第12話 捨て目、捨て耳
お金が入ったので、爺さんのところに借りたお金を返しに行くことにした。来るなとは言われたがお礼はしたい。バスをいくつか乗り継いで向かった。
実際にたどり着いてみれば、ずいぶんと空港からは遠かった。軽トラもないので出かけているようだ。縁側に回ると収穫されたばかりの里芋があたり一面に干されている。
あの爺さんは妙な用心をしてそうなので、家の中を覗くのはやめておいた。以前泊めてもらったとき、明け方に水を飲もうとして台所のゴミ箱に薬の処方箋が捨ててあるのが見えた。あとで調べたら腎臓の薬だった。降圧剤とか色々。医者の言うことを聞かない患者ってホントにいるんだなぁ、と呆れたのを思い出した。
シワシワなのに肌が柔らかくて赤ちゃんみたいな感じで、年寄りの肌も色々あるんだな、とか、加齢臭を消す薬があったらきっとノーベル賞だな、とか他愛もないことを縁側の沓脱に掛けながら待つこと一時間、ようやく古臭い軽トラが戻ってきた。
あの軽トラもドアの開きが反対で、走っているときに開けたら風圧で吹っ飛んでいきそうだ。どう考えても設計ミスだろう。窓の開け方もドアの開け方も分からなかった。ハンドルを引っ張ったら怒られたし。
「おっちゃん、ご機嫌じゃない」
「野つぼの坊主か。ご機嫌じゃねえな。おかんむりだ。何で来た」
「その『野つぼ』って止めない? ケイって名前があるんだし」
「じゃあケイ、帰れ」
「いや、借りてたお金返しに来たんだけど」
「返さんでいい」
「そういわれると思ってお菓子持ってきた」
最初に食べさせたかったのはこのジジイだ。大麻樹脂を目にしたとき、最初に思い浮かんだ。面白そう。どっぷりとカウンターカルチャーに浸かってきた御仁だとと予想している。
「オレ糖尿なんだよな、あれだ、甘いのは好物だけどな」
「そっか、気が利かなくてゴメン。まあ少しだけど」
さすがに海苔の保存袋はありえないので、クッキージャーに入れた例のモノを取り出す。詰め直したとき若干、海苔臭かった。
「なんだ、手作りか。いい趣味だな。とっておきのお茶でも入れよう」
年配者が若者相手に気取るリベラルしぐさともだいぶ違った重さがある。牧師とか宮司とかの、そういうフラットさだ。
爺さんはあっという間に2枚、食べ終えてしまった。年を取ると舌も衰えるんだが、甘さだけは最期まで分かるらしいな、なんてやっぱりこの爺さん妙に医学、というか人の体に詳しい。
爺さんが出してくれたのは中国茶だった。小さい器と急須を茶盤に乗せて、急須にまでお湯をかけて温めてから茶葉を入れた。お湯をダバダバ溢れ零したのでもう回ったのかと焦ったが、これが正しい淹れ方らしい。この茶壷も20年は育てた、まだまだ若いけどな、なんて言いながら飲ませてくれた。これが本当のウーロン茶だ、といい顔で笑った。もしかしてこれ、いま口説かれてねえかと一抹の不安を感じた。それぐらいお茶は官能的だった。
けっこう砂糖たくさん入ってるから、残りは明日にでも取っておきなよと言うと、変な話を始めた。
「長崎屋ってあったな、昔。ドン・キホーテに吸収された老舗スーパー。あれの武蔵小金井の店に「アイホップ」ってパンケーキ屋が入っててな。『International House of Pancake 』ってアメリカさんの店だな。
調布ベースとか立川ベースの連中がよく食いに来ててな。あそこで働いてたオバサンがな、ブラウニーを焼いて売ってたんだわ。旨さで中毒になる。魔法の美味しさですって評判で、オレも買いに行ったら売り切れでな。切れ端でいいから売ってくれって言って、なんか懐かしい味がするよ、このクッキー」
それ、サンフランシスコの医療大麻の伝道師「ブラウニー・メアリー」の話の丸パクリじゃねえか…
「やっぱ分かった?」
「こんな上等なもん入れんじゃねえな、混ぜるのは残りクズとかでいいんだよ」
「お土産なんにしようか考えてたら手に入ったんで」
「間違った方向に気ィ遣いすぎだ。おまえ、ケイ、捨て目、捨て耳はべらぼうに利くくせに目端は利かないタイプだな。運だけで生きてるだろ」
「え? え?」
「観察する目と耳がしっかりしてるのに、その情報を生かす頭がまるで無いってことだな。おまえの観察力は詐欺師とかスパイのそれだが馬鹿すぎて勿体ない」
「うっ」
「普通な、一回や二回来ただけじゃこの家たどり着けないんだよ」
「あー道理で。看板とか植木とか壁の落書きとか、行けども行けども全く同じ風景ばっかりで凄いと思った。迷宮だよねココ」
「そういうところだな。そこまで気づいたら帰れよ…」
帰り際に仏壇に線香を上げさせてもらった。すごく嫌そうな顔をしていたが、ロウソクに火をつけると大きなため息をついた。
「今日病院行ったらな、腎臓の数値がえらい改善してたよ。しばらくそっちには行けないみたいだな」
「…良かったですね」
假屋崎省吾似の遺影にそっと手を合わせた。
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