第130話『遭遇者』
――その日の夜、外は雷雨ではなかったものの、かなり大荒れに戻ってしまっている。
しかし天気など気にせず、ユーラは宣言通りに豪勢な夕食を作ってくれた。
具材をふんだんに使った濃い味付けの野菜スープ。
味の付いたお肉を高温の火でカリッと焼き上げたステーキ。
金持ちから見れば至極当たり前かもしれないが、ユーラが丹精込めて作った料理。
ゼントにとっては何物にも代え難いご馳走だ。
いつもこんなんならいいのだが、作る側にも負担がかかるので毎日は控えたい。
今夜も二人は食卓机に向かって、肩を並べながら食事をとる。
いつもと違い会話は一切無く静かなものだった。そしてユーラとの距離もいつもより近い。
でもゼントは分かっていながらも口を出さなかった。いや、出せなかった。
ユーラに申し訳ない気持ちがあったことは事実だ。しかし、それ以外に考え事をしていたから。
就寝時、ゼントはずっと毛布に入らずに起きていた。
ユーラも何か伝えようとしていた気がするが、壁に寄りかかり今日も火の番をすると言って無理やり先に寝かせた。
向こうもいつもと雰囲気の違うゼントを見て、訝しげに思っていたことだろう。
そして時刻は深夜を回ろうとしていた時、彼は立ち上がりひっそりと動き出す。
火事にならないように火元の後始末を確実にこなし、ユーラが寒くならないように毛布を多めにかける。
そして自らはいつものコートを羽織ると、灯りを確保するために付けていたカンテラを手に持つ。
何をするのか、装いからは明白に分かる。激しく降る雨の中、外へ行こうと思い至り準備をしていたのだ。
何故? 結論だけを述べるのならサラの家に再び赴こうとしていた。
何の為に? それは、どうしても自分の目で確認しておきたかったから。
何かが見つかるとも限らないのに、ゼントはあふれ出る衝動を抑えきれなかった。
これはユーラが失踪した時と同じような感情で、安らかに留まることを知らない。
彼は大雨で更にぬかるむ地面を強引に突破し、協会を超えた先のサラの自宅へとたどり着く。
玄関を見ると鍵は開いていた。セイラが調査の為に開錠したのかもしれない。
無論平時なら犯罪だ。でも、自己満足の為だけにゼントは部屋の中を物色した。
……四半時ほど時間が経って、彼は家の出入り口から肩を落として出てくる。
端的に告げるのならば、特に変わった物は見つからなかった。
意を決し家具の引き出しにも手を付けたが結果は同じ。
しかし、サラが居なくなる前と物の数が全くと言っていいほど変わりない。
これでは事件に巻き込まれ失踪したと言われてもおかしくなかった。
だが一つだけ消えているものがある。それは彼女の持っている魔術具。
普段は滅多に持ち歩かないそれが部屋には置かれていない。
つまりサラは本当に必要な物しか持って出なかったことになる。
手紙も丁寧に置かれていたところからも分かるように、事件性はかなり薄いと判断される。
でも、できれば旅に出た理由くらいは教えてほしい所だ。
自身の欲求を不本意な形でも満たしたゼント、しかしこれ以上ここに留まるわけにもいかない。
深夜にこっそり行動を起こしたことからも分かるように、彼は自分の気持ちに整理が付けられていなかった。
そしてユーラやセイラなど、周囲にはそのことを隠そうとしている。
ひとまず今考えつく手は尽くした。感情を一旦落ち着けて、後は大人しく報告を待とう。
――そう考え、自宅に帰ろうとしたその時であった。
ふとサラの家に隣接する路地前を通りがかった時、手に持つ灯りで瞬時に違和感を察知した。
何かが一瞬視界に映る。生き物の気配だ。だが少なくとも人間の形はしていなかった。
その予期しない存在に思わず変な声を上げるゼント。
「――うおっ!?」
驚いて一瞬態勢を崩しそうになるが、すぐさま身構えて細い裏路地に向き直った。
目の前を凄まじい剣幕で睨み、恐る恐るカンテラを掲げて正体を探る。
心臓が
そして――正面に見えた光景にゼントは自身の眼を疑った。
雨が目に入り視界がぼやける。でも見間違えたわけでは無い。
何度擦って確認しても自分を信じ切れなかった。
ゼントが見た者、それは――
路地の中、周囲に見つからないように息を顰めている、一人の亜人だった。
暗くてよく見えないが、頭部には二本の角、それと顔の半分ほどもある細長い三角形の耳。
足の先には鋭利な爪があり、大地を効率よく駆けるために肉球が備え付けられている。
そしてその顔の形は、鼻の辺りから顎にかけて前面に湾曲し、狼のような口をしていた。
二本足で整然と立ち、踵は持ち上がっている。“趾行”というやつだろう。
程よい太さと長さを兼ね備えた尻尾、上に持ち上がりゆらゆらと左右に揺れている。
身長はゼントより少し低いが、体の造りは堅実でさすが亜人と言ったところ。
瞳には緑がかった碧眼というやさしい色をして奥ゆかしい。だが今は怯えを顕著に宿している。
全裸というわけではないが、衣服は一枚のボロ布を包まるように身に着けているだけ。
腹部や顔、末端に至るまで全身を薄灰や茶色の体毛に覆われ、一般的な獣人だと考えられる。
ゼントはようやく路地に居るのが亜人だと認める。そして同時に心臓が飛び出そうなほど焦った。
種族的な知識には疎いので目の前の亜人を見分けられるわけでは無い。
だが、今極めて重要なのはそれが町の中に居ると言うこと。
このまま町中に留まっていると、最悪この亜人の命が危なかった。
「――おい、誰だか知らないが急いで町を出ろ。他の人間に見つかったら大変な目に遭うぞ!」
見た目からは年齢が分からない。そして性別すらも……
町に取り残されたのであろうか、それともやり残したことの為に危険を冒してまで戻ってきたのか。
いずれにせよ、亜人といる光景を見られたらゼントも面倒なことになるだろう。
本心では関わりたくないとは思いつつも、見殺しにはできないと助言を入れる。
すると亜人は通りにまで出て来て、ゼントによろめきながら駆け寄った。
そして、口を開けると小さく音のようなものが聞こえる。
「――う゛ぇ…ぅん、ぉ!ぅあ、う………け、ぁえ!!」
何を言っているのか聞き取れなくて、ゼントが耳を近づけた瞬間、
それは何度聞いても言葉になっていない、喉を潰してしわがれたような声がした。
まるで、地獄の底から聞こえてくる風が唸った音だ。
ゼントは恐ろしい考えが頭に浮かんでしまい、すぐさま亜人を突き飛ばした。
突然押された亜人は体勢を崩さざるを得なくなり、泥まみれの水たまりに倒れ落ちる。
そして徐に顔を上げると、訳が分からないと言った様子でゼントを丸い目で見つめていた。
「――まさか……“亜人”じゃなくて“魔獣”か?」
そんな獣に対してゼントは冷酷に言い放つ。
冷たい雨の中の出来事であった。
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