第132話『雷光』
――ゼントは足に込める力を強めていく。
残念ながら武器を持っていないのでとどめはさせない。蹴り殺せなくもないが時間が掛かる。だから家まで取りに戻る必要があった。
顎の骨を砕けばこれ以上被害が出ることも無いだろう。そして行動不能と激痛を与えることができる。
一先ずこいつを家まで持って行って、それから確実に無残に殺そうと考えていた。
剣で薄く撫で切りながら、その意識がある最後の時まで激痛と苦悶からは解放させたくない。
それだけの事をこの獣はやってくれた。赦すことなど到底できない。
痛みで目が覚めたのか魔獣が暴れはじめる。気管を潰され呼吸もままならない状態で当然だろう。
命が風前の灯のように精いっぱい散り咲く。だが油断する事無くゼントは頭を押さえ続けた。
「――抵抗するのか、サラを殺した分際で?まあいい、最後に何か言い残すことはあるか?」
何度も言うが相手は魔獣、人の言葉など伝わらない。それでもゼントは常軌を逸した言動を慎めなかった。
恩師を殺した相手に、慈悲など要らないだろう。とにかく、自己満足でもいいから最大限の屈辱を与えたかった。
「――い゛あ、う!ぅあ゛、ぁい、がッ!!ぁらぁ゛!!」
地面に横たわる魔獣、四足をバタつかせ体を捻り脱出を図る。
顔の上部は泥の中にめり込み目も耳も開けられない状況だろう。
魔獣は力を振り絞り、口は閉じたまま喉から唸るような声を出した。
最後、必死の抵抗を見てゼントは自分の内にこみ上げる恐怖をふと覚えた。
魔獣相手に何を悠長にやっているのだ。早く終わりにするんじゃなかったのか、と。
これでは復讐を楽しんでいる異常者だ。周りを狂人だと笑えない。
終わらせよう。
ゼントはできるだけ残忍に、そして確実に死に至らしめるように足を地面に押し込もうとした。
顎の骨が一回、二回と折れ、甲高く不快な音を立てる。雨の中でも周囲の壁に共鳴し、嫌でも耳に入って来る。
構わずに力を更に入れ、あと一歩で足と地面の土が接するだろう。
だがその時――横から意識外の攻撃が迫る。
それは地面の泥に塗れ、暴れていた魔獣が体をしならせて、今度は逆に蹴りを入れてきたのだ。
ふわっと先端が掠るかどうかの勢い。だが足先には爪がある。
ゼントは反応が一瞬遅れたが、速度も遅いので咄嗟に手に持っていた短杖で迫る足を払った。
抵抗はそれで最後かと思われたが、まだ始まりですらない。直後に不思議な現象が起こったのだ。
初めは辺りの空間にぼんやりとした灯りが灯った。持っていた灯りの火が大きく揺らめいたのかと思ったがどうやら違う。
黄色い光が焼けるような音を立て一点に収束する。あまりに一瞬のうちに起こったことでゼントは反応すらできなかった。
理不尽に踏みにじられる命に、憐憫の情を垂らした神が味方でもしたのだろうか。
それほどまでに説明しがたい現象を目の当たりにした。
まるで
次にゼントが目覚めた時、光が無く真っ暗な世界に居た。
死んだわけでも夢の中に居るわけでもない。体に降り注ぐ雨が現実を思い出させてくれる。
ただ持っていた灯りの炎が消えてしまっているのだ。慌てて着火器具で火を付け直す。
だが、明るくなった路地裏で一つだけ、ゼントは自らの過失を見た。
先程まで地面に転がっていた魔獣の姿が何処にも無い。あるのは口や鼻から出したであろう血痕だけだ。
すぐに後を追おうとして辺りを見渡す。だが手負いだったにもかかわらず、どこにも辿れる痕跡が見当たらない。
通りに戻ったり屋根に上って確認したりしても、足跡も血の跡も無かった。
雨で流されてしまったのだろうか、あるいは相手が相当の手練れだったか。
何が起こったのかすぐるのは後回しだ。
少なくとも高い知能がある。仕留めそこなったとしたら、ものすごくまずい。
一般に魔獣は生き残ると、怪我を負わせた人間の顔を覚えて復讐しにくる。
しかも町中に野放し状態であり、他の人間にも被害が出る可能性が高い。
とりあえずサラの魔術具は奪還出来た。家に戻って明け方、協会に今後について相談しよう。
場合によってはサラの捜索依頼を出すことになる。手掛かりすらないがまだ生きているのかもしれないのだから。
ゼントはおろおろと慌てふためき、夜道の中みっともない走り方で家へと逃げ帰る。
灯りも手から捨てて、途中ぬかるみに足を取られ転んでも走ることを止められなかった。
そして家に着くと玄関の扉と窓を固く閉ざし、着替えて布団に包まるが剣を手に持っていないと心が休まらない。
やはり早く殺すべきだったのだ。だが、どれほど後悔しても後の祭り。
いつ襲われるかという恐怖で寝ることなどできなかった。震える両手で剣の柄を強く握りしめ、常に前に構えている。
「おにいちゃん?ゆーらにないしょで、またおしごとにいってたの?」
突然とこから聞こえた何気ない声にも、ゼントは肩を浮かせ手驚きの反応を見せる。
軽く不満を口に出したつもりが、その異常に様子に動揺が伝染した。
「ど、どうしたの!?なにかあったの?」
「……悪いがユーラ、朝になったら少し出るが本当にすぐに戻る。それまでに誰が来ても玄関を開けるな!」
心配そうに駆け寄る彼女にゼントは最低限の言葉だけで済ませようとした。
起こしてしまったことを申し訳なく思う気持ちも、ゆっくり説明をする余裕すらもない。
「えっ……!?う、うんわかったよ」
異常な殺気と震えるゼントの姿を見て、ユーラもそう言わざるを得なかった。
それは夜が明け、日の光が窓から差し込むまでの間、延々と続く。
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