第7話 米軍将校住宅群

 西武立川駅の近くに、米軍将校たちが住む住宅群がある。昭和記念公園の北側にあるアメリカンビレッジとはまた別だ。この場所は「古き良き50年代のアメリカ」がそのまま残っている。将校の家族たちのために建てられたもので、福生あたりの一般軍属向けの米軍ハウスとはスケールが違う。

 一軒あたり何坪あるのか知らないが、とにかく芝生、芝生、芝生。来て最初に思ったのはやっぱり日本って敗戦国なんだな、という詰まらないことだけだった。


 入口にはゲートがあって管理人が常駐しているので一般人は入れない。ゲーテッド・コミュニティってやつだ。100% ID CHECKと看板がある。住人以外で日常的に出入りしているのは宅配業者と自販機のルートカー、ハウスキーパーやクリーニング、あとは野良猫ぐらいだ。多くは賃貸住宅だが、一般的な情報誌に載ることはない。防衛省の思いやり予算とは別の、基地周辺対策費ですべて賄えるからである。


 どうやら、バイト先の会社が、何とかしてここの空き家管理に食い込もうとしているらしい。なんとも勿体ないことに、この夢のような住宅群、半数以上が空き家なのだ。フェンスの外には、日本特有の狭小住宅がみっちりと軒を連ねている。あんなのでも3000万とか5000万とかするらしい。ここの一戸の敷地に2.3軒は建つだろうから、そう考えると億を超える物件だ。


 調布ベースが日本に返還されたのと同時に、この敷地も返還されたらしいが、権利関係があいまいで、買い取ったのは誰かというのは一切公開されていない。占領下に接収した土地であれば個人に返還されるし、戦時中に接収した土地は国有地に戻るはずだが、登記を漁っても、法人番号もない社名しか出てこない。生臭いこと極まりないが、とりあえずお試しで1軒だけ任されることになった。孫請けの更に下、らしい。



     * * *



 そこからが大変だった。管理を始める前に写真を撮るのは当然だが、契約に際して何とこのご時勢にフィルムで撮れと命じられたのだ。すべての部屋の壁、床、天井、屋根、庭に至るまで。それも4x5版というハガキ大サイズのフィルムを使って。

 晴れて研修期間を終え、正規のバイト料を手にすることになった初日の立ち合いがこの撮影である。年配のカメラマンはなんと高所作業用のバケット車、オペレーター付きで現れた。

 さっそく管理人が飛び込んできた。アウトリガと言って車体の左右に張り出す脚があるのだが、それを芝生に乗せるのは絶対に許可できないと言う。

 道路側からアームを使えば屋根の3面はどうにか撮ることができるが、道路の反対側だけがどうにもならない。この住宅街は電線が全て地中に埋められているのでオペレーターは楽だと喜んでいた。そういえば空が広い。バカでかい三脚に、これまたバカでかいカメラがバケットに設置され、カメラマンは獅子舞のマントのようなものをカメラに被せてルーペで覗き込むという手間ばっかりかかりそうな儀式をおごそかに行っていた。

 オペレーターの人は「昔の写真館って感じだ」と言っていたが、なんかすごく高く付きそうだと内心思っていた。

 この米軍ハウスでちょっとしたものを見つけた。家具は据え付けなのだが、うっかり蹴飛ばしたベッドの脚の飾りが取れ、中から大麻樹脂の塊らしきものが出てきた。巻いていた輪ゴムからすると割と最近のものだ。前の住人の忘れ物だろう。興味はあったが元に戻しておいた。


 翌日も屋根の最後の一枚を撮るためだけに撮影に立ち会うことになった。えらく背の高い脚立のてっぺんにカメラをベルトでガッチリ固定し撮っていたが、不安定すぎて怖かった。結局ずっと脚立の一段目に重しとして立つ羽目になった。途中で銀色の板がヒラヒラと落ちて来たことがあったが、無事に終えたようだ。名刺を貰い、少し話したが、口臭が鼻についたので、芝生の上に座って靴ひもを結んだり解いたりして避けた。けっこう年配だろうにマルジェラの足袋スニーカーを履いている。やっぱり高給取りっぽい。建築の写真を撮る専門職があるということ以外は何を言ってるか分からなかった。


 この住宅街は彼にとっても珍しいらしく、撮影を終えたあともフラフラと写真を撮りにどこか行ってしまった。仕事と趣味が一致しているというのは幸せかもしれない。

 物件の鍵はもう預かっているので中に入り、携帯で部屋の写真を撮ってみたが、自分にはどうやらセンスがなさそうだ。ふと気配を感じて振り返ると、さっき隣の住宅の前に車を停めていたクリーニング屋の男が後ろに仁王立ちしていた。


「お前、取ったな」


 すぐピンと来たが悪い癖が出た。ビビるとつい虚勢を張ってしまうのだ。


「撮っちゃまずいんですか?」

「あたりめーだろ!」

「写真」

「あ?」


 動揺を悟られないように男のネームプレートを読み上げる。


「瀬谷田クリーニングの八反田さん?」


 上手いこと向こうが動揺してくれた。追い返せそうだ。


「管理事務所に電話しても?」

「すまん、人違いだった」



     * * *



 あとで請求額が70万と聞いてびっくりした。もうフィルムで撮れる人はほとんどが廃業しているらしい。社長が「キックバックも無しで?」と絶句していたらしいので、この会社も大概生臭い。契約を取ってきた社員はカメラマンの事務所に飛んで行ったが、どうにもならなさそうだった。この案件が増えることはなさそうだ。


 数日後、俺はマルジェラの靴を踏ん付けて大麻樹脂と20万円の現金を手に入れた。やっぱり俺はこういう下種な仕事のほうが向いているらしい。ただし、このうち幾らかは後で返すつもりだ。

 やらかしたことを会社に言えば一銭も支払われないだろうし、あのクリーニング屋に教えればもっと悲惨な目に遭うだろう。カメラマン氏は西麻布に事務所を構えているぐらいだから、もっと引っ張れそうなものだったが、エレベーターもない古い雑居ビルのヤニで薄汚れた部屋を一目見て諦めた。というか口臭に負けた。



     * * *


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