Season 3 - Spring
11. ウグイス
いつの間にか季節は移ろい、心浮き立つ春がやってきたようです。あちこちでふんわりとしたほとんど白く見える薄紅色が満開に花開き、まばらだった地面の緑も勢いを増しています。
わたくし自身も暖かい陽射しを受けて、ようやく茶色い枝の先から柔らかい若葉が芽吹き始めたところです。
りんごの木は落葉樹ですから、毎年葉が落ち、冬の間は幹と枝だけのさっぱりした姿になっております。季節が巡り、年輪がひと回り増え、そうしてわたくしもまたひとつ大きくなるわけです。
と申しましても、わたくしは昨年の秋には立派な実をつけましたし、もう一人前のりんごの木の精霊です。今年の秋もさらに美味しい果実をつけるべく、こうして
「何が
鼻で笑う気配を感じて目を向ければ、いつも通り、ちょっと意地悪に笑う無精髭のお顔がありました。
おかげさまでトーゴさんのお店は繁盛してらして、ぶろぐやいんすたぐらむにも、お買い上げいただいたお客様がケーキやタルトの写真を載せてくださっているそうです。それはそうでしょう、トーゴさんがつくったケーキはとっても綺麗ですから。
一番つやつやのアップルパイは、秋までご覧にいれられないのが残念ですけれどもね!
それはともかく、やはり商売繁盛の秘訣としては常連さんとご新規さんの獲得です。ケーキやタルトの写真も良いですが、やはりここは店主ご自身でもアピールするのがせおりーだと思うのですが、トーゴさんときたら相変わらずの無精髭。先日いらした方の取材もお断りされていました。
きちんと髭を剃って、ぼさぼさの髪を整えたら、万に一つの可能性ですが、いけめんパティシエとして話題になって若い女性にさらなる人気が出て、売り上げばいぞうのちゃんすだって巡ってくるかもしれませんのに。
「万に一つってなんだよ。そもそもセオリーとか、お前に商売の何がわかるんだ?」
「失敬ですね。わたくしとてこのお店の守護精霊として、日夜りさーちに余念がないのですよ」
「
「もちろん鳥さんたちです!」
えっへんと胸を張ったわたくしに、トーゴさんはいつもなら呆れた様子で肩を竦めるのですが、今日に限ってはなんだか微妙な顔をなさいました。わたくしの頭の先からつま先を眺め、顎に手を当てて何やら考え込んでいるようです。
「どこかおかしいですか?」
「いや……服も体に合わせて大きくはなっているんだな?」
「そうですね、わたくしはりんごの木の精霊ですから、この姿も
そうお答えした途端、トーゴさんがぴくりと肩を震わせました。眉根を寄せて、ほんの少しだけ——どうしてだか、苦しげな顔をなさいました。
わたくしの胸もなんだかぎゅっと苦しくなって、あまり深く考えないまま、ふわりとトーゴさんの腕の中に飛び込みます。トーゴさんは驚いたようでしたが、そっとわたくしの背に腕を回し、包み込むように抱きしめてくださいました。
「抱き上げてはくださらないのですか?」
「……その方がいいのか?」
耳元で答えた声はいつも通りの意地悪な響きを宿していて、ようやくわたくしもほっと息を吐きました。
「ずっとそうしてくださっていたのに、最近はあまりないようですから」
「もう小さい子供じゃないからな。大体いつも言ってただろう、一人前だって」
「それは、そうですが……」
思わず口を尖らせたわたくしに、トーゴさんが柔らかく笑う気配が伝わってきました。
「仮初……か。自由自在に変えられるのなら、服も変えられるのか?」
「多分できるとは思いますが、何かおすすめでもございますか?」
顔を見上げてそう尋ねますと、トーゴさんは少し困ったように視線を逸らし、無精髭の残る頬を人差し指でかいています。
「……トーゴさん?」
重ねて問うたわたくしから視線を逸らしたまま、トーゴさんが呟くようにおっしゃいました。
「白いワンピース、とか……」
お顔を背けたままでしたので、表情は良く分かりません。けれど、ほのかに頬が赤いようにお見受けしました。もしかしたら熱でもあるのでしょうか?
だとしたら大変です。ひとまずは目を閉じて、ご意見をいただいた通りにイメージを膨らませてみます。白と言えばやはりりんごの花を思い浮かべてしまいますね。
そんなことを考えていると、ふわりと風が吹きました。目を開けてみると、どうやら上手くいったようです。
「トーゴさん、いかがですか?」
そう声をかけてみましたが、トーゴさんはお答えになりません。少し呆然とされているようです。どこか変なところでもあるのでしょうか?
自分でも見下ろしてみましたが、ワンピースはふんわりとゆるやかな膨らみのある袖と襟元には黄色の縁取りがあり、膝上くらいの裾が薄紅色に染まっています。ちょうどわたくしの花の
わたくしは蕾の時はピンク色ですが、花びらは真っ白なのです。可愛らしいと鳥さんたちにも評判なのですよ!
緩んだ腕から抜け出して、くるりとその場で回ってみると、裾がひらりと舞いました。なかなかよくできたとじがじさんしていたわたくしですが、トーゴさんは口元を押さえて視線を逸らすばかり。
「トーゴさん、お気に召しませんでしたか? でしたら元に戻しますが」
「ち、ちが……!」
珍しく慌てた声で、トーゴさんがわたくしの腕を掴んで引き寄せられました。いつになく強い力に驚いて見上げると、目元がほのかに赤く染まっているようでした。
「トーゴさん?」
「……あんまりにも、イメージ通りだったから」
「イメージ通り、ですか?」
おうむ返しに聞き返したとき、ホーホケキョ、とのどかな声が聞こえました。見渡しましたが姿は見えません。かわりに緑色の鳥が少し離れた木々の間を羽ばたいて飛んでいくのが見えました。
「ウグイス、か?」
「あれはメジロさんですね。ウグイスさんは照れ屋さんなので、滅多に人前には出てこないようです。もう少し深い、落ち着いた淡い緑色ですね。可愛らしいですよ」
わたくしがそう申し上げたとき、歌うような声があちこちから響きました。
ホーホケキョ。
ホーホケキョ、ケキョケキョ。
こちらを警戒していらっしゃるのか、相変わらず姿は見えません。トーゴさんはその声に耳を澄ましているようでした。
しばらくして、ぎゅっとわたくしを抱きしめる腕に力が込められました。そうして耳元でほんの少し笑みを含んだ声で、春だな、と呟かれました。
「そうですね」
そう答えながら見上げた顔は、声の通りにいつになく柔らかく笑っていて、わたくしを包み込む腕の温度が、何だかいつもより高いように感じられました。春になって暖かくなってきたせいでしょうか?
それに、胸から伝わる心臓の音が速い理由も、よくわかりません。
わたくしは齢七年の一人前のりんごの木の精霊です。でも、この春に、まだまだ知るべきことがたくさんあるようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます