第121話『変質』

 



 家の前までたどり着くと、挙動不審に屹立する人影が居た。

 窓から中を覗き込んでいるが不審者ではない。ライラだ。だが何か用があるらしい。

 躊躇う様子もなく斜め後ろから、呆れたように息をつき声を掛けた。



「何をしているんだ?」


 すると分かっていたかのようにゆっくりと振り向く。

 顔はいつも見る無表情だったがどこか重々しい雰囲気を漂わせていた。



「……なんであの女と外に出たの?私なら絶対あんなことにはならなかった。ゼントを罪悪感で苦しめることもない」


「町中に入ったところを見ていたのか……」


 振り返るや否や、返ってきたのは何の前触れもなくいきなりの問答だった。

 いつもより声が低い、表情も今の天気のように曇らせている。間違いなく機嫌が悪くなっている証拠だ。


 感情が薄い彼女だがそれでもゼントは最近、何となく理解できるようになってきていた。

 いや、彼女の顔が感情的に動くようになってきただけかもしれない。



「……お前に相談もせずに行ったことは謝る。それで、ここに来た目的はそれだけか?」


 疲れが溜まっているので体を休めたい。高確率で起こりうる雨漏りの対策もしたい。

 早く家の中に入りたくて、つい単刀直入に聞いてしまった。

 案の定、ライラの顔は辛酸を舐めたように険しく歪む。



「――それだけって何??!」


 突然大地の震えのように変化する声色。輝きの灯った瞳に、怒りの感情を帯びた。

 そこまで来て、ようやく竜の逆鱗に触れてしまったのだとゼントも気づく。

 だがもう遅い。取り繕う機会など与えてはくれない。


 ライラはゆっくりとした重い足取りで、気迫と共に確実に肉薄してくる。

 全身から殺気のようなものを携えて、一歩足が前に出る度に地響きが聞こえてきそうだった。

 終には両手を横に大きく広げ、鋭い眼光で威圧してくる。何をしようとしているのだろうか。



 絞め殺されると思って、ゼントは一歩だけ後ずさった。しかしそれ以上は体が強張り、指先一つ動かない。

 自身の発言が発端とは理解しつつも、何故このような状況になっているのかが分からなかった。



 構図は退路を断たれた獲物と、それを逃がすまいと迫る得体のしれぬ生物だ。

 やがてすぐ二人の距離は物理的に縮まった。目の前には謎のポーズで迫るライラ。

 このまま殺されるのか。目は閉じることができずに見開いたまま、思わず手は剣の柄に伸びている。


 しかし――


 ライラは体の正面をぶつけてくると、そのまま広げた両腕をゼントの体の後ろに回した。

 それはなんてことは無い、彼女が一方的に抱き着いてきただけのことだった。



「やっぱりゼントのここは落ち着く……」


 悪びれもせずに恍惚の表情を浮かべる。あるのは優しく儚げなライラの姿。

 ゼントは一瞬、何をされているのか分からず目が点になった。

 このまま抵抗も出来ず絞め殺されるのではと感じたが、すぐに異常が分かり首を振って我に返る。


 単に抱き着くために近づいて来ていたのだ。なぜわざわざ恐怖を感じたのかが分からないが。

 自分の勘違いった。何もない、脅威は去ったのだと心の底から安心しつつ、いつものように軽口を叩く。

 それに気になる言葉遣いがある。呼吸を乱しながら問うた。



「やっぱりってなんだよ。俺に抱き着いたことなんて一度もないだろ。そんな事より早く離れろ」


「ダメ、しばらく離さない。これは私を不快にさせた罰、だから黙って受け入れて」


 胸元に顔を埋めたまま訳の分からない文言を吐かれる。

 抱擁は次第に怯えた様な熱を帯びて、締め付ける力はより強く。



「俺がお前に一体何をしたって言うんだよ。さっきはあやまっただろう!?」


 ゼントはあからさまに嫌な顔をしたが一切反応しない。

 気が付いていないのか、見ないようにしているのか。

 加えてそれ以上は口を開かない。まるで言わずとも分かってほしいとばかりに。


 無理に引き剥そうとしても、ライラの締め付ける腕が金属のように硬くてびくともしない。

 腕は細く特に力が入っている様子もないのに……ゼントはそれが不思議でならなかった。




 やがて数分は拘束し続けると、ゼントはようやく腕の中から解放される。

 行為を受け入れていた、というよりも受け入れさせられていた。


 後で思えば早合点を生まないためにも、この時はっきりと口で拒絶するべきだっただろう。

 しかしサラの時にも分かったことだが、ゼントは人からの押しに弱い。

 ましてやライラは一緒に居て辛いこともあるにも拘らず、強く言うことができなかった。


 離すと即座に追撃してくる。気のせいか顔を少し赤らめて、

 ずっと断らないでいたためと調子をよくしたようだ。



「――ねえゼント、“あれ”をしてみない?恋人同士がするやつ」


「はっ?何を言っているんだ?」



「……やっぱりなんでもない。恥ずかしいなら無理にとは言わない。また今度会いに来るね」


「いや、“あれ”が何かも分からないし、そもそも俺と前とは恋人でもないし……」



 また訳の分からないことを言っている。よもや変な物でも拾って食べておかしくなったのではあるまいか。

 そしてゼントの言葉には聞く耳を持たず、勝手に押しかけて来ては一方的に去っていく。


 結局なんだったのだろうか、その後ろ姿を眺めても答えが得られるわけでもなく。

 残念ながらゼントには彼女を追う事よりも優先すべきことがある。



 気にはなるが仕方なく目の前の家へと入った。ユーラの待つ、我が家へと。

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