第126話『唯諾』

 



「――うわっ!?」


 意図せず頓狂な声が出て、悪夢から覚めたかのようにゼントは我に返る。

 ゼントが次に意識がはっきりした時、消えそうなほど弱まった雨の中に居た。

 夢の中などではない。しっかりとした現実だ。


 ライラにお別れの挨拶をされた辺りから記憶はある。

 なのに、今の今まで何をしていたのだろうか。

 きっと未だ理解できずにいる決闘に打ちのめされた結果だろう。



 己が未熟過ぎたとは到底思えない。そもそもあれは常人には勝てない存在だ。

 かつての恋人すら互角には渡り合えないだろう。いや、知略においてはその限りではないはず。

 勝てなければ頭を使え。正面から対峙しなければいくらでも勝機はある。

 ゼントはそう強く信じて、その考えを手放すことができなかった。



 何故自分がライラとライラ――かつて恋人とを比べて優劣をつけているのか、上手く整理がつかない。

 思えば共通点が多く、名前や同じ口調が同じというだけではない。立ち位置もだ。


 実力を交渉材料に懐に潜り込み、依存させようとする姿勢。

 自立しようとしてもそれとなく諭され、物理的にも精神的にも邪魔が入る。

 二人とも何かと先走って手をこまねく性格であることも否定できない。


 だからだろうか、少しでも差があるとすぐ目について気になった。

 例えば元恋人は実に全てにおいて非の打ちどころがない。本当に全てに、

 一方黒髪のライラは戦闘に特化しているが、正直他は不器用でおざなりな気がする。


 本来であればどちらが優れているかなんて、力なき者が一方的に外野から決めるのは良くないことだろう。

 でも、もし天秤にかけられるならゼントは恋人を選ぶ。


 確かに本当に必要としてくれたのは今のライラだ。冒険者として自ら高次に進むためにも、互いの長短を補い合える彼女の方がふさわしいかもしれない。

 しかしずっと寄り添い、時間を掛けて慣れ親しんだ存在、ましてや恋仲で将来を誓い合うまでに発展した。選択は須らく当然であるべきだ。



 ゼントは、過去に囚われることが悪いものとはどうしても思えない。

 なぜなら価値観は人それぞれ、他人に口を挟むのはエゴだ。

 例え幻であったとしても、周囲からは滑稽に見えたとしても、本人が幸せであるのならそれでいい。

 全てにおいて正しいとも言えない事象ではあるが……




「――そうだ、ユーラの為にご飯の支度をしないと……」


 念のため、本当に念のため、今は廃れた昔日の想いを再確認して、そして思い出したようにゼントは家の中に戻って行く。




 家の中に入ってまずは濡れた服を脱いで干しておく。

 調理の為に火をつけると、すぐに後ろから声が掛かる。



「ねえ、おにいちゃん。きょうはゆーらになんでもめいれいしていんだよ?もちろん、あさごはんもつくるから」


 起きたばかりでまだ眠そうな声、寝ぼけてまだ開ききっていない眼。

 いつもは彼女の方が早起きなのだが、今日ばかりは先に目が覚めた。

 昨晩は流石に体を乗せてくることこそなかったが一応の備えとして。



「まだ寒いから、ユーラは毛布にくるまってていいぞ」


「でも、それだとつぐないにならないよ」


 まだ冷え込みは過ぎ去っておらず寒さが体に染みる。ゼントも濡れて少なからず手足がかじかんでいた。

 自らは火にあたりながら、しかしユーラまで体を冷やさせるわけにはいかず、気遣いの言葉を掛ける。


 だというのに、彼女の頭の中には贖罪しかないようだ。

 布団から寒そうにしながらも落ち着きなく這いずり出てくる。



 昨日には思いつかず先延ばしにした事が、結局降りかかってきていた。

 やはりちょうど良いものが思い浮かばない。だから思い切って聞いてみることにした。



「じゃあ例えばだけど、どうすればユーラは自分を赦せるんだ?」


「えーっと、それはおにいちゃんがゆーらになんでもすきなこと、させたいことをめいれいすればいんだよ?」


 それ期待していたものとは違う、当たり障りのない返答だった。

 悩みに悩んだ挙句、しまいにはこう指示を出す。



「……だったらいつもやってくれている家事を、一通りこなしてくれるだけいいかな。それでこっちはかなり楽になるから」


 事実、ユーラが家に来てからというもの掃除や洗濯物は全て彼女に任せていて、ゼントは大助かりだ。

 彼女自身もすきなことと言っていたし、これでいい。


 するとどういう事だろう。ユーラは口を尖らせ明らかに不満げな表情を作った。

 俯いて考え込み、どこか残念で仕方ないと言った顔だ。どこか違っていたらしい。

 でも思い直したところで何を間違えたのかが分からない。単純にいつも通りなのがいけなかったのだろうか。



「じゃ、じゃあ、俺が食材を追加で買って来るから、今晩はいつもより多めにごちそうを作ってくれ!それでいいか!?」


「……もうわかった。おにいちゃんがのぞむならそれでいいよ」


 ユーラは肩を落とし、外の天気と同じような悲しみに暮れていた。

 そしてため息と共に毛布の中に戻る。諦観と湿り気を帯びた瞳でじっとゼントを見続けたまま。



 結局彼女は何を望んでいたのか、ゼントはどうしても理解したい。

 しかし尋ねたところでまた曖昧な答えが返ってきそうだ。

 少しでいいから人の心が読めるようになりたかった。



「今度、サラに聞いてみようかな……」


 自分にだけ聞こえるようにそう呟いた。同じ部屋に頭を抱えたため息がもう一度響く。

 人の考えていることを見透かせる彼女なら、ユーラの思考も分かるかもしれない。

 そう考え、仕方なく今は朝食づくりに専念した。

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