第8話 カンナバターとサツキの家
せっかく樹脂を頂戴したので試してみようと思った。だがタバコが吸えない。そもそも出どころからして得体がしれない。摂取量を調整しやすいであろう大麻クッキーを作ることにした。
最初に食わすのは絶対にあいつだ。
動画サイトを英語で探せば、その手のクッキーのレシピは数えきれないほど出てくる。しかし、樹脂と言っても色々種類があるらしく、これがどういう代物なのかさっぱり分からない。少なくとも食用には不向きらしい。とりあえずそれなりに評価が高く、再生回数の多いジンジャークッキーを作ってみることにした。
お菓子ってこんなに砂糖入ってるのかと衝撃が走ったが、アメリカ人のレシピだしこんなものかと思うことにする。まずカンナバターづくりだ。まず湯煎して…ってこれ一日じゃ全然終わらないっぽい。カンナビスの有効成分は脂溶性なのでバターで煮出すってことらしいけど、樹脂はもとより濃縮されてるはず。お、あったあった、250℉で脱炭って何よ? 焦がしたらイーゴリ公ね。そりゃ韃靼人。ふむふむ…
* * *
失敗した。学校から帰ってきたら、轟音でエイフェックス・ツインを流しながら親父が丸まっていた。俺の部屋で。
キッチンは水が出しっぱなし。自室に溜め込んでいた大量の尿入りのペットボトルを自分で処分したらしく、キッチンから凄まじい匂いが漂ってくる。トイレはペットボトルが刺さって溢れていた。
ごく一部のゲーマーなどにはお馴染みかもしれないが、尿入りペットボトル、通称『ションペット』、アレはすごく臭い。臭すぎて痛い。目が沁みるし喉に絡んで咳が出る。
そんな劇物をキッチンにぶちまけたらしい。当の本人は爆心地でイビキをかいているので死んではいなさそうだが、彼奴の股間もまた新たな震源地になっているようだ。サモトロールの油田地帯のようにジャージ地の地表に何かがじわじわと噴出している。いっそシベリアの永久凍土に還ってくれないか。
電子オーブンレンジに例のクッキーを放置したまま寝てしまい、そのまま学校に行ってしまったのが敗因だ。オーブン天板に残っているのはおよそ半分。
大麻の効果に五感が敏感になるというのがあるが、察するに臭いが気になって処分しながら嘔吐、トイレを詰まらせ、残りをキッチンに流し、エイフェックス・ツインのアンビエントアルバムを聴きながら寝落ち、脱糞、現在に至るというところだろう。なお俺のパソコンで洋楽ばっかり音源を大量に購入、被害額は13万円弱。ぅおい。
匂いに耐え切れず外に出た。被害を免れたクッキーを持って。キッチンには近寄りたくなかったが、クッキーは密閉容器が必要なので、冷蔵庫に入っていた海苔の袋に入れた。誰か救急車でも呼んでくれればいいなと鍵は閉めずに出た。
社長に電話して、数日泊まれる場所は無いか聞いてみた。会社で下井草の西友の裏にある古い洋館の鍵を受け取った。リバースモーゲージで先月オーナーが亡くなったので自社物件だぞ、と自慢げに言っていたが、良く分からないので、すごいですね、と言ってみたら高笑いしていた。
行ってみたら洋館というか和洋折衷だった。サツキとメイの家的なアレだ。平屋の日本家屋に洋風のアトリエ部分を増築する、大正時代に流行った文化村様式らしい。玄関に銀行の名前で告知がしてあったので、むむむ? と怯んだが、まあそういうもんだろうと鍵を開けて入った。
埃っぽかったが電気も水道も通っていた。書斎に残っていた書類を流し読んだが、この家を担保に入院・治療をしていたようだ。家財はそのまま残っていた。
空気を入れ替え、アトリエのガラス戸を開けてテラスに出た。観葉植物の鉢が置かれていたが、全滅してカタバミが生えている。厄介な雑草の名前は幾つか覚えた。
庭に出て蚊取り線香を焚くと草むしりを始めたが、ツナギを着ていなかったのですぐ止めて買い物に出た。秋の日はつるべ落としだ。ちなみに風呂場にはなんと井戸があった。ポンプに呼び水を入れると動かせるらしいが、栓が錆で固着していたので諦めた。
ガスはさすがに停まっていたので、西友で卓上コンロと鍋焼きうどんセットとアイス、ゴミ袋とタオルとを買って戻った。冷蔵庫がGE製でレトロでシャレていたが、中身は4年経過しており、すべて干からびていたのでゴミ袋に突っ込んだ。
夜は屋根裏をネズミが走り回っていた。埃がパラパラと落ちてくるのに閉口する。もしかして、この床に落ちている黒くて小さくて長細いのはネズミの糞か。今更ながらスリッパを探してみた。
食器棚からティーバックを見つけたのでお湯を沸かし、紅茶を入れてチビチビとクッキーを齧ってみた。あまり匂いは良くないので脱炭が足りなかったかもしれないが味は良い。紅茶も2杯目、半分ぐらい齧ったところでコツンと気配が来た。
手を上げ下げすると血管が膨らんだりしぼんだりする感触が良く分かる。うまいこと入ったようだ。冷蔵庫からアイスを出してゆっくり味わう。笑っちゃうほど旨い。クッキーにアイスを乗せてもなお良い。目の前にあったデューク・エリントンの古いレコードを乗せた途端、俺は宇宙空間に散らばった音を追いかけるのに夢中になった。
* * *
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