第116話『懸念』

 



 ――夕方になると、再びユーラの様子は一変した。



 朝からずっと部屋に閉じこもっていて、やがてしばらくすると声もなく無音になる。

 結局、ゼントには何もすることができなかった。彼女側から拒絶された以上、望みを破り捨ててまで近づくことは彼の性格が許さない。


 仕方なく説得することは諦めて、日中は家事やら鍛錬やらで時間を潰す。

 そして一人で夕食を作り始めた直後だった。

 好みの物を作って少しでも機嫌を良くして貰おうと考えていると、後ろからユーラの声がした。



「――ゆーらがやるから、おにいちゃんはいいよ!」


 振り返るとすぐそこに立っていた。いつも通りの笑顔と明るい声で。

 その豹変ぶりにゼントは思わず安否を聞き返す。



「ユーラ!?もう大丈夫なのか?」


「ひるまはちょっと、あたまがつかれていただけだから。すこしねてたらなおったからもうきにしないで。へんになっててごめんなさい」


 調子よく無邪気でお日様なような顔を見せつける。

 そんな言葉を信じるほど、ゼントもお気楽ではない、がしかし――



「本当に大丈夫なんだな?信じていいのか?」


「うんだいじょうぶ!ごはんはつくるからまかせて!」


 ユーラが嘘をつくとは到底思えなかった。深く問い詰めることも、逆に良くないのではと感じる。

 だから最後の確認だけを済ませて、またいつも通りの日常を取り戻そうとした。

 料理は任せて、先に食器の準備などをしていると後ろ姿のユーラが話しかけてくる。



「そういえばあさのてがみは、あしたのあさきょうかいまえでまってるんだって」


 呂律が回っていないのか、まだ彼女の喋り方は拙い。

 喉はもう完全に治って元通りなだけに、その子どもじみた口調が気になった。


 かくしてゼントは手紙の内容を知れた。同時に明日の予定が決まる。

 ユーラの声の調子から、あまり不機嫌にはなっていないようで安心できた。



 その後は薄気味悪く感じるほどにいつも通りの夜だった。

 晩ご飯は二人で食卓を囲みながら食べて、二人で寄せ合って眠りに就く。



 ――ただ、三日目の夜も同じく、ユーラがゼントの体を弄んでいたことを除いては。

 何をしたいのかが分からない。害があるわけでもないので、しばらく様子を見てみることにした。



 ◇◆◇◆




 ――そして翌朝、


 一抹の不安を拭うことはできないまま、ゼントはまた家の外に出かける。

 皮鎧をしっかり着込んで剣は腰に差し、装備を整えたのち速やかに約束の場所へ急ぐ。

 ずっと心配事があっても仕事に差し支える。サラの前で恥をかかないよう、昼間だけは忘れて集中することにした。


 協会前に着くとユーラが言った通り、赤い髪を風に靡かせてサラが居る。

 薄く靄が掛かった通りの中、ゼントを見つけるや否や満面の笑みを見せた。



「おはようゼント、いい朝ね」


「ああ、そうだな」


 腰に少し大きめの巾着を携えて、清々しく快活に言葉を発する。

 相変わらず色の灯った声色だった。朝から彼女の声を聞けてゼントは少し心が安らぐ。

 しかし、向こう側は彼の声から不安の感情を感じ取ったらしい。眉を少し下げて、心配そうに聞いてきた。



「あの家に居る後輩の子がまだ心配なの?」


「ま、まあ、ないこともないけど」



「また悩みがあれば相談にのるけど?」


「あまり頼りすぎても悪いし、もう少しだけ自分で頑張ってみるよ」


 ずっと昔から関係は変わらず、サラに隠し事はできないようだった。

 一瞬ユーラの態度の異変が頭を過ったが、首を激しく横に振って思考を散らす。

 親身な態度に頭の中を曝け出してしまいそうになるも何とか抑える。



「そう……じゃあそろそろ出発しましょうか、今日の依頼の詳しい内容は歩きながら話しましょう」


 意味ありげに綻びた顔を見せ彼女は先に歩き出す。

 その後ろをゼントはちょこまかと付いて行く。

 なんだか、後ろ姿を眺めていて彼は遠い昔を思い出した。



「思えば一緒に依頼を受けるなんて、実習教育以来ね。覚えているかしら?私がやらかしたことを」


「たしか……小さい魔物に噛みつかれて怪我したやつだよな。あんなのやらかしの内に入らないだろ。俺だったらきっと日常茶飯事だよ」



「ほんとうに?遠目からあなたの活躍を見ていた限り、絶対そんなことも無い気がするけど」


「サラは実際の動きを見た事無いんだよ。目も当てられないくらい酷いよ。だから今日は迷惑かけないように上手くやるから」


 微笑ましい会話が続く。実はサラが口に出したやらかしとはそのことではない。

 彼女が言ったのは、その後に我慢できずに涙目になってしまった出来事だ。

 ゼントは忘れているのか、さては全てわかっていてあえて触れなかったのか。


 サラは何気ない会話の中で仕草を注視していたが、そこまで細かく読み取れるわけでは無い。

 あくまで人が嘘をついた時に際して、発言が真実かどうか見抜けるだけだ。

 他には視線や仕草を見て僅かばかりの情報を得る程度。万能とは程遠い。



「分かったわ、大いに期待しておく。それで話を戻すけど、今日は大蜥蜴の討伐を持ってきたわ」


「あいつらか……二人だけだと手ごわい相手になりそうだけど……」



「私が支援するから安心して、ゼントは私に合わせてくれるだけでいいから」



 単語を聞いて出発直後から弱腰になっていたゼント。

 彼に対してサラは、妖しく艶やかな瞳で見据える。まるで得物を絡め捕る飢えた眼だ。

 彼女の見た目は美しく野原を舞う蝶だとしても、その本質は狡猾で獰猛な毒蜘蛛なのかもしれない。

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