Season 2 - Winter

8. お揃いのマグカップ

 その日の夕方、久しぶりにいらっしゃったしゅうさんは、なにやらにこにこと機嫌が良さそうでした。元々、いついらしてもご機嫌な感じの方ではあるのですが、本日は特に、何と申しましょうか、頭の上に向日葵ひまわりでも咲いているような明るさです。


「りんごちゃん、なんか微妙に気になる言い方だけど、それって俺の頭が黄色に茶色のメッシュだからってことだよね?」

「えっ、どうしてわかってしまったのですか?」

「……ダダ漏れだからな」

「りんごちゃんは相変わらず可愛いねえ」

 いつも通りの呆れたようなトーゴさんの声と、にこにことお花畑のような笑顔を浮かべていらっしゃる柊二さんの言葉に、何やらちょっぴり気になるところがあったような気もいたしますが、ともあれ本日は新作のアップルパイがお披露目される日なのです。


 いそいそとホールのアップルパイを三つ、ショーケースの中に並べます。つやつやの編み目も美しく、まだ焼きたてのそれは温かくふんわりと柔らかい甘い匂いを漂わせています。

「あれ、新作?」

「はい! カスタードクリームの代わりに、スイートポテトを敷き詰めた、スイートポテトアップルパイなのです」

 えっへんと胸を張ったわたくしに、けれども柊二さんは首をかしげます。

「へえ、りんごちゃん的にはそれオッケーなの? アップルパイにはりんごちゃんも思い入れがあるんでしょ?」


 そうなのです。わたくしが実を結んでから、最初にトーゴさんが作ってくださったのが、アップルパイでした。残念ながらその編み目もパイ生地も、今ほど美しくもさくさくでもありませんでした。けれども甘く煮て、ほんのちょっぴりシナモンを加えたりんごのコンポートは完璧で、最初にトーゴさんと一緒に召し上がってたいばんをおしてくださったのがこの柊二さんだったのです。


 このお店の裏庭にて育つこと七年。ようやく結んだ実をそのまま食べたトーゴさんは美味しいとそう言ってくださっていたけれど、長年このお店に通っている柊二さんに認められ、この洋菓子店の目玉商品になれるのは、とっても誇らしいことなのでした。


「わたくしのりんごでトーゴさんが作ったアップルパイは、間違いなくお店の人気商品です。けれども、わたくしとて新作開発にご協力することはやぶさかではないのです」

「そうなの?」

「わたくしのりんごがいかに他の食材さんたちにも協力的か、見せつけてやるのです」


 ええ、カボチャごときには負けませんとも!


「……だいぶ根に持ってるよ、あれ」

「……気にするな」


 何やら深いため息が聞こえてきましたが、わたくしは聞こえぬふりをいたします。こればかりは譲れぬ秋の味覚のれつなたたかいなのです。


「そういえばイートインも再開するんだって?」

 ショーケースを眺めていた柊二さんがふと思い出したようにそうおっしゃいました。トーゴさんもカレンダーを見ながら頷きます。

「まあ、イートインっていっても、買ってそこで食うだけだけどな。あとは珈琲コーヒーくらいは出せるけど」

「紅茶は?」

「面倒だからやらない」

「うわー、雑」

 呆れたように肩を竦める柊二さんに、トーゴさんは気にした風もなく黙々とケーキを並べていきます。

「トーゴさん、わたくしも、アップルパイにはルイボスティーがよく合うと風の噂に伺いました。ご検討されても良いのでは?」

「俺のケーキに合わせる紅茶をれるには、きちんとしたティーポットとカップがいるし、他にも色々入用になっちまうだろう。手間も増えるし、人手もかかる。その点、珈琲ならマシンでそこそこ美味いのが飲める」


 パティシエであり、店主オーナーでもあるトーゴさんらしい、大変合理的な判断です。残念ながら、憧れのルイボスティーとのまりあーじゅ、はどうやら叶いそうにありません。あからさまに肩を落としたわたくしを哀れに思ったのか、柊二さんがぽんぽんとわたくしの頭を撫でて、それから何かの紙袋を取り出しました。


「あ、そうだ。すっかり忘れてたけど、これりんごちゃんにお土産」

「お土産……ですか?」

「こないだツアー先で瀬戸せとものいちをやっててね。すごく綺麗な色だからりんごちゃんも気に入るかなと思って」


 そう言って柊二さんが取り出したのは、とろりとした青い色の陶器のマグカップでした。テーブルの上に二つ並んで置かれたそれは、よく似ていても少しずつ形と色合いが違います。


「手作りだからね、完璧に同じにはならないんだって」

「とっても綺麗です。いただいてよいのですか?」

「りんごちゃんも、少しなら飲めるって聞いたから、たまにはお茶するのもいいかなと思って」

「ありがとうございます。でもどうして二つあるのですか?」

「そりゃあ、ひとつじゃ寂しいでしょ?」

「寂しい、ですか?」

 首をかしげたわたくしに、柊二さんはどうしてだかひどく優しく微笑んで、それから、トーゴさんからケーキを詰めた白い箱を受け取りました。

「新作のアップルパイに、カボチャプリン、それからモンブランか。いいね」

「トーゴさん!」

「カボチャのパイを入れなかった俺の配慮を汲んで欲しいね」

 確かにカボチャパイとアップルパイは競合していますが、カボチャプリンの引き合いに出すものは、残念ながらいまのところなかったのです。

 口を尖らせたわたくしに、トーゴさんはいつものようにちょっと意地悪に笑ったのでした。


 柊二さんが帰ると、トーゴさんは青い二つのマグカップを取り上げました。そうしてカップを持ったまま、二階へと上がっていってしまいます。そちらはトーゴさんの私室プライベートですから、お呼びがなければわたくしは上がりません。


 あれはわたくしがいただいたものですのに。ちょっぴり頬を膨らませて、ショーケースを眺めておりますと、やがて何だか不思議な香りが漂ってきました。

 振り返ると、トーゴさんが両手にそれぞれマグカップを持って下りてくるところでした。わたくしがじっと見つめていると、トーゴさんは右手に持っていた方をわたくしの前に置きました。中には少し茶色がかった赤い色の飲み物が入っています。

「……これは何ですか?」

「ルイボスティー」

「え……?」

「飲んでみたかったんだろ?」


 言って、トーゴさんはもう一つのカップを持ったままカウンターの向こうへと戻っていきます。ふと、見上げたカップの底には、TOGOの文字。もしやと思って手前に置かれたカップの底を覗いてみると、そこには小さなりんごの絵が描いてありました。


「そういうサービスがあるらしいぞ、最近は」

「そういう?」

「好きな文字やら絵を入れてくれるらしい。事前にオーダーが必要らしいから、わざわざあいつ、準備してたんだな」

「そうなのですか……」


 青いマグカップを手に取ると、じんわりと熱が伝わってきます。赤茶色のお茶は、口に含むと、少し甘いような爽やかな味がしました。きっとアップルパイにも合うことでしょう。

 カウンターに目を戻すと、トーゴさんもちょうど口をつけているところでした。


 同じ色の、少し形の違う、きちんと誰のものかがわかるお揃いのマグカップ。


「トーゴさん、このマグカップは飲み終わったら二階にお片付けされるのですか?」

「まあそうだな、客に出すもんじゃないし」

「そうですか」

 にんまり笑ったわたくしに、トーゴさんは怪訝そうな顔をなさいます。


 わたくしは齢七年のりんごの木。ようやく七年目にして、わたくしの絵が描かれたマグカップが、トーゴさんのお部屋に居場所を確保したようです。


 どうしてこんなに心が弾むのか、その理由はまだよくわかりませんけれども。

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