12. チューリップ

 お店の扉を開けて外に出ると、真っ青な空が広がっていました。まだ四月だというのに、朝の風もすっきりと涼やかで、春というよりはもう初夏のようです。

 ご近所の庭からのぞく桜の枝も、薄紅色うすべにいろのものはほとんど散ってしまって、鮮やかな新緑が枝を飾っています。わたくしの枝もきれいな緑色が増え、夏になれば素敵な木陰をつくるのです。


 良いお天気に、気持ちのいい風。しかも今日はトーゴさんがりんごの新作スイーツをつくってくださるのです。こんな素晴らしい日は何て言うのでしたっけ、ぱーふぇくとでいふぉーばななふぃっしゅ? え、違います? それに、りんごは品切れではないのか、ですって?


 そうなんです、わたくしのりんごは品切れですが、日々他の果物のスイーツに占拠されるショーケースにしょんぼりするわたくしをおもんぱかって、トーゴさんがわざわざわたくしに似たりんごを仕入れてくださったのです。

 もちろんわたくしのりんごの方が嬉しいのはそうなのですが、もともと昨年の秋までは他のりんごでつくっていらしたのですから、大きな問題はございません。


 春の新作となれば、やはりわたくしの意気も上がろうというもの。いちごや流行のピスタチオ、輸入物だからと安定供給のパイナップルやキウイフルーツに負けてはおれません!


「そんなに自信満々な新作ならぜひ食べてみたいけど、開店まではまだ時間がありそうかな?」


 ぐっと拳を握り締め、どこへともなく営業活動にいそしんでいたわたくしの耳に、柔らかい声が届きました。目を向けると、見たことのない男の人が立っていました。

 淡い色の薄手のコートを羽織ったその方は、花束を抱えていらっしゃいます。わたくしは思わず首を傾げました。どなたかへのプレゼントにしては、ラッピングが控えめに見えたのです。

 とはいえ、せっかくのご新規さんです。ぼんやりしてこの機会を逃すわけにはまいりません。


「いいえ、お店の開店は十一時。もうあと五分もすれば開店ですし、お急ぎでしたらすぐに開けるように伝えてまいりますよ!」

「ああ、別に急ぎじゃないから大丈夫。じゃあ、ここで待たせてもらおうかな」


 そう言って、その方はお店の前のベンチに腰を下ろされました。わたくしも隣に一緒に座ります。もちろん新規顧客を逃さぬよう、以前柊二さんに太鼓判を押していただいたも欠かしません。


「とってもきれいな花束ですね」

「通りがかった花屋さんで、セール品だったんだけど、なんだか懐かしくなって」

 その方が抱えてらしたのは、赤や黄色、ピンクに白に、それから紫。鮮やかな色とりどりのチューリップの花束でした。シンプルな包装はセール品だったからのようです。では、贈り物というよりは、ご自宅で飾る用でしょうか。

「あんまり深くは考えてなかったんだけど……そうだね」

 どこか遠い目をしておっしゃったその方の横顔が少し寂しげに見えて、わたくしは首を傾げました。

「思い出のお花なのですか?」

「……うん、子供の頃、母さんが庭で育ててたんだ。庭仕事が好きで、上手だったから、季節ごとにいろんな花が咲いてたんだけど、僕が初めて植えたのがチューリップだったんだよね」


 秋の終わりに球根を植えて、初めは毎日庭に様子を見にいって。でも、冬の間はあまり変化がなくて興味をなくしてしまったけれど、お母さまがお世話を続けてくださって、春には見事な花が咲いたそうです。


「母さんの世話が上手だったおかげか、一斉に花が咲いてね。すごく綺麗だった。それに、色によって花言葉が違うんだって」

「そうなんですか?」

「うん、たとえば君だったらどの色が好き?」

 笑って花束を差し出されたその方に、わたくしが少し考え込んでおりますと、カランとお店の扉についた鐘が鳴る音がしました。

「何やってんだ、お前?」

「ああ、トーゴさん。こちらの方が、ケーキをお求めですよ!」

「はあ? ならさっさと案内すればいいだろうに」

 少し眉根を寄せたトーゴさんに、隣に座っていた方がくすりと笑いながら立ち上がりました。

「いえ、僕が待つと言ったんです。中、入っても?」

「……ああ、もちろんどうぞ」

 頷いたトーゴさんにもう一度その方は柔らかく笑って、それからわたくしに花束を差し出されました。

「少し預かっていてもらえるかな?」

「はい、喜んで!」

 色とりどりのチューリップの花束は、よく見ると花びらの形もそれぞれ少しずつ違います。ピンクや黄色のものはしゅっとした花びら、紫のものはバラのように花びらが幾重にも重なっています。どれもとってもきれいで、どれか一つを選ぶのは難しいです。


 眉根を寄せて考え込んでいるうちに、またカランとお店の鐘が鳴りました。お客さまはもうお帰りのようです。手には小さな白い箱をお持ちですから、お気に召したものもあったようです。それはそうですよね!


 ふふんとご機嫌に微笑んだわたくしに、お客さまも笑顔を返してくださいました。

「可愛い看板娘さんのおかげで美味しそうなものが手に入ったよ」


 看板娘……! なんという素敵な響きでしょう!


 嬉しくなったわたくしは、そのままお客さまのリサーチに移ります。次回いらしたときのご案内に役立てるかもしれませんからね。


「何をお買い上げになったか聞いてもよろしいですか?」

「うん、アップルパイを二つと、あとはりんごのチーズケーキ。これ、新作なんだってね」

「はい! チーズケーキの部分と甘く煮たりんごのまりあーじゅが間違いないと思います。アップルパイもお買い上げありがとうございます。お好きなんですか?」

 そう尋ねますと、お客さまは少し目を見開いて、左手で右手の薬指に触れました。お顔はわたくしに向けられたままですから、無意識なのかもしれませんが、そこには銀色に光る指輪が嵌められています。


 それから、ふわりと柔らかく、まるで花がほころぶように微笑まれました。

「うん、僕にとっては、チューリップと同じくらい思い出のものかもしれない」

 そうおっしゃった顔は、わたくしまで思わず釣られて笑顔になってしまうほど幸せそうでした。わたくしもアップルパイには思い入れがたくさんありますもの。そのお気持ちはようくわかる気がいたしました。

 アップルパイの網目の下には思い出と幸せが詰まっているのです。


 ひとりでそう合点しておりますと、お客さまがぷっと噴き出しました。


「そういえば、チューリップの好きな色、決まった?」

「あ、ええと、ではやっぱりこちらのピンク色が素敵だと思います!」

「そっか。君みたいに可愛いお嬢さんにはぴったりだね」

 お客さまは花束を受け取ると、ピンク色の一本を引き抜いてわたくしに差し出しました。

「楽しいおしゃべりのお礼に」

「よろしいのですか?」

「うん、よかったらお店に飾ってもらって——あれ?」

 お客さまは目を丸くしてわたくしの髪に手を伸ばすと、何かをそっと摘み上げたようでした。それからわたくしの胸の少し上あたりにぽとりとそれを落としました。

「ナナホシテントウさんですね」

「うん、小さなブローチみたいだね。よく似合ってる」

 ああ、それと、とお客さまは何かの秘密を話すように、わたくしの耳元に口を寄せました。


 ——ピンクのチューリップの花言葉は「愛の芽生え」なんだって。


「君の恋が叶いますように」

 くしゃりとわたくしの頭を撫でて、もう一度にこりと微笑むと、その方はケーキと花束を大切そうに抱えて去っていかれました。ぼんやりと遠くなっていくその背中を眺めていると、またカランと鐘の音が聞こえました。


「何やってんだ?」


 見上げた顔はいつも通りですが、なんだかほんのちょっぴり不機嫌そうです。

「トーゴさん? どうなさったのですか?」

「……それ、あいつにもらったのか?」

 トーゴさんが指差したのは、先ほどいただいたピンクのチューリップでした。

「はい。わたくしの恋が叶うように、と」

「……え?」

 大きく目を見開いて、それからトーゴさんは口元を押さえて顔を背けてしまいます。その頬が、いつぞやのようにほんのり赤く染まっているように見えました。


 いただいたチューリップの花言葉が不意に脳裏をよぎります。

 その瞬間、ぽわっと何だか胸の奥が暖かくなったような気がいたしました。


 わたくしはよわい七年しちねんのりんごの木の精霊です。でも、もしかしたら、とっても重大なことに気づいてしまったかもしれません。

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