第13話 架空口座づくり

 ようやくチャンスが巡って来た。ご新規さんの物件を担当することになったのだ。オーナーの詳細な個人情報に触れる機会はそうそうない。一年の海外出張で家を空けるらしい。

 普通、信頼できる親族や友人が近くに居れば、こんな赤の他人にお金を払わずそういった誰かに頼む。つまりは依頼者オーナーは愛すべきボッチさんだ。それも都合が良い。

 契約直後であれば、郵便物に偏りも無いし、書留を持ってくる郵便局員にも不審を抱かれない。不在通知を受け取ったら再配達を依頼、そのタイミングで家に居れば書類を受け取れる。珍しい名前でなければ印鑑は100均で買える。

 銀行口座の開設は、練習を兼ねて、窓口やネットを使って、実際に自分の名義で開設できるすべての銀行に申し込んだ。意外にもまだ写真なしの本人確認書類が通る銀行が多かった。あえて別の支店から同じ銀行の口座を重複して開設しようとするとどうなるかも試してみた。キャッシュカードの再発行手続きも数えきれないほどやった。あまり役立たなかったが自分の健康保険証の再発行手続きとかもやってみた。思えばそんなことを忙しくやってる間が一番楽しかった。


 16歳、それはあまりにも世間知らずだった。


 そしてついに新しい銀行口座を手に入れた。しかしてその念願の通帳とカードは、もう手元には無い。これ如何に。



     * * *



「じゃあもう一度訊くよ。今までこういった業者のところで働いたことはない?」

「誰かに頼まれてこの会社に入ったとかそういうことは?」


 この辺りを何度も何度も、繰り返し詰められた。その後は移動だ。郊外まで車で移動して、街道沿いに一軒だけあるような蕎麦屋で食事して、また移動して、街道沿いから脇に反れて住宅街を抜け、また戻り、意味があるような無いような移動をしている。Nシステムに引っかからないよう走っているのは分かったが、車を変え、ついにどこかの山道に入った。なんかちゃんと組織している。

 

 結局、高校生の頭で思いつくようなことはとっくに誰かが実践しており、とっくに弱点や問題点が潰され、ブラッシュアップされているのだ。堂々と玄関から飛ばし口座の調理場に入り込んで食材をちょろまかそうとしたネズミ一匹、捕らえるのは訳もなかった。

 犯罪行為よりも、そのネズミがライバル企業か何かの差し金で放り込まれたものかどうかの見極めが一番重要なようだ。訊くポイント自体が、明らかに堅気ではない。お前は本当は何者だ、と。


 警備会社などの限られたパイを奪い合う業種ではよくあると聞く。送り込んだバイトにわざと不祥事を起こさせて取引先の信用を落とす。契約更新直前に連続して不祥事を起こして契約を打ち切らせたり、交渉で有利に持っていく。多発的に行えばより効果的に組織を機能不全に陥らせられる。

 誰も死なないしニュースにもならないが、やり口はテロリストの手法によく似ている。無断欠勤などの地味に効く行為はもちろん、結構なことをやらかしても、第三者が被害者になったとしても、極力内部で処理して表沙汰にはならない。かと言って下手に罰を与えることもできない。SNSが普及した昨今、やりたい放題だ。

 なので、警察沙汰にならなければすぐ解雇されて放逐されると思っていたのでこの状況は想定外だった。今のところ括約筋は正常に機能している。ウンコは漏れそうにない。それどころか寝てしまった。


 ヘロイン工場の隠れ蓑になってる敷地内で、そうとは知らずに従業員が原料をちょろまかしてヘロインを調合していたら、いやいや、お前は何者だよって話なのに、俺はちっとも分かっていなかった。



     * * *



 自分が今どこにいるのか分からない。肩を小突かれて下ろされたのは、どこか山奥なのは間違いなさそうだ。空気キレイ。気温低め。湿度高め。軽井沢か箱根か、何にせよろくなことにはならなさそうだ。


 古い別荘だった。天井は太い梁が通り、漆喰で塗られた天井から巨大なコウモリランがいくつも垂れ下がっている。天井を見上げながら、先月泊まった和洋折衷の家をこんなふうにリノベーションして住みたいとか呑気なことを思った。ここに連れてきたスーツの男はいつの間にか居なくなっていた。

 携帯も鍵も財布もない。とは言え軟禁するには過ぎた場所だ。

 というか、ヤクザのフロント企業を荒らしたガキを詰めるには似つかわしくない場所だった。そして誰もいない。隣の部屋はキッチンで、木彫の刻まれた古い吊戸棚がずらりと並んでいる。

 アイランドキッチンの上にはバカでかいガラスのドームシャンデリアが吊るされており、中に無造作に野菜が積まれていた。ずいぶんと高そうな野菜かごだ。床は大理石の市松模様、その奥には暖炉。ため息が出る。窓からは広い庭が見える。塀が見えない。窓の鍵が開いているので外に出てみた。庭の奥のほうに人の気配があった。


「ここはルヌガンガ*をイメージして作らせたんだけどさ、ちょっと寒すぎるかも」

「……」

「スリランカの建築家で、いろんなリゾートホテルを作った人なんだけど、その人の自宅がこんな感じでさ。植民地時代の熱帯のゴム農園を買い取って家をリノベして。憧れてて行ってみたんだけど、すごいの、農薬が。毎日殺虫剤を撒いてんのよ。蚊ってさ、枯れ葉に溜まったほんの少しの水でもボウフラが湧くじゃない、掃いてもきりが無いから、殺虫剤使うの。倉庫に大量の農薬が山積みにされてて、あ、これ無理だって思って。虫も鳥も飛んでないの」

「スズさん?」

「シ・ズ。ざけんな! 何やらかしてくれてんの、ケイ」

「浅はかでした」

「高校生が飛ばし口座作って何すんの?」

「今日初めて訊かれました、それ」

「マジで高校生なの? あー、マジかー。それで? 何か目的あるんだ」

「……ちょっとした小遣い稼ぎにと思って」



     * * *



 *ルヌガンガはジェフリー・バワというスリランカの建築家のプライベートなゲストハウスで、現在はホテルとして稼働中。自宅は別にあります。

 かつては予約が1年先までいっぱいで、広大な敷地に1日2.3組しか泊まれず、またゲスト同士が出会わないようスタッフにより徹底されていました。庭を明け方に散歩しなければ、本文のような光景にうっかり出くわすこともありません。

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