第129話『差異』

 



 協会から外に出ると雨が段々と強まってきていた。

 その中でゼントは周りの視線など気にもせず、一つの想いに駆られて走る。

 服は濡れるが関係ない。どうせ洗えば済むことだ。



 それでも頻りに足が止まりそうになる。何故自分がこれ程に焦って居るのか分からなくなってしまうから。

 彼女は探さないでほしいと望んでいるにも拘らず、躊躇もなく無視して手掛かりを見つけようとしていた。


 他人よりも自分の意向を優先してしまっている。これは自身の行動原理に反するはずだ。

 なのに止めることを頭が拒否する。自己矛盾が戸惑いとなって足が重く感じた。


 頭を過る迷いが、視界を埋め尽くす靄のように目の前に蔓延る。

 その度に我に返っては掻き分け、進む速度を戻しては後ろに置き去りにした。



 何の為に自分は行動しているのだろう?

 まさか自分は悪くないのだと証明したいわけではあるまいか。


 いや違うだろう。

 自身の気持ちに嘘ついて誤魔化すのか。全て諦めてひた隠しにするのか。

 そんなことは決して許されない。


 彼女と過ごした証を、思い出を、手放したくない一心なのだ。




 そしていよいよサラの家が目前に迫る。だが、ゼントはそこで異様とも思える光景を目にした。

 まず窓から部屋の中を簡単に窺う。するとどうだろう、以前見た時と全く同じ光景が中にはあった。

 家具はおろか、雑貨や小物までもが綺麗に残っている。


 本来は引っ越すにしろ旅に出るにしろ、際してやるべきことは山済みだ。

 住居や家具など、持っている財産は基本売り払って捻出した資金にする。だからこの光景は異常としか語れない。

 先程カイロスはもぬけの殻だろうと見解を述べている。一般的に正しい考えだ。



 ゼントは部屋の中に入ろうとしたが流石に鍵が掛かっていた。女性の家に勝手に侵入するのも気が引ける。

 でも何かおかしい気がした。加えてここには戻ってこないことも手紙から読み取れる。

 つまり、入っても咎める人間は一人もいない。強引に扉を突破しようと思ったその時だった。



「――ゼント、それ以上はダメよ。調査は私を初め協会が行うわ」


 声を掛けられ振り返る。すぐ後ろには雨具を着たセイラの姿があった。



「いや、なんで……でも……」


「彼女の事が気になるのは仕方ない、だけど少し落ち着いて。こちらで何か分かったことがあればすぐにあなたに伝えるから」


 なぜ彼女が追いかけて来て、しかもゼントを制止してきたのかは定かではない。

 しかし、彼も見合わない異常な行動をしていると自身で理解している。

 だから……焦る気持ちはあるけれども、ここは一旦引き下がって頭を冷やそうと思った。



「セイラ、俺どうしたらいいのか分からないんだ。ユーラに続いてサラも……なんで俺の周りに居る人ばかり……」


「……少なくとも、私はあなたを見続けてきた。どんなことがあっても味方で居続ける。それに自分の身は自分で守るし、全てを捨てて逃げだしたりもしない」


 セイラは頭に被った雨具取り払い、肩まで伸びた銀髪を軽く手で払う。

 翻った真っ直ぐな髪と色素が薄く透き通った瞳、ついぞ見たこともない信念を宿しているように思えた。

 そして良識で端正な顔立ちがはっきりと現れ、発言がいよいよ真実味を帯びてくる。


 彼女が言わんとしていることはつまり、自らゼントの良き理解者になるのだと宣言していた。

 他の二人に比べると今まで関係が薄く、立ち位置も相まって近づく理由が少なかったセイラ。

 だがこれからは違う。そのために堂々と真正面から言い寄る口実を作りに来ているのだ。



「あ、ありがとう。でもそこまで言ってくれなくても大丈夫だから。俺は別にそこまでできた人間じゃないから」


「そんなの関係ない、今あなたの気持ちを正しく分かってあげられるのはこの世界で私だけ。あの新人の子にも振り回されて、本当は辛いんじゃないの?」


 ゼントは神秘的な迫力に気圧されてしまい、後ろめたい表情で遠慮気味に答える。

 それを聞いたセイラは、重要な事だと言わんばかりに真剣な顔で詰め寄ってきた。



「分かった、分かった。俺が間違ってたから、少し離れてくれ!」


「そう?分かってくれたのなら今日はもう帰った方が良いわね」


 迫るセイラを両手で押し返し引き気味に希うゼント。

 一方、何とか納得してくれた彼女は薄っすらと優しい笑みを見せる。


 今この場に残ってもいいことはなさそうだ、と素早く踵を返す。

 そして逃げ帰るようにサラの家から撤退した。





 その後、すべきことが見えなくなったゼント。

 とりあえずユーラとの約束を果たすため、いつもより奮発して良い食材を買って回る。


 朝に気まずい別れ方をしてしまったので、どうなっているのか冷や冷やしていた。

 家に帰ると予想通り、部屋の隅で蹲り拗ねている彼女の姿がある。

 自身の仕出かした言動に後悔しながらも、何とか機嫌をよくしてもらおうと愛想よく声を掛けた。



「ユーラ、今晩は俺の為に豪華な食事を作ってはくれないか?」


「……うんわかったよ、おにいちゃんがそういうなら……」


 未だ不満を訴え続ける瞳ではあるが、渋々聞き入れてくれたようだ。

 徐に立ち上がり食材を確認すると、すぐ釜に火をつけ支度を始めた。



 ――こんな時、サラが居てくれれば……

 ユーラの浮かない顔を見てゼントはまた落胆し。小さくため息をついた。


 あまりにあっさり過ぎる。別れを惜しむ時間すら与えてくれない。

 まだ原因が分かれば、心の暗雲も少しは晴れたものの。

 そしてライラから頼まれていた青紫の石も、出所が霞の中に消えてしまった。

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