり寄り添うと、しゃがんで頭の近くで囁くのみ。




「――らぁ、い゛おーぅ゛……」


 そう言いながら首を垂れるゼントの頭にポンっと手のひらを乗せてきた。

 もしかしたら彼女なりに慰めてくれているのだろうか。


 “だいじょうぶ”なぜかそう言ったように聞こえた。なんとなくであって確信があるわけでもないが。

 むしろそう言っていてほしいという願望が彼に幻聴を齎したのかもしれない。

 どちらにしてもこの先、罪悪感は消え去ることなくゼントを延々苛むことだろう。

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