第136話『諧謔』

 



「――中に入っているのは催涙効果のある粉。刺激臭で持っていれば人間以外の生き物は好んで近づいてこないし、もし襲われても相手に投げつければ苦しませた上に気絶もさせられる。人間にはあまり効かないから気を付けてね」



 突き渡された小袋、口を開いて中身を見てみると色とりどりの磨り潰された粒。

 臭いを嗅いでみると遠くまで影響はなくとも強烈な刺激臭。

 ゼントはなんとなく使用方法が分かってしまった。


 目潰しや時間稼ぎなど、攻守どちらにも使える支援向きの小道具。それは奇しくもサラが使っている手法に近かった。

 ふと先日の二人きりでの依頼を思い出してしまう。思わず留めていたはずの涙が出てきそうになった。

 二人の間に変わった空気が流れて、気まずくなってゼントはつい下を向いた。



「ゼントが前に亜人は嫌いって言ってたから材料の植物を集めて手作りしてみたの。これなら役に立つでしょ?」


 何とか歯を食いしばり堪えているが、相手の心情など露知らず。

 通りの傍ら、優雅な物腰で正面から言葉を並べる。



「あ、ああ、とても……」


 ゼントは片言で答えながらも同時に焦った。自分が亜人嫌いなはずがなかったから。

 だが少し前に咄嗟に付いた嘘のことを思い出す。

 サラの前で上手いこと流そうとしたが、結局どうしようもなくなってついてしまった会話を。


 ライラはその譫言を本気で信じてしまっている。誤解が変なことにならなければいいのだが。

 しかし、その贈物は今やろうとしていることに役立つことも事実。特に魔獣相手にはかなり有効になるだろう。

 わざわざ彼女が作ってくれたのだ。そのお墨付きの効果たるや威力は計り知れない。



「それじゃあ私は手を出せないけど頑張って。徹底的に“あいつ”の希望を、未来を、ゼント自身の手で断たせてあげてね」


 何か嬉しいことでもあったのか、またしても意味深な態度。何故ライラは瞳を輝かせて言っているのかわからない。

 因縁でもあるのだろうか、しかしまだ分からないことが多すぎる。

 推察できるのはあいつとはおそらく魔獣だということくらい。諸々の事情は少なからず理解しているようだ。



「ああ、分かったよ……」


 一先ず、発言の細かい意図までは分からずとも軽く言葉を返しておく。

 どちらにせよゼントも同じことを考えていた。魔獣には代償を支払わせるのだと。


 彼女から協力を得られないと早とちりし、冷たい態度を取ってしまったので気まずかった。だが向こうは気にしていない様子。

 ライラは満足したのか、すぐ横の住宅の隙間に消えていく。


 そういえば彼女はどこに住んでいて、いつもは何をしているのだろうか。

 ついでに聞いてみようと思って去った方向を見遣るも、既に路地に姿はなく無人の寂れた空間があるだけ。

 後を追ってまで聞く内容でもないので今回は家までの帰路を急ぐことにした。





 家にこっそり入るとユーラへのただいまの掛け声も物音も無く、まずはサラの魔術具を大事にタンスの引き出しの奥にしまう。

 この家には今、貴重品の魔術具が二つもある。町にはこれだけしか存在しない物だ。

 セイラから預かっている金貨同様、絶対に盗まれない場所に隠しておかなければならない。



「ユーラ、ただいま!」


 とりあえずは簡単な場所に隠してから、初めて声を掛ける。彼女には少しも関わらせたくなかったから。

 思えばいつも帰ってくると同時にユーラの姿を見ていたが、最近は声すら返ってこないことも多い。

 ようやく兄離れをして自立できてきた……と考えてもいいのだろうか。


 今回も例に漏れず、声が返ってこない。寂しい気持ちがなくもないがきっとこれはいい傾向なのだ。

 だけど安否確認の為に返事をしてほしいとも思うゼント。念のため隣の部屋に確認しにいく。

 だが何も心配はいらない。隣の部屋へ近づくと、彼女の元気で明るい声がすぐ聞こえてきたのだから。




「――だいじょうぶ!おにいちゃんならきっとうけいれてくれる!そうじゃなくてもゆーらががんばってせっとくするから!」


 その声を聞いてゼントは不思議に思った。耳に入って来るのはまるで会話のようだ。

 彼女は家で一人、留守番していたはずなのに一体誰と会話しているのだろう。

 一人で微笑ましくままごとか人形遊びでもしているのかと思った。



 なんだかその温かさがゼントにも伝わる。同時に、寂しい思いを強制してしまっていることも。

 早く顔を見せて安心させてあげよう。何も考えずに隣の部屋に入った。

 そこにはいつものユーラの姿が……



 あるはず、だったのだが――



 ――その光景を見た瞬間、ゼントの全身は鋼のように強張り、心は決死の覚悟を決めねばならなくなった。


 ユーラの方に特には異常が見られない。死活問題なのは彼女の傍に居た脅威だった。

 つい最近見たばかりの存在、角があり、大きな耳があり、全身に生える薄茶色の体毛。

 そして体中に薄く蔓延る生々しい打撲痕、纏うほつれたぼろ布を見れば誰だって見間違いはしない。



 ――いまなお慄然とする元凶、昨夜見たばかりの魔獣だった。



 そこからゼントの行動は息をもつかせないほど早かった。

 魔獣はユーラのすぐ傍に居てゼントの存在には気がついている。

 だがユーラは襲われておらず、逆にゼントに対して手を前面にして防御の姿勢をとっていた。



 そんなもの今のゼントは合って無いものと同等だ。なぜなら彼には今秘策の道具を持っているから。

 腰に掛けていた剣を手に持つ……のではなく、懐から小さな袋を取り出した。


 まさにたった今、手に入れたばかりの効果てきめんの道具。

 まさか、ライラはこのことを知っていたのではあるまいか。

 そう強く疑わざるを得ないほど完璧な渡すタイミングだった。



 これで確実に殺せる。サラの為の復讐を果たせる。

 ゼントは満ち足りぬ怒りを感じながらも、そう信じて疑わなかった。

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