第124話『蕩熱』
――その夜は雨が降っていたせいか手足の先が凍えるほど冷え込んだ。
ゼントの家は雨風を凌げるとは言っても一部分だけ。
しかし毎日少しずつ進めていた修繕活動が功を奏して、雨漏り以外は何とかなっている。
玄関にも窓にも開閉可能な板を取り付け、石の壁の隙間は買った粘土を流し込んだ。
天井も上から板を固定して、隙間や強度の問題はあれども、ようやく密閉した空間を作り上げた。
天井から滴る水滴は家にある食器を受け皿に、寝る場所には降りかからないように選定する。
そしてここからが少し問題があった。いつものように毛布を敷いた床に二人で横になるが全く寝付けない。
理由は二つ、一つは荒天のため。
時折遠くで雷が落ち、その度に特にユーラが驚いてしまう。
同じような理由で雨音や受け皿に落ちる水滴の音も妨げになった。
二つ目は、体に掛かった毛布を貫通する寒さ。季節外れの寒さで対策もできず、体を丸めても眠れない。
ただでさえ真っ暗な夜は人の不安を冷酷、かつ必要以上に煽るものだ。
加えて上記の二つの要素が合わさったとあれば、それはもはや救いのない恐怖にも昇る。
すぐ傍で雷が落ちた。全く同時になる耳を劈く轟音、けたたましく光る稲光、家に直撃したのかもしれない。
同時に傍で風が激しくうなる。窓の木板がガタガタと嫌な音を立て、壊れないか心配だった。
これでは心身ともに不安で疲れてしまう。眠れなくても無理はない。
夜更かししてもいいことは無いが、ここは一つ焚火でもしようと思った。
流石に床ではできないものの、台所の窯に火をつけて暖を取る。
そこはかとなく揺らめく暖かい色の炎は、安心を心の底へと訴えかけてくれた。
睡眠は諦めて壁に寄りかかり毛布に包まる。
未だに雷雨が収まる気配はない。それでも誰かと一緒に居れば気持ちも紛れた。
「おにいちゃん、まださむいよ」
ゼントの横、二人肩を寄せ合っている彼女は震えた声で語り掛ける。
何も言わず腕を背中に回して、すぐ隣に抱き寄せる。
「もう少し体を近づけよう。ほらこれなら暖かいだろ」
既に密着していた状態から更に強固にくっつく。
もう彼はユーラを異性などとは見ていない。だからこんな気障な行動もとれる。
無理にでもそう認識しなれば、元恋人への裏切りになってしまう。
「ねえ、もっとあったまるいいほうほうをしってるんだけど……」
「え、なにかあるのか?」
縮こまり顔色を伺うような目線だ。ゼントはすかさず詳細を尋ねる。
ユーラの為に今この場でできる事なら何でもしたい。その一心だった。
「――えっと、それはね。ゆーらとおにいちゃん、ふたりともふくをぜんぶぬいで、はだかになってだきあうの!」
一瞬、ゼントの思考は完全に静止する。何を言っているのか理解するのに時間が掛かったからだ。
唐突に満面の笑みで気後れすること無く口に出した。顔がかなり赤い気がするが、きっと焚火の色が映っただけだろう。
酒に飲まれて酔っているのではないかと心配になりそうだ。だが確かに熱の喪失は防げて、温まる方法としては馬鹿にできない。
おそらくユーラは、特に深い意味を持ち合わせておらず、純粋に知識を披露しただけだ。
彼女の表情から察するにそれを了承している。むしろ体を温めるためだろうが、むしろ積極的に望んでいるように見える。
でも、だとしても――男とは言え人間には理性があるのだから、非常時でもなければ呑むわけにはいかない。
「ユーラ、それよりも火を強めよう。その方がより早く暖まれるはずだ」
目が泳ぐのを必死に抑え、得た動揺は必死に隠して、感情を押し殺して言った。
もちろん何か期待していたつもりはない。あまりにも平然と言うので驚いてしまっただけ。
「えっ、でもひがおおきいと、ほかにもえうつってかじになるよ?」
「大丈夫、俺がしっかり見ているから、そんなことは起こらない」
少しでも言葉を肯定すれば倫理的に問題のある結末が待っている。だから頑なに理由を付けて否定し続ける。
すぐ横で複雑な表情をするユーラ。だが目は他のことを心配している。
他に意味がありそうな発言だがきっと自分が深く考えすぎなだけだ。そう自分に強く言い聞かせて無理やり納得する。
「……だったらいまは、これでしてあげるね」
突然首元に何かが触れたかと思えば、ユーラが抱き着くように首の前後から腕を纏わりつかせる。
纏わりついたまま伝わってくる腕の感触が、冷めた体には熱した鉄のように感じられた。
ユーラの顔が触れそうなほど近づく。首のまわりがゆっくりとだが確実に締まっていく。
表情は浮ついた歪な笑みが全面に濡れ、まるで逃げないように外せない首輪をされた気分だった。
交錯する扇情的な視線、湯気の籠った吐息、そして乱雑にたなびく亜麻色の髪。
まるで以前の彼女に戻ったみたいだ。しかしそれは求めていた嘗てではない。
優等でも少々意気地なものではなく、瞳に毒々しい華を咲かせたユーラに見えた。
いや、そんなはずはない。雷に怯える声も、口調も子供そのものだったはずだ。
自らの思考さえも否定し、だがまたもや拒絶できずに流される。
息を大きく吸い込んで器官を満たしても不快にはなれず、首筋から全身が温かくなる。
無意識だろうがユーラの着ている簡素な服は、はだけて肩が見えていた。
そして足すらも絡めて来て、服越しではあるが確かな熱の伝道がわかる。
こんなに体温が高いのに寒がっていたのか、と疑問には思いつつ。
ゼントは火の番をしながら、雷雨の夜は騒々しく更けていく。
失って初めて気づく価値、戻れるものなら一か月でもいいから昔に戻りたい。
素直とは言えなくても、まっすぐで純粋な心と素朴な気立てを併せ持つユーラに会って話したかった。
しかし残念なことに、己では自らの運命すらも掴み取る事ができない。
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