第137話『依怙』
――ゼントの頭の中には今、復讐の二文字しかない。
獲物が都合よく部屋に現れてからというもの、目が血走り頭の思考は完全に固定化される。
固く施錠された重厚な扉で自身を守る体勢だった。考えなしの傀儡のように
「――ユーラ!目と鼻を塞げ!!」
部屋の中で大きな掛け声を出し、同時に粉の入った袋を正面の魔獣に投げつける。
投擲は見事に魔獣の頭部に当たり、衝撃で袋が破けて中身が宙に飛散した。
辺りには白っぽい煙が立ち籠り、手で顔を覆っても鼻を刺激臭が抜け呼吸が苦しくなる。
だが、魔獣にとっては更に辛いはずだ。死にも匹敵する苦痛が相手を襲う。
「――あぎぁあ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーー!!!」
すぐに魔獣からまるで人間の女性みたいな悲鳴がでてくる。だが聞くに堪えないものには変わりない。
激しい金切り声が飢えた獣のように、鼓膜目掛け突き抜けて耳を劈いた。
物を掴めない手と前に突き出た顔では、鼻も口も塞ぐことはできまい。
苦しみながら悶える姿に在るはずの無い嗜虐心がそそられる。
だが何があるか分からないので、今回は速やかに息の根を止めるべきだ。
この機会をくれたライラには後で十分に感謝しなければならないだろう。
…………数舜という小さな時間が経ち、気が付くとゼントは部屋の入り口で棒のように突っ立っていた。
視界がぼやけ、目の前の空間が水のように揺らいで見える。どうやら頭が混乱しているようだ。
そのぼやけた視界の中にあの魔獣の気絶した姿が見えた。腹を見せ無様に床に転がっている。
ようやく臭いにも慣れて来て、ゼントは凝りもせず再び歪んだ笑みを浮かべた。
ユーラは顔の防御が間に合わなかったのか何度もむせて咳き込んでいた。
苦しんではいないことが幸いだが罪悪感はそうそう消えない。
だが今はそれよりも復讐の仕上げが最優先とでもいうように、ゼントは腰に手を掛けた。
「――よくものうのうと俺の前に姿を現わせたな!後悔しながら死に絶えるがいい」
ゼントは突き殺そうと剣を逆手に持ち、天井に届くほど高く振り上げる。そして両手に力を籠め全身全霊で突き下ろす。
無論それほどまでに力を入れる必要は無い。鋭い剣は軽く下ろしただけで肉を抉り致命傷を与える。
ただ、そうでもしないと気が収まらないのだ。明らかに感情だけで動いている。
ほんの前に誰かがゼントはおかしいと言っていた。
事実、彼は誰が見ても精神に異常をきたしている。
サラの為と言って、反撃もしてこない生物を虐殺しようとしたり、
獲物を逃した時に、世界の終わりとでもいうような表情をしていたりと、これは自明の理だ。
そして今もユーラと共に居るのに、頭を一切使わず、問答無用に殺そうとしているのだから。
彼はもう、眼前で予想だにしない出来事が起こらない限り止まることはない。
そう、予想外のことでも起きなければ……だ。
「――――おにいちゃん!!だめぇー!!!」
両腕を振り下ろそうとする直前。すぐ横から迫るよく聞き覚えのある声。
もちろん想定などしていない。だが何が起こったのかは明快。
咳き込んでいたユーラが、ゼントの足元に体当たりして邪魔をしてきた。
「――おおぁ!?」
流石のゼントも予期できるわけがない。片足立ちになり左右の均衡が崩れる。
胴体は剣と共に真横に倒れ、頓狂な声をあげながら硬い地面に打ち付けられた。
武器が彼女に当たらないように制御するのが精一杯だ。姿勢が制限されて受け身が取れなかった。
頭を守れず軽い脳震盪が起こる。一時的に意識が混濁して、己は今何をやっているのかすら分からなくなる。
だがユーラはそんなことはお構いなしだ。倒れたゼントに馬乗りになり、顔を真っ赤にして堂々言い放つ。
「――やめてよ!ゆーらのおともだちにひどいことしないで!!!」
可愛らしくも咆哮のような怒りに満ちた声、甲高い音に更に混乱が重なった。
ゼントは相変わらず思考が定まらない。怒声だけは頭に響いてくるものの、なぜユーラがそんなに怒っているのか分からなかった。
そのまま数秒という時間が経ち、ゼントは体に乗ったユーラを押しのけ再び立ち上がる。自分が今、何をすべきか思い出したからだ。
そして剣を今度は順手で持ち上に振り上げた。だがまた邪魔が入る。
ユーラが……、一度は押しのけられたが彼女が獣とゼントの間に割り込む。
両手を左右目一杯に広げ、まるで健気に守っているようだ。
足は竦んでも双眸には涙を抱え、様子がおかしい彼を恐ろしく怖がっている。
だが、ゼントは関心がないのか静かに言い放つ。
その声は普段のゼントらしさはなく、無感情で冷たい機械のような声だった。
「悪いがそこをどいてくれ。早くそいつを殺さないと……」
「やめてっていってるの!!こんなにからだじゅうけがしてて、はやくてあてしないと……!!」
残念ながらその必死の言葉は大して理解されていない。
今のゼントは虚ろな目でユーラを見つめている。
もう邪魔な存在が正面を塞いでいるのだとしか思ってない。
左右から回りこもうとするが逐一ユーラが壁のように立ちはだかる。
何度やってもそれは変わらず剣幕を以て睨め付けてきた。
苛立ちが溜まりゼントはとうとう剣を持った手を振り上げる。
金属に反射した光が残酷に辺りに浮き上がった。
ユーラも覚悟を決めたのか腕を広げたまま目を強く瞑った。
まさに場は一触即発、どのように転んでも良いことは残らない。
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