第141話『棄民』

 



 ――それからゼントは獣の縄枷を剣で切って解き放った。

 手足や胴体には縄の跡が残っている。解けないようにきつく結びすぎてしまった。

 そのことを申し訳なく思いつつも、仕方がなかったと自分に言い聞かせるのが精いっぱい。


 獣はすぐに立ち上がり二足歩行で部屋の中を歩き始める。その姿だけ見て亜人と言われても違和感を持つことはなかった。

 もう襲われるだなんて考えも、嘘を吐いているかもしれないという疑惑も頭にない。

 ユーラの言った話も合わせて信じてみることした。



「――ねえおにいちゃん、もうしゃべってもいい?」


「ああ、もちろん」


 横で終始うずうずしていたユーラが満を持したように口を開く。対してゼントは優しく声を返した。

 約束通り尋問の最中ずっと口を出さないで居てくれた彼女。服についている泥を顧みず、真剣な眼差しで問いかける。



「なにがあったのかはよくわからないし、くわしくもきかない。けど、もしおにいちゃんがわるいとおもってるなら、このこをいえにおいてあげてくれないかな?」


 それは哀切を感じ取ったからこその願い。


 ユーラとゼントの関係は昨夜まで溝があった。だが今はこの出来事でお互いの意識が薄れている。

 そういう意味でも突然現れた獣には感謝しなければならない。

 だから機会を最大限有効活用したかった。だがユーラの願いを叶えることには壁が立ちはだかる。



「ユーラ……申し訳ないけど訳あってそれはできない。今この町には亜人の立ち入りどころか、彼らと話をすることも許されてない。なんにしても、姿が似ている者と一緒に居るところを見られたら最悪俺たちも殺されかねない」


 すると会話を聞いていた獣は何かを悟ったようで、極めて罰の悪そうな表情をした。

 顔からはそこまで変化は見られないが、立ち尽くす様子から悲愴感が窺える。

 そしてやはりユーラも黙ってはいない。ゼントの体にしがみ付いて揺すりながら説得する。



「でもっ、でも。そしたらこのこがひとりみつかってもころされちゃうんでしょ!?そとにおいだしたらたぶん、このけがじゃひとりでいきていけないよ!」


「――だから普段は裏の森の中に居てもらって、夜中にこっそり食料を渡したい。もちろん治療の為の薬も提供する。欠損した指はもう戻らないだろうけど、他の怪我は完治できるはずだ」


 それは彼が必死に考えを巡らせ、一番の策を模索した末の結論だった。

 一見妥当にも思えるが、出された案には露骨な保身が見られる。それだけではユーラも納得しない。



「――そんなのぜったいだめだよ。ねえおねがい、ここにすまわせてあげて!」


 ゼントはユーラの為に安全を第一に考えていた。それが今、彼の唯一と言ってもいい生きる理由だから。

 妥協は沢山あるものの、優先順位は常に決まっている。もし彼女を失ったら自ら命を絶つことも厭わないだろう。


 もちろん獣に対して罪の意識はある。しかしこれは別の問題だ。

 だから例えユーラが気に入っている生き物であろうと、危険の要因であるならば極力遠ざけたい。

 それが彼女の為であり、延いては己の為でもあるのだから。


 だがそのユーラが懇願する。自ずと進んで危険を犯せと。

 いや、そうではない。ただ家に置いてあげるべきと強くお願いしているだけだ。



「ここはめったにひとがこないでしょ。もしきてもにかいにかくれてくれるはずだから。それくらい、このこはかしこいからだいじょうぶ!」


 現在昼夜を問わず、町には自警団や冒険者が血眼で魔獣と思わしきものを探している。

 ゼントは森で獣を過ごさせようとしたが、無論森の中にも捜索の手が入るだろう。

 死に近いという意味では誰よりも獣が当てはまる。匿うのが理性ある者として当然の道理なのかもしれない。


 いや、ユーラが危険を冒してでもすべきといったのだ。

 ゼントが無実の獣を仇とみなし、制止を振り切って感情的に動いたように、

 そこには理屈というものを超越した領域なのだろう。



 ふと横に居る獣に視線を遣る。性別も名前も正体も分からない存在を。

 見ると二人の口論にも近い会話を黙って聞いているようだ。

 ゼントにはその俯いた隙間から見える瞳が、どうにも辛そうなものに見えてしまった。



「ユーラ、分かったよ。とりあえず今日一晩は様子を見る。それで問題なさそうならば今後も泊める。それでいいか?」


「うん、うん!おにいちゃん、ありがとう!」


 結局、ゼントは彼女の言いなりとなってしまっていた。

 だが再び見られるユーラの心の底からの笑顔、これだけでも危険を冒し頷いた価値があるというもの。


 嬉しい気持ちとこれでよかったのかという疑念、複雑に胸の中で入り乱れるが今更後悔しても意味がない。

 隣に居た獣も息をついて隠れて胸を撫で下ろしている。やはり森の中よりは家のほうが安全なのだろう。



 町の住人は魔獣が出たという情報に踊らされ、かつてないほど恐怖している。

 実は見間違いだった、と言ってもいいがまた信用が更に堕ちるだろう。

 今一度、冒険者としてやっていくためにもそれは避けたい。一体どうしたものか……


 兎にも角にも、ゼントは指名手配犯を家に匿っているのと同義だ。

 信頼できる人以外、誰にも露見してはならない。最悪の場合は物理的な口止めも……

 ユーラを護るためなら彼は決して容赦しない。そうならないためにも秘密は絶対守りきるのだ。

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