第140話『誤認』

 


 ――例えばだが、こんな言葉がある。“親しくならなければ辛いこともない”

 そもそも関わらなければ、少なくとも別れを惜しむことも無かっただろう。





「――おい、口は……聞けるはずもないよな」


 起き上がった獣に対し、ゼントは早速覗き込むように自身の姿を目に焼き付けさせる。

 相手にとっては一番の気付けだろう。手足をそれぞれ縛られ壁の隅に寄りかかるように座っていた。

 細い胴体や手足は置かれた境遇を表しているのかもしれない。


 ゼントを視界に入れた瞬間に暴れるでもなく、まるで全てを受け入れたかのように大人しく見つめ返してくる。

 昨日のことを忘れているわけでは無いようだ。そして襲う気もないのだと分かった。

 先んじて、まずは落ち着かせるため冷静に声を掛ける。



「ここで暴れない限り、俺はお前を殺す気はない。もし話ができるならいくつか質問したいことがあるんだ。肯定なら首を縦に、否定なら横に、質問の意味や答えが分からないなら何もするな」


 獣は達観した碧い瞳を見せたまま、ゆっくり首を縦に振る。どうやら言葉は通じるらしい。

 ゼントの誤認が一つ正された。だが言葉を放そうとはしない。もしかすると喉も潰されているのか。

 でも助けると確約したわけでもない。とにかく傍らで見守るユーラと共に尋問を開始した。




「――お前は亜人か?」


 まず確かめたかったこと、それは奴の正体。

 範囲の広い回答は答えられない。

 二者択一の質問だけで進めるしかなかった。


 だが、獣の首を縦には振らず横に音もなく動く……

 その瞬間、ゼントは横にあった剣を突き付ける。

 奴の正体がほぼ間違いなく確定したから。



「じゃあ……お前は魔獣なんだな?」


 切っ先を喉元に近づけて慎重に尋ねる。

 面倒なことにならないように、ユーラには事前に手も口も出さないと約束させた。

 ゼントもこの場では殺さないと交換条件で。



 だが予想に反して獣は首を縦に振らない。

 言葉の理解が及んでいないのかと思いきや、

 相手はとうとう頭部を横に振った。



「――なっ!?」


 ゼントは驚きを隠せない。仮にもし魔獣という単語が分からないなら何もしないはず。

 つまり、目の前の存在は亜人でも魔獣でもない。だが他の分類は世界には存在しない。

 未知の種族だということか?あるいは……



「……おい、時間がもったいない。嘘なんか吐いて時間を取らせるなよ」


 獣は慌てて首を横に振る。嘘はついていないと言うことか?もう訳が分からない。

 すぐ隣のユーラも何か言いたそうだったが、健気に口を噤んでいた。

 どうせ何もできない、緊迫するだけ損だ、と剣を降ろす。



「もうこの質問はいい。何故お前はサラの魔術具……持ち物を持っていた?えーっと、赤い髪の人間を町の外で襲ったか?」


 また首を勢いよく首を振る。先程から一切質問に当たりが無い。だがまた一つゼントの罪が暴かれる。

 ユーラが止めてくれなければ、関係ない生き物を殺してしまうところだった。

 それでも嘘を吐いている可能性も否めない。清算は後回しにしよう。



「……念のため聞くが、サラという人を知っているか?今言った赤い髪の人間だ」


 すると、とうとう獣は首を縦に振った。少なくとも関わったことがあるのだろうか?

 思えば初めて会った時もサラの家のすぐ横の路地。偶然かも分からない。

 しかし彼女は周知の亜人嫌いだ。このような見た目の者と交流を持つとも思えなかった。

 あるいはそれほどまでに追い詰められているのかもしれない。


「お前が持っていた短杖はどこで手に入れた。サラから奪った、あるいは渡されたのか?」


 首の動きは横に、では他に考えられるのは拾ったとか?

 謎は更に深まるばかり。でも強奪したわけでは無いらしい。



 そして次だ。次が一番大事な質問だ。この質問次第でゼントの精神はどちらにでも傾く。

 爆ぜるような心臓を圧縮するように押さえつけながら慎重に尋ねた。

 彼の瞳は芯を取り込み、鋭く相手の碧眼を見つめて。



「――サラは……生きているのか?」


 そして奴は……首を激しく振る。真っ直ぐ上下に……

 つまり生きていると言うことだ。なぜ言い切れるのかこの質問だけでは知る由もない。

 しかしまだ安心できない。緊張を解かずゼントは続けざまに問いただした。



「サラはどこに居るんだ!お前は居場所を知っているのか!?」


 再び頷く、流れが来ている。

 このまま押し切れば……



「だったら……お前の拘束を解いたらそこまで案内してくれないかっ!?」


 必死の懇願だった。しかし――

 首は惨めに横に動く。残酷な啓示だった。

 納得しきれずゼントは詰め寄る。



「なぜだ!?もしかして俺がお前に酷いことしたから……?恨んでくれてもいい、金でも労働でも俺にできることなら何でもするからどうか教えてくれ!!」


 それでもなお、獣は首を横に振る。やはり頭無しに動いた報いなのかもしれない。

 だがまだあきらめきれなくて他の案を模索した。



「……なにか、俺に教えられない理由でもあるのか?例えば本人が知られることを望んでないとか……」


 だがまた否定の合図、横に振る。つまり教えられない理由はないが、教えない。

 なおも黙秘すると言うのか。殺されてもおかしくない状況だというのに。

 死を脅しに使えないのでは梃子でも聞き出せないだろう。ではこのまま闇と消え去るのか。


 ……到底受け入れられない。でも手掛かりは今のところ目の前の獣だけ。

 否応なしに苦い汁を啜らなければならなかった。でも全ては己が悪いのだ。

 ため息と共にしばらく頭が真っ白になった。みっともなく落胆しながらぽつりと愚痴を吐く。



「――やっぱりお前は俺の仕打ちを恨んで……」


 しかし相手は予想と反して首を素早く横に振る。恨んではいないのか。

 だとしたら余計に謎が深まる。他に教えられない理由でもあるのか。



「……分かった、じゃあこれで俺からの質問は最後にする。サラとりあえず今も生きていて、これからも健やかにはやっていけるんだよな?」



 ……するとどうだろう。しばらく待って見ても、獣の首は縦にも横にも動かない。

 ただ寂しく瞳を見つめ返してくるだけ。そこは嘘でも素直に頷いてほしかった。



「まあ、そうだよな。未来のことなんて誰も分からないよな」


 隙間から零れた言葉を聞くと、すぐに獣は激しく首を振る。これにはゼントも流石に頭を抱えた。

 もう適当に首を動かしているのでは、と疑ってしまうくらいに何がしたいのか分からない。

 分かったことと言えば、サラはどこかで生きている事。だがこれだけでも大収穫だ。


 この獣は無実だった。ただ、ゼントの独りよがりで槍玉にあげていただけ。

 頭に血が上ってどうかしていたとはいえ、どう償ったものか。

 加えて魔術具を持っていた経緯や正体は分からず仕舞い。問い詰めていくのは骨が折れそうだ。



 ――そしてまず次に考えるべきこと、それはこれからのことだ。

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