火花散る

 ズータウンを司る神様というのは機械仕掛けだと近年、囁かれている。正確には、論理仕掛けというべきだろうか。複雑な公理系が密接に絡み合い、とある基準により人を罰することを決めるその体系自体を人は神と呼ぶ。でなければ、この街のエントロピーがこれほどまでに抑えられている理由に説明がつかないからさ。

そう慣れた口調で語る借金まみれの苦大生ミゲルは、毎晩毎晩彼の住居である九龍城砦の最上階で仲間に対し語る。まだ築五十年でありつつもその築年数を一切裏付けないアパートたちの不安定さは、アパート群の絶妙な相互的倒れ具合によって成立している。全てが中心に向かうような偏りは、本当のところ、当時経済状況が悪化していた日本が即座に格安で大量な住居を、ある程度の安定性が保証された上で確保するのに、最適な設計であったのだ。一般的なタワーマンションであるならば、上階であればあるほど家賃がのぼるだろう。この九龍城砦では、その反対だ。昇れば昇るほど、格安になってゆく。安全保証と引き換えに、だ。地震大国の日本ならばなおさらである。もはや近年では、九龍城砦の上階に住んでいるという理由だけで、生命保険に加入できないケースが多々存在する。

この大胆に不安定な均衡を保つアパート群はまるでズータウン自身を体現しているかのように、堂々と街の中心に聳え立っている。実際、縦にも横にも広いこの城砦はズータウンの土地の1/5を、そして街の犯罪率の1/3を図々しくも独占しているのだ。


さらに言えばこの1/3という数字、この数値はあくまで既に発見された事件しか考慮されていない。この複雑で広いクーロン(九龍)を不有の法律の緩さでいくつ事件が闇に消えていっただろうか。誰も知ることもないし、その必要もない。ここはそういう街なんだからさ。


「なあそう思わないかい、飯田」

アランはそう問いかける。


「うんー。 まあ...僕はー...」


飯田を遮りミゲルが口を出す。

「アホか。そもそも論点が違うだろアラン。俺が今話してるのは、テロリズムだったりマフィアとヤクザの抗争だったり、そういうでっかい事件がないっつーことだ。誰もが気づかないような事件があってそれが闇に葬り去られてる話なんて誰もしてないぞ。」


ミゲルは続けた。

「そもそもの話だ。全世界で似たような人種や文化を持つ人間がある程度の隔離を保ちつつ生活してるんだ。それでもやっぱり爆発テロとか戦争は起きるのが普通だろ。一般的だ。

でもズータウンをみてみろ?

全員が全く違う文化、宗教、システムを持ち合わせたやつらが一箇所に集まってやがる。その窓から覗いてみろ、国旗持って走る奴はいる、イカれたデモを叫ぶ奴はいる、なのにも関わらずこの街にはなんの大きなエクスプロージョンが起こらな、」


「結局!」


アランは呆れた顔で遮る。

対して、飯田はどうでもよさそうにボーッと外を見つめるだけだ。


「結局、神がいるってことを言いたいんだろ?」


「そう。そうなんだよ。神様はいたんだよ!」


「あー... いいって。うんざりだそういう話は。おまえと話すといつもそのイカれたカルト宗教のうんぬんかんぬんになるんだ。」


「ちがう!そもそもだな、全ての文化や歴史、宗教の集大成がこの街、ズータウンなんだ。異種同士の人間が集まってるのにも関わらずだな、この街の約24%の人口が彼を信じてんだぞ!ほぼクォーターだ!それが43年!リー様の存在は歴史が証明してん...」


「おめえキリスト教はその何倍だと思ってんだ。ぶっ飛ばすぞ!」

アランに熱がこもる。


「リー様は40年でここまで来てんだ。はっ倒すぞ!」

ミゲルも負けずに叫ぶ。


「うるせえ静かにしてろ!ぶっ殺すぞ!!」

上から怒号が響き渡る。


部屋が静寂に包まれる。時計の針の進行音を耳が鮮明にキャッチし、部屋の天井の真ん中にぽつんと置かれている電球をハエがコツン、コツンと響かせる。何秒経っただろうか。

たしか十秒を超えていたか超えていなかったくらいのことだ。


――――あ。

飯田が外をみつめ、喉を響かせる。


その様子は飯田の瞳を赤く明るく反射する。

まるでこの事象が今までの議論の沈黙を待ち受けていたかのように、

とんでもない轟音を彼らの耳はキャッチした。

圧倒的すぎるくらいだ、この街にしては。


――――――――ズドンッ――――――――


飯田を除けば誰もが唖然として、音の方向に目をやり、その光景に目を疑った。


「きれいだなぁ、はは...」

飯田はすこしうれしくなり、微かであるが、笑みを浮かべた。


「なんとなく救われた気がしたかもしれない」

彼の無意識はそう呟いた。

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