第107話『静恨』

 



 ――あくる日、一日を懸けてゼントは全力でユーラの望みを叶えていった。



 頭をなでてと言われれば、ユーラの気が済むまで撫で、顔を赤らめながら抱きしめてといったら、瞬時にそして無遠慮に、

 その度に彼女は常に顔は赤く恥じらいながらも、最上級に幸せそうな笑顔を見せてくれる。日中はほとんどがその繰り返しだった。


 普段はそれほどまでに要求することないが、それでもゼントから根気強く聞き出されたのだ。

 望みの多くは物などではなく身体的接触が多かったが一つ一つ丁寧に要求が受け入れられる。

 その勢いは凄まじく、逆に彼女の方が動揺してしまうほどだった。


 昨日の分の埋め合わせのつもりか。いや、それよりも少々苛烈だっただろう。

 癖がつくことさえ厭わずに……もしかすると彼の中でも何かが吹っ切れたのかもしれない。



 そして夜――二人は相変わらず体を寄せ合っていた。


 ユーラも初めは恐る恐るだったが、難なく望みが叶えられていく様子を見て、

 やがて今までなかったような、心に秘める突飛な願いを言葉にし始めた。


 二人で食事を作っていつもと同じく食卓を囲んでいる時の事。



「……すこしへんなことおねがいしてもいい?」


「何でも言っていいって朝も言っただろ」



「そ、それなら、おりょうりをゆ、ゆーらのくちに、はこんでたべさせてほしいなぁ」


「なんだそんな事か、もちろんいいよ」


 ゼントは訝しんだり、嫌がったりする素振りは見せず快諾する。

 言うや否や、一つ一つ丁寧に料理を匙で掬って口元に運んだ。熱い料理は息を吹きかけて冷ましてから。

 その間ずっとユーラはゼントの顔を惚けた様子で見ていたのだが、極力意識しないようにしていた。



 食後になって就寝準備の時間、ゼントはユーラの希望で膝枕をしていた。

 そこでも拡大した願いを求める。



「ねえ、おにいちゃん。ゆーらのことあいしてるっていってみて」


 教会の一室にて、譫妄の中で言ってきた言葉だった。


「ユーラ、愛しているよ」


 ゼントは躊躇いもなく即答した。

 その望んだ通りの言葉に膝の上でユーラの目は見開かれる。



「それってほんとう!?ほんとのほんとに!?うそじゃない!?」


「本当だよ。ユーラに嘘はつかないって決めたんだ」


 その言葉は真実だった。ゼントはユーラの事を“家族”として愛している。

 もちろん男女の愛ではない。

 彼女が兄妹の仲であるという認識なら、そのような関係は訪れないと決めつけている。

 しかし――


 ユーラが意図通りに受け取ったとは限らない。



「じゃあゆーらにき、き、きすして……!!……くれますか?」


 顔が真っ赤な冴えた色になり、目は充血しかけている。

 床に寝そべりながら胸に手をかざし祈るような姿勢だ。

 心臓を劇的に動かしながら、目を瞑ってゼントからの答えを待った。



 ユーラの心の奥底にある願望は、大好きに慕う兄へ子どものように“甘える”ことだった。

 しかし普段は決して表に出さないで、逆に彼に尽くそうとする。

 なぜなら彼女にとって兄は全てだからだ。嫌われでもしたら、容赦なく希望が微塵に砕ける。


 そしてもし仮に、自分が愛想尽かされて見捨てられたのなら、

 彼女が生きている意味を見失い、迷わず自害を選ぶだろう。

 だから、相手が嫌がる可能性のあるものは、後手に回って様子を窺っている。



 でも今日一日だけは、特に今だけはいい意味でタガが外れていた。

 心の内を躊躇こそあるもののゼントの前にさらけ出す。


 ユーラは暗闇の中で待ち続ける。唇を這う柔らかく艶めかしい感触を、

 目を閉じてはいるが、薄っすらと自分の顔の上に何かが迫ってきているような感覚があった。


 だがその時、家の玄関のほうから聞いたことのある声が掛かる。



「……ゼント、何してるの……?」


 それは、いつもの無感情で意志が読み取れない声ではなかった。

 冷たく湿り気を帯びて、明らかに不機嫌で怪訝そうなものだ。

 二人して聞こえた方向に首を向けると、一つ前の様子を体現したライラが棒立ちで見つめてきている。



「――あっ……」


 彼女の姿が目に入ると同時に、ゼントは仕出かしたことを悟った。

 今日の本来の予定と、そして連絡を入れることをつい忘れていたこと。

 頭の片隅には残っていたのだが、なんとなく大丈夫と思って後回しにしてしまっていた。



「ずっと待ってたのに、私との約束を破ってそんなやつと何やってるの?」


「いや、悪かったと思ってる。でも朝に来なかった時点で諦めて帰ったのかと……」


 怒りをぶつけられる前に謝った。謝罪という割には言い訳じみている気がするが、

 しかも、どうしてだかユーラが手を掴んだまま放してくれないので姿勢を正せないまま。

 当然だがライラは



「ゼントを信じてたから、この時間まで待ってたの!なのにその女の方がよっぽど大事なんだね」


 心配なら早くここにきて確認すればよかったものを……

 信じてたから、なんてを言われたところでゼントは困るだけだ。

 しかしライラの顔は悲痛に歪み、これ以上の言い訳は愚策だと判断した。



「分かった、俺が悪かったから、なんなら埋め合わせでも何でも……」


「だったら明日はちゃんと協会前に来て、今度こそ。待ってるから」


 彼女はそれだけを言うと、足早に目の前から去っていく。

 一瞬だけ、ユーラを恨めし気に睨め付けていた気がする。


 一方、視線を浴びたせいかユーラは震えていた。

 だが顔は不機嫌に染まり、手に力が入っている。



 ――安心させるためにその日、二人は手を繋いで寝床に入った。

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