第108話『取柄』
――翌朝早くからゼントは協会前にいた。
“おしごとがんばってね!”
家を出る前にユーラから笑顔で言われた言葉を反芻していながら、
その相手との関係に、言葉にできない素敵な感情を抱いた。
彼のすぐ隣にはライラが無表情で立っている。
しかしなんとなく機嫌が悪そうだった。
「昨日の事は全部俺が悪い。本当に申し訳なかった」
「私は謝罪が聞きたいわけじゃない。早く目的の場所に行こう」
言葉を放り投げると、指定された場所に向かって一人先に歩き出す。
通りに人は無く涼しく静かな空気の中、ゼントも後に続く。
珍しく今日はライラが道を先導していた。
「な、なあ。一昨日言っていた依頼の場所って北東のあそこだよな」
「私は行ったことないから知らない。場所が分かってるならならゼントが案内してくれない?」
「いや、俺も行ったことは無いんだ……知っている情報も魔石が取れるって事くらいしか……」
ごく自然で当たり障りのない会話だが、ゼントは気まずい空気を勝手に感じている。
昨日の件もあるのだが、なんとなくライラが不機嫌だと察していた。
それが口調にも出てしまう。彼女は指差すように指摘してきた。
「……ゼント、そのよそよそしい話し方やめてくれない。私が何かした?」
「いやだって…………昨日のことやっぱり怒っているんだろ」
「怒ってない」
うずうずと力なく訳を話すと、いつもより語気を強めて言い返してきた。しかしそれは反論になりえない。
なぜなら、ライラの顔は今まさに眉が下がり双眸も鋭くなっているのだから。
「だって今、顔に表れてるだろ。見ればすぐ分かる」
「私の、顔に?そんなはずは……」
呟くように指摘し返すと、大通りの真っただ中ライラは何故か自分の顔を両手で触り始める。
何をやっているのだろうか、もしや自身の表情を理解していないのか。
あの時と同じ、感情が制御できていないことのあらわれなのかもしれない。
「じゃあこれならいい?」
何かが分かったり変わったりするわけでもないのに、彼女はしばらく俯いて自分の顔を手でこねくり回していた。
やがて一人で勝手に得心がいったのか、顔を見上げ見せつけてくる。
そこには晴れ晴れとした嬉しそうな表情で、しかし棒立ちのライラの姿。
実際には、両手で無理やり口角を引き上げているだけだが……
何をしているのか、何をしたいのかもよく分からない。
はっきり言って状況的にその笑顔は少々不自然で、人によっては気持ち悪いとも感じるかもしれない。
でもゼントは思わず、面白くて声をあげて笑ってしまった。
「それは私を馬鹿にした笑い?それとも何か喜んでくれたの?」
喜色を添えた笑顔を維持したままライラは尋ねてくる。
また憤っているのかもしれないが、表情に引っ張られたのだろうか。
口から出る言葉もどことなく高く朗らかなものへと変わっていた。
「どっちだろうな。両方かも知れないな」
「じゃあ常にこの顔で居るようにするね。そうすればゼントも笑ってくれるんでしょ?」
笑いながら質問に答えるとその姿が気に入ったのか、そう言い放った。
対してゼントは素っ気なく返す。
「いや、いつも通りで居てくれたほうがいい」
「どうして?笑顔を振りまいてくれる方が良いんじゃないの?」
相変わらず笑顔のまま話し続ける。
だがゼントは理由を聞かれても上手く言葉が見つからない。
仕方なく頭の片隅に浮かんだ言葉をかき集めて伝えた。
「作った笑顔なんて見せられても反応に困る。それにお前の笑顔は、何というか……貴重だ。たまにしか見られないから自然なものだからこそ、有難みがより理解できるってものだから」
「ゼントの言っている意味が分からない。良いものなら、ずっと傍にあった方が……」
「分からなくてもいい。でも人間は普通に過ごしていると、自分が生きていられることが当たり前になって何も感じなくなる。でも死がすぐ身近にあったりすると、一瞬だけでも生きられることに感謝せざるを得ない。例えるなら、まあこんな感じだ」
「……とりあえず、言われた通りにしてみる」
なお理解が及ばない彼女に根気強く説明を試みる。例を挙げてみたが、納得はあまりできなかったようだ。
実際にはライラの顔が動く時は、屈託の無いものというより裏に何か潜ませたものが多い。
分かってはいたが、それを直接言うほどゼントは能天気にもなれない。
「……俺に言われたからじゃなくて、自分がいいと思った行動を取ったほうがいい」
「だから、ゼントに言われた言葉がいいと思ったからこうするの」
そう言って顔から手を離しても、ライラの表情は張り付いたように変わらなかった。
小さく飛び跳ねながら足を軽やかに動かして、木造の町中を進み始める。
自我の面では脆くとも、口だけは達者だと感じたゼント。
気が付くと、互いの間にそびえる壁はきれいに取り払われていた。
それはライラの策略か、いや違う。単なる偶然の産物だろう。
かくしてこの二人は依頼された場所へ向かう。
いつもより歩幅は広く、歩調も合っていた。
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