第120話『混沌』

 



「――おう、ゼントか。やってやったぜ、俺の持つあらゆるコネを使って支援してやった」



 カイロスは書類仕事をしていたが、こちらを見つけるとすぐに手を止めて得意げに言ってくる。

 何について語っているのかは言うまでもない、町を追放される亜人に自らの命を顧みず援助を行ったのだ。


 だがしかし顔色は病人のように青白く、目の下には隈が出来ていた。

 頼れる人間を今日まで寝ずに巡ったのだろう。そこには想像もできないほど壮絶な戦いがあったのだ。


 何があったのかは聞かない。好奇心だけでは聞いてはいけない。

 ゼントは厳粛に、ただ無言で語り部からの言葉を待つしかできなかった。なぜなら彼は外野の存在なのだから。



「人生掛けていろんな奴に借りを作っておいたんだが、全部跡形もなく消えちまったぁ。まあ取っといてもしかたねえ、きっとこんな時の為に溜めといたんだろうさ」


 飄々と笑い話のように語るが、その内容は決して綻べるものではない。

 引きつった表情すらも出来ぬまま、石碑にように棒立ちで聞くことしかできなかった。

 やがて声を掛けてこないことを不思議に思ったのか、カイロスは首を傾げながら尋ねてくる。



「ん、どうかしたか?なんでお前ずっと無言なんだ?」


「いや、だって亜人の命が掛かってカイロスも頑張っていたのに、俺自身は何もせず遠く安全なところからしか見られなかったから……」


 聞かれると、飾ることはせず素直に答える。互いに本音で語れる間柄なのだから、嘘をつく必要もない。

 すると馬鹿にするような笑いの後、鋭い眼光と落ち着いた態度で諭す。



「今回の件は極端すぎる例外だ。ゼントは十分よくやっていると思うぞ、今日も依頼を受けてくれたんだろ?」


 カイロスの説得は的を射ているがそれ以前の問題だった。

 そもそもゼントが自信を卑下する必要すらないのだ。

 真面目さが取り柄の性格故、悩み過ぎてしまうこともある。



「…………悪かった。ちょっと良くないことがあって後ろ向きになってたかもしれない。もう今日は依頼の精算だけして帰るとするよ」


「――なら私がその作業を済ましておくわね」


 脇から声が聞こえたかと思うと、そこにはセイラが普通に居た。

 ゼントはいつの間に来たのかと驚いたが、彼女は初めからそこで受付の仕事をしているようだ。

 どうやら見逃していただけらしい。疲れから思考がまとまらず、さらに五感という情報すらも真面に認識できていなかった。



「……そういえばセイラは…………やっぱり何でもない」


 少し話をして、顔見知り程度にはなったのだがここは広間の中心。

 亜人の事について聞きたかったが、少なくともこのような会話をする場所ではない。

 多分彼女も同じだ、彼らを毛嫌いしているに違いなかった。


 彼女は何か話したそうにうずうずと落ち着きがなかったが、

 結局、それ以上の会話はなく、セイラからも何かを感じ取ったように声を掛けてこない。

 ゼントも報酬金を受け取ると、居心地の悪い空気から逃げ出すように協会を後にした。



 ◇◆◇◆



 一時的に時間は翌日となり、場所は変わらず協会の広間。


 その隅に、サラが気だるげな表情で俯き想い更けている。

 珍しい、かと思いきや特に変わった光景ではない。

 彼女は毎日のように協会に居るので、しばしばその姿を見ることはできた。



 問題なのはサラの前、立ちふさがるように三人衆が重い空気で囲んで立っていることだ。

 三人とも体格に恵まれすぎているので、周りからは隠れて中心の人物を視界にとらえることはできない。

 その壁のような男の一人が上から、サラに険しい声をして問い詰める。



「姉御、なぜ我々以外の奴と依頼に行ったのですか?」


「…………」


 聞かれた側は面倒くさそうにため息を吐き、下から睨みつけながら見上げる。

 完全に煩わしさ極まりないという態度を隠そうともせず、後ろの壁に寄りかかった。

 諮問する方も無駄だと分かって、質問の角度を変える。



「……既に我々で話し合いましたが、もう限界です。確かに初めは下心があって、あなたに近寄りました。だけども姉御は思わせぶりな態度を取るだけで、今まで何一つ答えてくれなかったのに、あの少年とは二人きりで逢引するんですか?それにその腕の傷は何です?」


「…………」


 しかしサラは答えない。

 興味がなさそうにそっぽを向いて無関心に努めている。



「では最後に聞かせてください。姉御がここ最近で様子がおかしくなったのも、あの少年のせいですか?何でもいいので答えてくださいよ」


「…………」


 荒っぽく男は答える。彼の怒りももっともだ。

 それでもなお、サラは口を堅く閉じて答えることは無い。

 男はとうとう呆れて全てを悟ったらしく、この会話の結論を持ち出す。



「そうですか、今まで姉御にあれだけ尽くしてきたのにこの仕打ちですか……。いえ、あなたもあの少年も悪くありません。我々が勝手に期待していたのが悪いのです。しかしあなたとはもう組めません。我々損人とも、本日付であなたのパーティーから抜けます!」


「……勝手にすれば?」


 やっと正面を向いて口を開いたかと思えば、何でもないような一言。

 対して男は全身が強張り、手には力が入って握る拳を作る。

 言葉では平然を装っていても体は怒り心頭だった。


 もしサラが男だったら即刻手を出して喧嘩に発展していた事だろう。しかし相手は何の恩もないとはいえ女性だ。

 暴力でも一時的に気持ちが晴れるだけで、解決もしなければ恰好もつかない。やがてすぐに諦めて、踵を返して去っていく。

 しかし後ろに居た二人の内、一人のやや気弱そうな男が颯爽とサラのひざ元に近寄る。



「――姉御、何か事情とかがあるなら話してほしいです!」


「おい、もう決めた事だろう!未練がましくすんな!そんな奴に構ってもいい事なんかない!」


 彼はただサラを心配していた。だがその男をサラは汚らわしい物を見るような目で見下ろすだけだ。

 すぐ後ろの男に制止され、覇気もなく去って行った。

 おそらく広間に居た全員がこの異常な口論を聞いていた事だろう。




 全員が目の前から消え去り、一人ぼっちになったサラ。

 これでは冒険者の仕事は続けられそうにない。どうするというのだろうか。

 そんな事は彼女の脳内には一片もない。ただ少しの苛立ちと計画のことだけを考えていた。



「どこまでも醜い連中ね。結局お前たちも打算的なだけじゃない、要らないと分かった瞬間に切り捨てるなんてね。でも彼は違う、ゼントだけは利己なんて関係なく、私を心の底から見てくれる……」


 捨て台詞のように吐き出すサラ、まるで自分に言い聞かせるかのようにはっきり呟いた。

 そして、いよいよ彼女の運命が決まる。ガラスの破片のように鋭く尖った運命が……

 手に持つだけで血が流れざる負えない。しかし決して止まるわけにはいかないのだ。



「そうだ、今晩だ。今晩にあの計画を実行しよう……私の幸せを邪魔する奴は、この手で消してやる。そうすればゼントは、彼は絶対私のところに来てくれる」



 人生というものは何があるのか全く予想ができない。

 それはこの世界でも変わることのない指標だ。

 人知を超えた力というものがここには――この町には今ある。

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