3. ハロウィーーーン!

 こんがり焼けるバターたっぷりの生地の匂い。その中から漂ってくる甘い香りにうっとりと目を閉じかけて、しかし、わたくしは何かを感じて眉を顰めました。今は秋。わたくしにはたわわに赤い果実が実り、アップルパイをはじめとして、りんごのデザートが作り放題です。


 この洋菓子店を見守る役目を負った者として、りんごの精霊としてのはあれど、りんごのデザートばかりではお店が立ちゆかないことは理解しております。けれど、だとしてもです。


「トーゴさん、わたくしはダンコとして抗議いたします」

「却下だ」

「ええっ、まだ何も具体的なところを申し上げてもいないではありませんか!」

「いいか、もうすぐハロウィンシーズンだ。俺の作るアップルパイが絶品なのは自他共に認めるところだが、人はアップルパイのみで生きるにあらず。多様さと時季を捉えたラインナップこそが繁盛の秘訣だ。故に俺はパンプキンパイを焼く。しかもジャック・オ・ランタンな顔をしたやつだ。アップルパイより圧倒的に売れる」


 ぐうの音も出ない正論、残酷な市場経済の事実でございます。しかし、まだまだよわい七つにしかならぬ幼な子に向けるには、あまりに世知辛いお言葉だとは思われませんか?


「だから、誰に言ってんだよ? 大体普段は一人前だって言ってるくせに、こんなときばっかり子供こどもづらすんなよ」


 言いながら、トーゴさんは焼き上がったばかりのカボチャのパイをオーブンから取り出すと、網の上に手早く並べていきます。同じ型で抜き出したお化けカボチャの顔はみんな同じですが、手作りであればこそ、ひとつずつ表情が違います。

 ふんわりと漂う香ばしさと、野菜特有の優しい甘い匂いは確かに美味しそうで、わたくしの両手に乗るくらいのサイズもちょうどよく食べやすそうです。


 その時、カランとお店の入り口の鐘が鳴りました。振り返ると、白い布を被った小さい影が見えました。


「トリック・オア・トリーーーーートォッ!」


 テンションの高さは買いますが、あいにくとまだ日は高い上に、煌々と照明の明るい店内の中では、その雑な仮装は怖さも可愛いさも中途半端です。

 ちょっぴり評価が辛いのは、カボチャ絡みでへそを曲げているわたくしといたしましては、もう仕方がないのでございます。


「そうだな。大体まだ二ヶ月近くも先だぞ」

「わかってるよ。お母さんが、来月のパイの予約がそろそろ始まるから行ってこいって言われてきただけだって」


 布の下から顔を出したのは、常連さんの一人のかえでくんです。お名前が植物に関わる方ですから、どちらかと言えばわたくしも親近感を抱いておりましたが、カボチャ派閥となれば話は別です。

「なんだよりんご、機嫌悪そうだな」

「そんなことはございませんが……あ、おやつにりんごはいかがですか? 今ならたわわに実っておりますから、悪戯する代わりに差し上げましょう」

「えー、俺こっちの方がいいなー」

 そう言って指さしたのは、先ほど焼き上がったばかりのカボチャのパイでございました。

「やっぱこう、ハロウィン! って感じでいいよな。りんごはりんごで美味しいけどさ」


 今ではハロウィンの経済効果はバレンタインデーを上回るとさえも言われているそうです。わたくしとて理解はしておりますが、やはり実際にこうしてお客様からも指摘されれば、もはや立つ瀬もございません。


 楓くんに背を向けて、わたくしはとぼとぼと裏庭へと戻ります。空は真っ青に晴れて、風も秋の装い。急に夏が終わって、冷え込んでまいりました。ハロウィンが来る頃には、冷え込みも厳しくなり、いよいよ旬も終わって冬籠ふゆごもりの時期になります。


 ——そう、秋は一番美味しく食べられる季節なのに。


 このお庭で、こんなにも存在感を主張しているわたくしが、カボチャごときに遅れをとるのは全く納得がいきません。けれども、それが世界おみせの選択ならばやむを得ないのです。


 そうして、わたくしはしばらくふて寝を決め込んだのです。



「おい」

 低い声で目を覚ますと、あたりはもう夕焼け色に染まっていました。秋の日は釣瓶つるべ落とし。傾き始めた日はあっという間に沈み、真っ暗になってしまうでしょう。夕焼けに照らされたトーゴさんの顔は、なんだかいつもよりちょっぴり優しく見えます。

 両手を広げたその胸に、わたくしは渋々ながら身を預けました。カボチャ贔屓びいきへのわだかまりはまだしっかりとわたくしの胸の中で凝っておりまして、そうやすやすと溶けはしないのです。


 いつもより高い視界ところから臨む夕焼けは、それはそれは綺麗でしたけれども。


 そんなわたくしの内心などすっかりお見通しだとでも言うように、トーゴさんはその無精な髭だらけの頬を楽しげに緩めたのです。

「そんなに俺がカボチャ贔屓なのが気に入らないのか」

「気に入りませんとも」

 頬を膨らませて頑強に主張したわたくしに、トーゴさんは苦笑しながら肩を竦めてお店の中へと入っていきます。扉をくぐるなり、ふんわりと甘さに混じるスパイスの香りがして、わたくしは思わず目を見開きました。


 驚いたわたくしに満足げに頷いて、トーゴさんはわたくしを抱き上げたまま、作業台の上に綺麗に並べられた、手のひらサイズのアップルパイをドヤ顔で示しました。


 表面には可愛らしい顔がついています。カボチャのパイの恐ろしげな顔と並べると、それはもう圧倒的にアップルパイの方が可愛らしいです。


「並べて売れば、どっちも欲しくなるだろう?」

「アップルパイの方が可愛いから人気になります」

「いやー、それはどうだろうな?」

「わたくしが可愛く売り子をして、圧勝してみせますとも」


 ふんぞり返ってそう宣言したわたくしに、トーゴさんは片眉と口の端を上げて笑いました。ちょっと意地悪な顔ですが、でも本当は優しいことを知っているので全然怖くなんてないのです。


「……ま、俺はどっちでも、売れりゃいいけど」


 言いながら、トーゴさんがアップルパイを一つ取り上げてかぶりつくと、とってもいい音がします。その顔が甘く緩むのを見て、わたくしもドヤ顔をしてやるのです。


 ほらね? 齢七年のわたくしのりんごで作ったアップルパイは、やっぱりカボチャのパイより先に手が出る美味しさなのです。

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