4. 鉱石ラジオ

 毎週火曜日、洋菓子店はお休みです。ガラスの扉にかけられた看板も CLOSED。ショーケースの中は、日持ちのするほんの少しのケーキと焼き菓子以外、空っぽです。

 実は、ここだけの秘密ですが、定休日の前日には、売れ残りそうなケーキはセールでお買い得になるのです。もしお客様としていらっしゃるなら、月曜日の夕方もおすすめですよ。

 アップルパイはいつも売り切れてしまっていますけれどね!


「おい、営業利益を低下させるようなセール情報を勝手に発信するな」

「ふーどろす、をなくすための適切なです。それにいつもそんなに残ってないじゃありませんか」

「俺の見積もりの正確さをなめんなよ?」


 そうなのです。トーゴさんは、見た目ばかりは無精ぶしょうな髭に、ぼさぼさの頭のちょっとパティシエの風上にも置けぬ雑な容姿の方ですが、材料の仕入れから、経理事務、キッチンや商売道具の調理器具の清掃や整理整頓も、全ておひとりでこなしています。

 それらすべてをちゃあんと毎日、仕事終わりの夜にきっちり片付けていらっしゃるので、お休みの日には、こうして一日のんびりとお過ごしになっているというわけです。


 ちなみに、お店の二階は居住スペースになっています。わたくしは基本的にはお休みの日はお庭で過ごすようにしているのですが——何しろわたくしは、ぷらいばしーを尊重するりんごの木の精霊なのです——本日は珍しくトーゴさんからお声をかけられたので、二階にお邪魔して、ふかふかのクッションの上でごろごろ——もとい、くつろいでいる次第なのでした。


「鉱石ラジオ、ですか?」


 おっしゃった言葉をそのまま鸚鵡おうむ返しに繰り返したわたくしに、トーゴさんは何やらとても得意げにその箱を見せてくださいました。

 薄い青緑の箱は上の方が少し斜めになっていて、いくつものボタンがついています。一見すると何かの機械のようにも見えますが、何しろ自然の申し子であるわたくしには、皆目かいもく見当もつきません。

 もちろん、ラジオが何をする機械なのかくらいは存じております。けれど、目の前のそれは、紙の箱と色とりどりの丸くて可愛い部品でできていて、どちらかといえば玩具おもちゃにしか見えませんでした。


「そう、すごいだろう?」

「すごいのですか? どのあたりが?」

「電池も電源も無しに、電波を拾っていつでもラジオが聞けるんだ」


 どうだ、と胸を張っておっしゃるトーゴさんは、いつもより目がキラキラと輝いていて、少し子供っぽく見えました。無精な髭がなければ、爽やかな好青年と言っても差し支えないかもしれません。あいにくと髭も髪の毛も、いつも通りというか、お休みで気を遣わぬ分、より無精さが増している気もいたしますけれども。


 今ひとつ反応の薄いわたくしに、トーゴさんは諦めたのか、こちらに背を向けてその綺麗な箱をあちこち押したり引いたりひねったりしています。けれども一向に音が聞こえてくる様子はありません。


 森の入り口にあるこのお店では、鳥の声や風の音が響きます。何か部品が足りないのか、あるいは組み立て方が悪かったのか、一向に音の出ないその箱に、どんどんトーゴさんの表情が曇っていくのがわかりました。


「トーゴさんは、それで何を聞きたかったのですか?」


 そう尋ねると、少し驚いたように目を見開きます。わたくしが首を傾げると、トーゴさんも同じように首を傾げ、それから薄く、なんだかやっぱり子供みたいに笑いました。

「何ってわけじゃないんだよな、多分。こういう謎の機械でちゃんと何かが聞こえる、っていうのが試したかったんだな」

「謎の機械、ですか」

「俺にも仕組みはよくわかんねえからな。兄貴はこういうの得意だったんだけど、俺はからきしで」

 どこか遠くを見るような目をしたトーゴさんの顔は、ちょっとやっぱりいつもと違っているようです。

 ふと、先日あきさんと会った時の様子を思い出して、なんとなく胸がざわざわする感じがしました。わたくしはトーゴさんの顔から視線を外して、その手元に目を向けます。


「その紙に書いてあるのではないのですか?」


 トーゴさんの手には何枚かの紙があり、目の前にある箱と同じものが描かれています。いわゆる「説明書」というやつだと、当たりをつけたのです。こう見えて意外とりんごの精霊は賢いのです。


「手順は合ってるはずなんだけどなあ」


 トーゴさんは諦めきれないようで、何やらごそごそとあちこちをいじったり引き締めたりしています。と、その時、何か、がさがさとしたはっきりしない音とともに、人の声のようなものが聞こえてきました。

 思わずトーゴさんと顔を見合わせて、それからその機械に顔を寄せ、息までも詰めて耳を澄ますと、確かに微かに聞こえるそれは、女の人の歌声でした。


 しかも、彼女が歌っていたのは、りんごの歌でした。

 少し物悲しい調子の、けれども優しいそれは、恋の歌のようです。


 歌が終わると、がさがさという音とともに今度は男の人の声が聞こえてきて、どうやらニュースに切り替わったようでした。トーゴさんが丸いスイッチのようなものを捻ると、音がぴたりと止んで、いつも通り鳥の声と木々の間を風が通る音だけが戻ってきました。

 トーゴさんは、しばらくその鉱石ラジオをじいっと見つめ、それからちらりとこちらに視線を向けると、ひょい、とわたくしを抱え上げました。階段を下りて靴を履くと、お庭へと進んでいきます。


 そうしての前に立つと、つやつやに熟したりんごを一つ、もぎました。シャツの端でごしごしとこすって、そのままがぶりとかぶりつきます。瑞々しいわたくしの果実は、しゃくりしゃくりといい音を立てて、あっというまに芯だけを残して平らげられてしまいました。


「美味しいですか?」

「ああ」

「それはよかったです。でも、急にどうなさったんです?」

「ん、なんかあの歌聞いてたら、急に食いたくなった」

「そうですか。あれは有名なお歌なのですか?」

「そうだな、古い古ーい歌だが、かなり有名なんじゃないか」


 なるほどやっぱりりんごは人気なのです。にんまり笑ったわたくしの顔を見て、トーゴさんは何やら考え込む様子になり、それからニッといつもの少し意地悪な笑みを浮かべました。

 そうして、わたくしが身構える間もなく、首筋にトーゴさんの鼻先が触れ、それからざらりとした無精な髭の感触のあと、ぬるりとしたものが頬に触れました。


「……りんごの匂いはするけど、甘くはないな」

「そりゃあ、わたくしはりんごの木の精霊ですから」


 木も葉っぱも甘くはありませんよ、と呆れて言ったわたくしに、トーゴさんは舌を出したまま、お子様め、と笑いました。


 何だか小馬鹿にされたようで、面白くはありませんでしたが、よわい七年のりんごの木、まだまだ人の世界も考えも、理解の及ばぬことがたくさんあるようです。

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