第106話『兄妹』
――結局、事の顛末はこう収まった。
ユーラは意識が不確かなまま森の奥へ歩いて、またそこで眠ってしまった。
そしてゼントは彼女の存在に気が付かず、早とちりで行方知れずになったと勘違いする。
単なる偶然が重なった事故だ。
だが不自然な点は確かに存在する。正直なところ、この当事者の両者も納得がいってなかった。
ゼントは強い不審感こそなかったが、特にユーラが全てに疑いを持っている。
でも、とにかく本当に無事でよかった。ゼントは胸を撫で下ろす。
日はもう暮れて部屋が暗かったので灯りを焚きながら、何とか宥めて二人で夕食にした。
何故か一人分の量しかないので、ゼントは余っている保存食を食べながら、
しかし、そこの会話でもまたおかしな点が露呈した。
「そういえば、おにいちゃん。きているふくにすりきずがあるけど、きょうのおしごとはだいじょうぶだったの?」
「え、ユーラ、何を言っているんだ?仕事に行ったのは昨日で、今日は一日家に居ただろ?」
ゼントは間違っていない。今日は彼女と一緒にずっと家に居た。仕事なんて行ってない。
怪我をしたことも知っている。一緒に居たユーラがそれを一番よく分かっているはずだ。
「え?おにいちゃんはきょうおしごとがあって、それでいままでゆーらはいえでまってったんだよ?」
しかし、彼女も嘘をついているようにも見えない。どうにも確かめたくなる。
ユーラが記憶を失った日から、なんとなくこういった事もあるかと思って、事前に用意があった
「…………服に傷がある理由は知っているか?」
「もしかして、つまずいてころんだとか?」
「じゃあ、今日ユーラは夕食を作ったか?」
「え、これはゆーらがねているあいだにおにいちゃんがつくってくれたんじゃないの?」
……今の一連のやり取りではっきりしたことがあった。確信はないが話の辻褄が合わない理由はつく。
おそらくだが、ユーラは昨日の夕方からライラに発見されるまでの記憶を全て失っている。
話から推察すると正確には、ゼントが家に帰って来てからだ。
今考えてみると確かに様子が少しおかしかった。話し方や一人称が違った気がする。
でも原因が分からない。それらも記憶喪失の前兆だったのか。
そして、またこの先も何度も同じようなことが起こりうるのだろうか。
一日かけてできる限りの望みを叶えたというのに、忘れてしまった。
とにかく隠しても仕方がない。今後の為にもこの内容はしっかり伝えた方が良さそうだ。
回りくどい言い方はせず、なるべく直球で伝えた。
「たぶんだけど、ユーラは今日の出来事を忘れているんだと思う」
「そっか……おにいちゃんのはなしがなんかへんだなとはおもってた。なにもおぼえてなくてごめんなさい。もしかしなくてもゆーらがうっかりしてたせいだよね」
ユーラは不思議そうに首を傾げるでもなく、素直に話を受け入れた。
ゼントが真面目な顔でそう告げたからだけではない。どこか諦めの境地のような表情が窺えた。
自分自身を責めているようだった。慌ててそうではないと否定する。
「そんなことない!俺がもっとしっかりしていれば……」
「ねえ、おにいちゃん。あのくろいかみのひと、なんかいやなかんじがするの。これいじょうかかわらないほうがいいよ」
「そうか?見た目がちょっと怖いだけで、案外普通だよ」
「でもっ!!…………なんでもない。きにしないで」
何かを言いたそうに気持ちが動いているが、説得できないと判断して引っ込んだようだ。
そしてそのまま話も行き詰ってしまった。雰囲気は暗く、このままでは食事もおいしく感じなくなってしまう。
「そうだ、ユーラ。悪いんだけど明日は仕事で外に出る。半日で戻れるから」
「え……あしたはおやすみにするって……あ、そっか。いってらっしゃい、こんどこそしっかりるすばんするから、あんしんして」
また何か言いたそうな表情にゼントは我に返った。
記憶がない彼女の視点では、今日ゼントは一緒に居てやれてない。
これでは三日連続で外に出ていた認識になってしまう。
「……と思ったんだけど、こんなことがあった後だし流石に明日も家に居ようと思う」
「ほ、ほんとっ?でも、もしゆーらにきをつかってるなら、そんなことしなくていいからね」
「いや、突然入った依頼だったし、俺も少し体も休めないとなって思ってたところだ。それともユーラは俺が家に居ない方が嬉しい?」
「ぜったいそんなことおもわないよ!……うんっ、ありがとう!!」
ゼントは一昨日の朝の出来事を思い出している。
二人でみっともなく泣いて抱き合った朝を、
流石にユーラの心も限界なのだと感じた。
なぜなら、本人も気づいてなかったのかもしれないが、
彼女の瞳は激しく潤んでいたからだ。
きっと我慢したが無意識に涙が出てしまったのだろう。
極度に心配させまいとする姿は、かつての誰かにとてもよく似ている気がした。
その夜、二人は隣り合って寝静まる。
床に毛布を敷いて、顔を見合わせながらだ。
さながら仲の良い本当の兄弟のようだった。
果たしてゼントには兄としての自覚は芽生えているのだろうか。
ここは一つ、彼らの形作られ始めた固い絆を信じてみることにしよう。
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