第15話 総裁選に出馬いたします!

会場は騒然としていた。


都内某所の高級ホテルである。


長い机が、壇上に準備されている。

ミネラルウォーターの入ったボトルが、真ん中に置かれている。

壇の前にはパイプ椅子が並べられている。


記者たちが、カメラを構え、マイクを手にして待機。

記者の数自体は、それほど多くはない。

10人程度だろうか。


総裁選への出馬を表明すると、数時間前に、各メディアに対してファックスがあったのだ。


『わたくし、井上三木安は政治家として再起、このたびの総裁選に出馬する意向を固めました。よって、急遽のことで大変恐縮ではありますが、緊急会見という形で出馬表明を行います。マスメディアの諸氏におかれましては、ぜひともお集まりをお願いしたく存じます。』


ファックスを送った人物は元・政治家である井上三木安75歳。


かつて大物政治家として要職を歴任したが、チャイナドレスを税金で買い、それを着用して書道をしていたところを週刊誌に撮影され、そのスキャンダルが原因で政界を追放された。


「魔が差して、Amazonで買ってしまいました。」


そのように、激しく目を泳がせながら井上三木安は弁解していたが、後に、彼の自宅には200着以上の専用チャイナドレスが存在すると判明した。


それは数年前の話で、まだ記憶に新しい出来事。


そんな人物がなぜ、総裁選への出馬を表明するのか。


わからない。


そもそも、井上三木安は議席を保持していない。


ミステリアスである。


その不可解さにある種の魅力を感じて、記者たちは集まっている。

中には某有名オカルト雑誌の記者も混じっている。


井上三木安氏は、チャイナドレスを着用して、この会場に来るのだろうか。


その点にも、注目したい。


禿げ上がった頭、割合とガタイの良い肉体の井上三木安氏が、ピッチピチのチャイナドレスを着用して書道をしている様子、撮影されて目を見開き、心底から驚いている様子、あの、週刊誌に掲載された写真は、非常に印象に残っている。


その頃、彼の一人娘である咲子はどうしていたか。


もちろん、未だに公園のベンチに座っていたのである。


もう、一晩が経過して、朝になり、昼を迎えようとしていた。


咲子はベンチに座り、その細い腕を、中年の男に掴まれていた。


「もういい加減にしてよ!変態行為をやめて!もういや!帰りたい!眠いしお腹が空いたのよ!」


悲痛な、絶望的な叫び声を、咲子は発した。


咲子の白く細い腕を掴んでいる男は、全裸である。

太り気味の体型、髪はボサボサ、無精髭を生やし、毛深い。

腹毛がふさふさであり、その下の陰毛もふさふさである。

陰毛から顔を出している赤黒いチンポコは、ビクンビクンと脈打っている。


男の周囲にはハエが何匹も飛び回る。


臭いのだ。


生ごみが腐り果て、そこに大量のお酢を掛けた、という印象の悪臭。


その中年男性は、何も言わず、じっと、嫌がる咲子の顔を凝視している。


「ねえ!変態行為をやめてください!もう限界なの!」


悲鳴をあげる咲子。


全裸の毛深い、太り気味の男は、無言であるが、そのチンポコは、返事をするようビクンビクンと動くのだ。


これは、新時代のコミュニケーション法と言えるのではないか。

人からの発言に対し、言葉ではなく、チンポコを動かすことで応答するのである。


「みーくん!みーくん!」


そんな声が、発生した。

若い、元気のよい男の声だ。


公園のベンチに、若い男が駆け寄って来た。


身長180センチ以上、金髪、青い目、彫りの深い端正な顔立ち、耳には金色のピアス、スラリとした体躯(だが胸板はそれなりにあり、筋肉質ではある)、シンプルな白いティーシャツに青いジーンズという恰好。どこかのモデルだろうか、と思わせる人物。


その若い男が、みーくん、と言いながら、咲子の腕を掴んでいる全裸の男の肩に触れたのだ。


「みーくん!やっと見つけた!今日はデートするって約束だったでしょ!」


若い男は斎藤ミケランジェロ兼定22歳。

渋谷の駅前でスカウトされ、今、売り出し中のモデルである。


斎藤ミケランジェロ兼定に促されて、全裸の毛深い男、ハエが周囲を飛び回る男こと「みーくん」は立ち上がる。


「え?そうだっけ?」


これまで無言を貫いていたみーくんが、意外にも低音の良く響く美声で言った。


「そうだよ!こないだ見つけたレストラン予約してるんだから!フレンチだよ!」


斎藤ミケランジェロ兼定は言って、みーくんの頬にキスをする。

そして、ベンチに座って呆然としている咲子を睨みつけた。


「おい!人のボーイフレンドを盗もうとしてんじゃねえぞ!この気持ち悪いメス猫!お前みたいのはさっさと家に帰って首吊って死ね!」


激しい攻撃的な口調で、斎藤ミケランジェロ兼定は述べて、咲子に向かって唾を吐きかけた。


みーくんは、全裸のまま、すでに公園の出入り口付近まで、歩いていた。


「待ってよ!みーくん!置いてかないでよお!」


嬉しそうに、はしゃいだ声で、斎藤ミケランジェロ兼定は言って、みーくんを追いかける。


公園の出入り口、自販機の前で、みーくんと斎藤ミケランジェロ兼定は立ち止まり、抱擁を交わし、そのまま、濃厚なディープキスをする。


クチュ、クチュ、という唾液の混じり合う音が発生。


みーくんのチンポコは、ますます大きく、硬くなる。先っぽから透明な粘液が溢れている。


「なんなの、これ……。」


咲子は呆然としていた。食欲はなかった。眠気も吹き飛んでいた。


咲子は立ち上がり、久しぶりにベンチから離れた。


自由の身になった咲子。


その頃、彼女の父親である井上三木安はどうしていたか。


会場は静まり返っている。


パイプ椅子は、すでに撤去されていた。


記者やカメラマンも、すでに退去していた。


結局、井上三木安は時間になっても会場に現れなかった。

連絡も寄越さなかった。


1時間ほど、みんな待機していたが、いつまで経っても何もないので、うんざりして帰って行ったのだ。


真っ暗な会場である。


深夜の2時頃だろうか。


灯りが点けられる。

いきなり壇上に上がった人物がいた。


髪の毛は七三分け、黒縁眼鏡を掛け、異様に表面のつやつやした安手の黒いスーツを着ている。


40代の男だった。


「私はこのたび総裁選に出馬する意向を固めました!」


男は真っ直ぐ前を向き、壇上で叫んだ。


声は、誰もいない会場に、虚しく響いた。


「いいですか!私が総裁になった暁には全裸で路上を徘徊することを国民の義務といたします!」


男は真っ直ぐ前を向き、壇上で叫んだ。


凄絶な絶叫で、男の首が真っ赤になっていた。額に太い血管が浮かび上がる。


「つまり!こういうことです!」


叫ぶと、男は異様につるつるしたスーツをアッと言う間もなく引き裂いて全裸となった。


「人間の本来の、自然の姿!これをなぜ否定するのですか!いいですか!絶対に実現します!総裁になった暁には、まず最初に、最優先で、国民全裸義務法案を可決させます!路上を全裸で徘徊できない世の中を打破する!今の日本で最優先に実施するべき政策であることに間違いないはず!いいですか!」


絶叫すると同時に、壇上で男は倒れ、仰向けになる。


全裸の男は白目を剥いて、激しく痙攣、口からぶくぶくと白い泡を吹いた。


猛烈に暴れるケダモノのごとく凄まじい痙攣で、壇上を跳ね回った男はしばらくして仰向けになり、まったく動かなくなった。


白目を剥いて、大きく開いた口から、だらりと舌が垂れていた。


全く、微動だにしない。


胸や腹が動いている気配もない。


会場は静かであり、何者の声も、響いていない。


時間が停滞しているように思えるが、壁の時計は着実に動いていて、時刻は深夜の2時30分を回っていた。





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