第5話 SRN――自己複製型ナノマシン――

 翌朝、櫂惺かいせいは精密検査を受けるためニューランズ・コロニーの一番大きな病院を訪れた。


 いくつもの検査を受けていくなか、やはり身体のどこにも異常は見つからない。


(やっぱりどこにも異常は無いのか。それどころか体の状態や生活習慣を誉められてしまうとか、もうわけがわからない……)


 そしてそのまま心療内科に回されてしまう。


「え⁉ 心療内科……自分が⁉」


 自分が、まさか心療内科というものに行くことになるなんて、夢にも思っていなかった。


(だって少し動いただけで息切れして、気が遠のく感覚になるし、胸は痛くなるし、眩暈めまいはするし、手がしびれたりもする。感覚的なことだけじゃなく、血圧が低くなることだってある。そんなものが、心療内科で治療出来るのか?) 


 半信半疑のまま、言われた通り心療内科の病棟へ向かい、待合室の椅子に座り診察の順番を待つ。


(まさか、自分が精神疾患を患っているなんて、信じられない。ウソだろ、ありえない。心療内科を受診することさえ、抵抗を感じるし……)


 待つこと1時間、ようやく名前を呼ばれ、医師に自分の状態を出来得るかぎり詳細に伝える。


 するとすぐに医師から、「うつ病」と「パニック障害」との診断結果が伝えられる。


(自分がうつ病⁉ いや別にふつうに元気だし、うつっぽいとか感じたことない。てかパニック障害って、何だ? 言葉は聞いたことあるけど、自分がそんな、よくわからないものになったというのか……ありえない)


 医師が治療法について話し始める。


「脳の神経伝達に異常が起きているので、それを正常に戻す治療が必要になります。そのため一定期間、薬を飲み続けなくてはなりません」


「……どのくらい、かかるんですか?」


「状態によります。体の状態が改善してからも、さらに2年間は薬を飲み続けなければなりません。その後、状態が良くなっていれば、様子を見て薬の量を減らしていきますから、今の段階では何とも言えません」


「2年⁉ えっと……その、薬を飲んでいれば、元の生活に戻れるんでしょうか……?」


「うーん、今あなたが通われている学校のことを考えますと、難しいでしょう……。本来学校を離れ、しばらくの間は、自宅で静養する必要があるのですが――」


「しばらくって、どのくらいですか?」


「2,3か月は様子を見てみないと、なんとも……」


(そんなに……。2,3か月も休んだら単位が取れない、そのまま退校が決まる……)


「正直、あなたの状態を見る限り、今の生活を続けていると、薬を服用していても、いつ改善するかは分かりません。たとえ完治したとしても、現在のような心身共に負担の大きい生活をしていると、再発する可能性はとても高いと言えます」


「他に治療法はないんですか? できるだけ早く、すぐに治る方法は? 今の学校を辞めたくないんです! 多少つらくてもかまいません。がんばれます。手術とか荒療治とか、何か、すぐに治る方法、他にないんですか? 何でもしますから!」


 医師は困ったような表情をして説明する。


「この病気に外科的手術や荒療治的なものは存在しません。いいですか、先ほども言ったように、脳の神経伝達に異常が起きているんです。それに、精神論などで、どうにかできる話でもないんです」


「せめて今だけ、学校を卒業するまでのあと1年間だけ体に異常が起こらなければいいんです! 何か、何かありませんかっ?」


 医師はほとほと弱った様子だが、櫂惺かいせいも食い下がる。そんな切羽詰まった様子を見かねて、医師は、ある一つの治療法を提案する。


「このご時世、医者としてあまり勧めたくはないのですが……どうしても、と言うのであれば、ひとつだけ」


 医師はためらいながらも、その治療法を告げる。


「SRN治療、という選択肢があります」 


「……SRN⁉」 


 SRN――Self Replicating Nanomachines――自己複製型ナノマシン。


「ご存知でしょうが、SRN治療、それは自己複製型ナノマシンを身体に投与して行われる治療方法のことです」


 医師もまた顔を曇らせながら説明を続ける。医者として良心が痛むのだろう。


「投与されたSRNは1週間もすれば体になじみます。そうなれば、脳の神経伝達は正常に戻り、1か月ほどで完治するでしょう。さらに今後再発する心配もありません」


 櫂惺かいせいは自分に出来る事なら何でもしようと思っていたが、「SRN治療」と聞いて、さすがに躊躇する。


 その反応を見て当然だと思い、医師はさらに苦い表情で説明を続ける。


「一定時間後に体外へ排出される通常のナノマシンを定期的に投与し続ければ、良好な健康状態を保つこともできるでしょう。

 しかし、長い期間使用し続けてしまうと体がそれに慣れてしまい、ナノマシン投与をやめたとき、命に関わる影響が出るため、通常のナノマシンを長期に使用することは法律で固く禁じられています。

 故に、どうしても早期に治したいというのであれば、自己増殖し体内に居続けながら、状態を維持してくれる、SRN治療しかありません」


 医師は姿勢を正し、まっすぐ櫂惺を見つめ話を続ける。 


「あなたはもう17歳ですから親御さんの同意なしで、SRN治療を受けることが可能ではあります。治療費は免除されてますし、さらに連盟政府からは手厚い待遇も受けられるでしょう」


 ヘレネー連盟に属するすべての市民は14歳で連盟政府の選挙権が与えられ、親の同意なしで種々の手続きが可能となっていた。


 連盟政府としては学生の自立を促し、未成年者を親の庇護から早く解こうとする意図が、そこには見える。戦争による兵員不足が大いに関係しているのだろう。


 自分のような早く親から離れたかった人間には好都合ではあった。事実、それで親の反対を押し切って工科学校へ入ることもできた。しかし今は。 


(手厚い待遇か……)


心療内科受診に続き、SRN治療。予想もしないことの連続で理解が追い付かず、櫂惺かいせいは表情を曇らせ、ただ俯き黙りこくる。


 医師が見かねて処方箋を書き、診察を終わらせる。


「とりあえず今日は、薬を出しておきます。SRN治療はいつでもできますから。ゆっくり、よく、考えて。あなたはまだ若い、一人で考えず、ちゃんと周りの人たちと相談して決めてください。いいですね!」


(たしかにSRN治療ならいつでも受けられるよな……それに、それは最後の手段だ)


――SRNを投与してしまったら、もう後戻りはできない。


 薬をもらい病院を後にする。しかし薬の治療では少なくとも2,3年はかかるという。目の前が真っ暗になった気がした。これからやらなければならないことが、いっぱいあるというのに。


「ストレスの少ない生活を、無理のない生活を送るように、だなんて、そんなこと絶対無理だ」


 2、3年という時間は、17歳の櫂惺にとって、途方もなく長い時間に感じられ、奈落の底に突き落とされた気がした。


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