第17話 遭遇戦
いたいた。昇降口を伺うと、書記ちゃんよりだいぶ背が高い、あの先輩がチラリと見えた。制服なのにいつも赤というか臙脂色の編み上げのブーツを履いているのがコスプレっぽい。友人ちゃんだ。
待っているのは俺…のわけがない。乳繰り合っているのを覗いてビンタされただけの関係だ。彼女に対しては圧倒的に分が悪い。気分はもう間男だ。
靴だけ拾って教職員用の昇降口からコソコソ帰る手もあるが、さてどうするか。まあわざわざ先に出てきたんだから伝えよう。
靴を替えて昇降口に出た。こちらにはとっくに気付いているようだがもちろん無視。ですよねぇ。向き合ってみて気付いた。俺よりだいぶ背が高い。そのうえ厚底でかさ増ししている。そして美人特有の圧は隠しようもない。
「彼女、もう帰ったけど?」
この嘘を言うために来ました。はい。
「あんなことされると迷惑。私たちの邪魔するの止めて貰えない?」
切れ味のいいナイフを振り回すように牽制してきた。触れるものすべてを傷つけるだけで周囲を伸していけるのは美人の特権だ。でもそれは悪手だ。こちらは初手から
「私たちじゃなくてワタシ、でしょ? 性欲強すぎない? こんなパンツどこで買うの?」
とポケットに手を入れる。ポケットの裏地をひっくり返してちょっとだけつまみ出してすぐ戻した。ついでに汚れ物を触ったその指の匂いを嗅ぐそぶりを付け加えた。遭遇戦は弾のバラ撒きが重要だ。今日、使用済みパンツで手品する芸風を獲得した気がする。ずばり女性の敵だ。
「返して!」
ポケット目掛けて跳ねるように飛びかかって来た。脚が長い。自慢じゃないがケンカなんてしたことが無い。慌てて体をひねって避けようと足を引いたら、残した足を踏んで突っかかって転んだ。よりによって泥落としのグレーチングの上に。あれは残酷に痛い。
ひどく感情的な人を前にすると妙に冷静になるのが人の常。昇降口にすっ転んだ彼女のブーツから出ているタグの黄色い文字が気になったので読んだ。マルテン? まーてん? あ、これがマーチンブーツか。クラスのロック好きの女の子が言ってたのはコレか。14歳の誕生日に買ってもらう靴。傷、付いちゃった。
裸でブーツだけ履いているボーイッシュなクラスメイトの姿を想像した。うん、良いかもしれない。これは一種の纏足だ。いつか14歳の誕生日にゴツいブーツを買って与えて、その裸を想像するような尊敬できる大人になりたい。
いや、ブーツの話はいい。とても良い。じゃなくて、今もチラッと見えているのはパンツだ。ああ、もうスッケスケの、お揃い。履いてないのとほとんど同じだよ?
せっかくきれいな脚をしているのに性欲に忠実過ぎて残念な先輩。膝にケガさせちゃったのだけは申し訳ないと思った。いや、勿体ないと思った。手のひらとか肘も血が出てるだろうけどそれはいい。彼女にこのブーツを履かせたその人物にこそお詫びしたい。お嬢さんはいつかブーツに残った傷を見て、今日を思い出すかもしれないなんて。
拒否られることも想定しつつ、手助けすることにした。顔ははっきり見えないが、うっすら泣いているせいか、ひどく幼く感じる。残念な上にめんどくさそう。触るなとか言われそう。保健室はとっくに閉まっている。救急箱は職員室だ。
校庭に面した保健室の外にある水場に連れて行くことにした。傷を洗うよう言うと、素直に手のひらに入った砂や泥を落とし始める。グレーチングでけっこうパックリやったようで膝の血が止まらない。ここでハンカチの代わりにパンツとか渡せばラブコメ街道一直線だが、あいにく持ち合わせもない。自分の彼女をすぐにも寝取りそうな相手に素直に従うはずないよなー、って身構えていた俺はちょっぴり傷の大きさと自分の小ささに落胆した。
そのまま近所のコンビニに連れて行き、ウェットティッシュとベビーワセリン、ケアリーブを使って手当てをした。てきぱきと圧迫止血する様子を彼女は他人事のように見ている。俺の足を踏んだ時に捻ったらしく、足までくじいていた。ブーツなのに。マーチンのブーツに対する評価が少し下がった。
彼女がワセリンの使い方を知らなかったので、傷口に塗り込めば血止めになるし、保湿して傷口を乾かさないようにしてから絆創膏を貼ると傷も残らず治りが早いと蘊蓄を垂れた。女子はこういう怪我はあまりしないのかもしれない。
遭遇戦のはずが、足を引きずる友人ちゃんを家まで送って行くはめになった。肩を貸すわけでなし、カバンを持とうかと言いかけて学校に置いてきたことに気づく。何かを話すでなく、ただ距離だけが縮まり、寄り添うように歩く彼女の横顔をチラ見しながらどうしてこうなったと頭を抱えた。本当だったら書記ちゃんとチュッチュしているはずだったのに。
そのうえ、翌日学校に行くと二人が付き合っているという噂が全学年に流れており、登校時に既に上履きは捨てられていた。昼休みにクラスに押し掛けた数人の先輩に囲まれて、藤崎さん(友人ちゃんの苗字をそのとき初めて知った)の怪我の理由を問い詰められた。
帰りは近所の公園で吊るし上げられ、まだ新しい制服を一着ダメにした。これからマーチンのブーツを履く女子には注意しようと誓ったが既に手遅れで、それからというもの彼女は事あるごとに俺をトラブルに巻き込み、ケイくんケイくんと人目をはばからずボディタッチを敢行した。気付けば書記ちゃんとの距離も広がっていた。彼女のほうが一枚も二枚も上手だった。
しばらくして彼女の膝をベッドで見たときには、もう傷の跡は残っていなかった。「あの子がケイくんのことが好きでいる間は私のことを好きにしていい」とか言い出し、人のことをあからさまな
そう、こういう力業に頼った寄り切り、浴びせ倒しといった「土俵際の作法」は彼女から学んだのだ。今考えれば彼女もまた誰かから学んだのだと思う。なお、初めてだったと何度言っても彼女はニタニタ笑って信じてくれなかった。
* * *
*たぶん私の周りだけですが、14歳ぐらいでドクターマーチン・デビューするという土着の慣習がありました。ブーツは敷居が高すぎて、選ばれし者の憧れの最強アイテムでした。女子だと一生の靴のサイズが決まる頃なのでそれなりに長く履けます。そして私を含めて全員一生パンプスとかスーツとは縁がなさそうです。一種の呪縛ですね、あの靴は。男子は16歳ぐらいがデビューに良いかと思います。
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