第118話『雑然』

 



 ――そこからの動きは、痛快といえるほど順調だった。


 敵を遠くから発見しては先程の流れで一体一体、確実に息の根を止めて回る。

 使い古された手順だが、相手も対策しようがないので下手に狙いを外さなければ完封できた。

 常に山の高所を取っていれば見晴らしもいいので不意打ちをくらう心配もない。



 相変わらずゼントはサラの後ろを付いて行くだけで索敵能力も遠く及ばなかった。

 長年の経験というよりは彼女の目がいいらしい。僅かな動きも見逃さず、ほとんど瞬時に見つけて報告してくる。


 そして目標の討伐数を達成したので、周囲を警戒しつつ下山している時の事だ。

 サラがまた振り返って、あの妖艶な笑みを見せつけながら語り掛けてきた。



「やっぱり私たち意志疎通もばっちりだし、互いの役割も相性がいいと思うわ。ゼントが私のところに来てくれれば……いいえ、私とあなただけいれば十分やっていけそうね」


 潤んだ唇の隙間から見える白い歯が、またゼントの心を吸い取るように見える。

 これ以上ないほどの褒め言葉。対してゼントは居心地が悪そうに苦笑いを浮かべるだけだ。

 身の丈に合わない言葉尽くしに自身へ肩を竦ませ、同時に疑問と不安を覚えたから。



「……サラは、何でそんなに俺のこと買ってくれるんだ?町の悪評も聞いてるはずだし、今日もそこまで活躍したわけではないし」


「以前も言ったと思うけど、かつてあなたを指導した責任が今でもあると思うの。少なくとも面倒を見るのは私の中では当然のことよ」


 では、もし両名が面識だけの赤の他人であったれば、サラは自身の事をとっくに見放しているのか?

 今二人の関係を繋いでいるのは、実習教育で同じ組になっただけと言うことなのか?

 またとない機会、直接聞いてみたかったが流石に憚られた。印象がさらに悪くなるだけと嫌でも悟ったからだ。


 彼女がつくる微笑みも、包み込むようなやさしい声も、憂いをかき回すが忘れさせてくれた。

 しかし一歩何かが違っただけで、町ですれ違うだけの人間のように初めから何も無かった事になる。

 頭蓋の中では恐怖というよりも諦観が勝った。中途半端な手助けは逆に互いを不幸にするだけだと。



「――やっぱり私のところへは来てくれないのよね?」


「すごくありがたい申し入れだけど、あいつがいるうちはパーティーも間にあっている。そこまで丁寧に気にしてくれなくても大丈夫だから……」


 不安という思考の渦から、サラの声がゼントを迅速に引っ張り出す。

 口調から受け身ではなく、進んで申し込んでいるということに気が付かない。

 急いで返した言葉に、彼女は無言のまま奇怪な笑みを返した。


 その正面の不思議な光景を見ても疑問を持つことも無く、浅いまどろみの中に再び溶け込む。



 だから後ろで鳴った異変な音にも一瞬反応が遅れた。





「――っ!!!ゼント伏せて!!!」


 胸に来る柔らかい感触とほぼ同時に、背中に硬い衝撃が走る。

 どうやら後ろに押し倒されたようだ。無様に尻もちをついて放心状態になる。

 何が起こったのか瞬時に理解することは叶わなかった。



 そしてはっきりとした意識を取り戻した時は、何もかも遅い。

 気が付くと、すぐ真横ではサラが大蜥蜴に襲われていた。


 致命傷は避けているものの、前腕に噛みつかれている。

 彼女は自分に矛先を向けて、身をもってゼントを庇ったのだと知った。



「このッ!!」


 サラはどこからか取り出した短剣を取り出し、襲撃者の片目を刃で抉る。

 相手は明らかに苦悶の声を上げるも、ようやく見つけた獲物を離す気は微塵も無いようだ。


 距離を置くことを諦めたサラは噛まれた方の腕を持ち上げ、できた隙間に反対の腕を入れ込む。そして死に物狂いで握りしめた短剣で喉元を掻き切った。



 そして、ようやく大蜥蜴は強靭な口を大きく開けて、直ちに絶命した。


 そして……またゼントは見ていることしかできなかった。



 確実な安全地帯に入るまで、周囲の警戒を断ってはならない。

 もちろん彼も頭の中では分かっていた。

 しかし依頼が何事もなく終わり、ほんの少しだけ安心しきってしまったのが原因だろう。


 腰の剣の柄にすら手を添える事すらできなかった。

 一分もない出来事の中だったが、自身への非難と失望に染まるためには時間が掛からない。

 全身が汗で濡れている。大切な物が喪失する恐怖から、全身の身の毛が立ちしばらく動くことができなかった。



「サラ……ごめん、俺……」


 全てが終わった後で、咄嗟に謝るが、全てが遅すぎる。

 実際、彼の脳裏には半年前の惨劇が静かに過っていた。


 自分が死なせてしまった恋人との最後の瞬間が、

 忘れたくても呪いのように度々目覚める悪夢の瞬間が、

 趣向を凝らし這い出てきては、饒舌に囁いて思考を麻痺させる。



 一方、サラはゼントを見向きもせずに噛まれた腕の根元を強く抑えている。

 動揺して青ざめている誰かと違って彼女はとても冷静だった。

 毒が全身に回らないように抑えているのだろう。



「やられたわ。もう腕が動かなくなってる。ゼント、町まで戻るわよ」


「えっ?え?」


 状況が呑み込めないゼント、

 サラはきつい声を上げ、後がないとばかりに諭しにかかる。



「このままだと他の魔物に襲われてここで立ち往生、そんなの嫌よ!町まで持てばいいから手伝って!!」


 返事を待つ前に彼女は胸元から縄を取り出し、腕の根本を痣になるほど縛る。

 前腕には痛々しい噛み跡が壮絶さを物語っていた。



「――わ、わかった……!」



 尻ぬぐいもできないようでは一人前とは泣いても語れない。

 ゼントは頼りない返事を返して、肩を貸すことくらいしかできなかった。

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