第113話『偏光』
――サラから不始末のお詫びに、ライラへ渡すように言われていたそれ。
完全に失念していたのだが、時機を見計らっていたように振舞った。
ゼントがある物を渡そうと手を差し伸ばすが、持っていたはずの青紫の石が無くなっていた。
どうやら目にも留まらぬ速さで腕が動いたようで、気づく間もなく掠め取られていたようだ。
前を見るといつの間にかライラの手の中にある。そしてそれが何なのか確かめることもなく、勢いよく尋ねてきた。
「――ゼント、これを本当に私にくれるの?」
「あ、ああ。今のお返しってわけでもないけど、ちゃんとあげるから」
「本当だよね!?後で返してって言っても返さないからね!」
「そりゃもちろん構わないけど……」
突然、欲を曝け出した子どものように興奮したりして、一体どうしたというのだろうか。
何度も執拗に確かめるような問いかけも、彼女らしくはなく明らかに異常だった。
鼻白み宥めながらも思考を止めない。考えられそうな可能性としては……
「今渡したそれはもしかして、実はただの綺麗な石じゃなくて相当の価値のある物なのか?」
「知らない。あってもなくても、私には関係ない」
なんだ、その無関心を極めたような反応は……
てっきりサラが気を使って、貴重な品を渡したのかとも思ったが……
では、彼女は何に対して感情を露わにしたのだろうか。
「ならいったい――」
「これ本当にありがとう、常に肌身離さず大切に持っておくね。じゃあ私はこれで」
「あっ――」
一言だけを告げて素早く座っていた椅子から立ち上がると、逃げるように小走りで出口の方向へと向かって行った。
呼び止めても聞き入れる事はなく、そのまま姿が見えなくなってしまう。
何だったのだろうと、ゼントは唖然としながら眺めることしかできなかった。
「――ゼント、しっかり渡してくれてありがとね。これでどうにか自然にできたわ」
出口の方をずっと見ていると、後ろから落ち着いた声でサラが話しかけてくる。
というよりもライラが割りこんで来ただけで、もともと会話をしていたのは彼女の方だ。
ゼントも優先順位を意図的に変えていたので、不機嫌になっていないかと恐る恐る振り返るが最初と変わらず笑顔で胸を撫で下ろした。
「いや、あと一歩で忘れるところだったから感謝しなくてもいい」
「いいえ、これで本当に何とかなったわ。感謝してもしきれないくらい」
「ところで、あの石は結局なんだったんだ?あいつのあんな姿は今まで見たことがない」
「うーん、私の仕事道具みたいなものかしら。でも普通の人からしたらただの綺麗な石のはず……まあ喜んで貰ったんだから結果的によかったんじゃない?」
ゼントはまだ色々と納得できない様子で聞いていた。
ただ喜ぶだけで、あれほどまでになるのだろうか。
サラの説明にも疑問を抱いていた。
「それにしてもゼント、あなたはここ数日でかなり変わったわね」
上を見ながら頭をひねっていると、またサラから話しかけてくる。
また彼女の顔がゼントに近づいてくる。ついには反対側の肩にまで手を伸す。
ここは協会の公共の場で一定数の視線があった。しかし気にすることなく行為に及ぶ。
ゼントも若干遠ざかろうとしながらも、強く抗いはしなかった。
いや、鼻の下を伸ばしてすらいたかもしれない。とにかく上ずった声で返したことは事実だ。
「……そうか?」
「ええ本当に。以前は会話も真面にしてくれなかったわ。例の家に居る後輩のせいかしら、それともあの新人の女の子のおかげかしらね。……恋人の事はもう大丈夫になったの?」
意味深な発言が続き、心配するように尋ねてくる。
聞きたかったことは最後の質問だろう。
そう言われて、改めてゼントは考えてみた。
でも思った通りの回答ができないことに気が付いた。
自身の行動が思い描いていたものと矛盾を起こしているからだ。
「…………“あの人”の件は多分、俺の中で全てが良くなったわけじゃない。今まで思い出さなかった日はないけど、最近は特にとても忙しくて……でも心が安らかに感じる時もあった。でもずっとこうしていると、あいつの事が頭から離れていきそうで、ものすごく怖いんだ」
「あれほどあなたを愛していた彼女が、過去に囚われて不幸なゼントを望んでいると思う?半年前にも同じことを言ったわ。当時あなたは聞く耳を持たなかったけど今はどうかしら?」
「……でも自分のことを忘れないでって、ライラは最期に言ったんだ。あいつが死んだのは俺のせいなのに、自分だけ楽しく生きていていいのかってなって……」
「きっと大丈夫、あなたの過去に何があろうと幸せを責める人なんていないわ。たまにでも思い出してあげれば、それだけで彼女も幸せなはずよ」
ゼントは周囲の誰が見ても過去に絡め捕られて、面倒なほどこじらせている。
真面目な性格故か、それが亡くなった恋人の思惑なのか、必要以上に手放そうとしない。
彼には辛辣だが、厄介極まりない。それはサラも同じ気持ちだ。だからこそ、突き崩せる瞬間を狙っていた。
「……そうだといいけどな…………聞いてくれてありがとう、少しは楽になった気がするよ」
たった今、サラの根気強い説得によりゼントの気持ちはもう少し前を向き始めた。
そして――彼女の思惑通りに……
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