第4話 ペーハー・テスト・ペーパー

 西武線の車窓から、変わったものが見えた。流れるプールだ。



     * * *



 今日は小平に来ている。俺が担当している物件で、写真をアップロードした翌日に、オーナーが電話してきてカンカンに怒っているとのこと。ポポーという珍しい木が枯れていたらしい。確かにひと月前の写真では健在だったその木が、俺の写真では完全に枯れていた。


 調べてみると戦前にバナナの代用品として大ブームになった、南国のフルーツのようだ。その昔はバナナと言えば台湾産で、輸入規制品で贅沢品。自宅の庭でそんな贅沢品が! …とか。

 そんなブームもバナナの価格とともに急下落し、知る人ぞ知るフルーツに成り下がった。実際はバナナとは別物で「臭くないドリアン」らしく、ねっとりとクリーミーな食感と説明がある。


 そんなん寿命だよ、と思ったが、2本あって両方とも一斉に枯れてしまったとなると話が違ってくる。何か意図があって幹に農薬でも注射されたとか、それとも土壌に何か混ぜられたか。社長に調べて来いって言われて現場に向かってみたものの、何を調べればいいのさ…

 とりあえず詳しそうな人に電話して聞いてみることにした。


「おっちゃん、今いい?」

「おお、野つぼの坊主か」

「……」



     * * *



 あの後、軽トラの爺さんとはすっかり仲良くなった。俺ののこびり付いた車内を一緒に掃除して、その日は泊めて貰った。ずっと笑っていた。冥途の土産に良いものを見た、長生きするもんだとあまりしつこく言うもんだから、ジジイ、こんな匂い嗅ぐの久しぶりだろ? と刀を返したら、まだつわ! とすんごく怒られた。

 マジで? と言ったらその晩見せてくれた。鼻声になっていたからバイアグラでも飲んだのかもしれない。目が充血して潤んでいて、ちょっと気持ち悪かったので、笑顔で仏壇の前に連れて行って後ろから羽交い絞めにし、奥さんの遺影の前で手コキしてやった。自分以外のモノを握るのは初めてだったが、昂揚して説明のつかない使命感に駆られてしまい、遺影を指さして名前を訊いたら途端に爺さんの脈がヤバいぐらい早くなったので途中で止めた。ひでぇな、と漏らしていたが、どちらが酷いのかは聞かなかった。ただ、爺さんが「チカコ」と呼んだ遺影は假屋崎省吾に少し似ていた。


 財布は拉致られたときに奪われていた。爺さんはお土産にサルマタという下着をくれた上に、交通費までくれた。お札を四つ折りにして手に握らせてきた。むき出しのお金は不浄という意識が分からん。いろんな穴から源泉たれ流しまくった、不浄の塊が目の前に居るんだけど? いや、これは孫扱いだな。

 今度返しに来ると言うと、こんなところ来ない方が良い、公僕? 公安? に目を付けられる、とゴニョゴニョ言ってたが、よく聞き取れなかった。まあ軽トラのダッシュボードに銃が入っていたぐらいだし、色々と訳ありなのは分かった。



     * * *



「…そのペーハー・テスト・ペーパー? で最初に調べて、変な色になったら、その土壌を水質検査薬? で調べんのね。その試薬も農協で買えると」

 案の定、ジジイはめちゃくちゃ詳しかった。木くずが落ちてないか調べろとか、木の幹にドリルで開けたような穴が無いか探せとか、掘り返した跡があったら素手で触るな、等々。


 農協の職員には「・テスト・ペーパーですね」としっかり訂正された。水質検査薬は高くて手持ちが足りず買えなかった。百均に寄ってメジャーカップとスプーン、軍手とスコップ、ゴミ袋を揃え、準備万端で現場に向かったが、結論から言うとペーパーを使うまでもなかった。二本の木の間が掘り返されていたのだ。


 微かな硫黄臭があり、掘り返した穴のサイズからすると大き目の猫、もしくは赤ちゃんぐらい。これは警察案件っぽいな、と社長の指示を仰ぐも離席中。


 枯れた木を見上げながら爺さんの説明した手順を反芻する。まず土壌サンプルを取る場所を決め―― 遺影は爺さんの妻ではなく、娘だった。最悪だ。自分の娘の遺影に向けて―― その場で撃ち殺されて畑に埋められていたかも―― いや、あの世代なら俺に自分で穴を掘らせるだろう―― 実は俺はもうとっくに殺されてこの木の下に埋まっていて―― 俺の体が腐り落ちて土壌が窒素過多になりポポーが枯れ――



 社長からの折り返しの電話で正気に返った。てっきり警察を呼べと言ってくれると思っていたが、掘り返せと指示してきた。不祥事続きで頭がどうかしているとしか思えない。胃が持ち上がって肺を圧迫する。呼吸が浅くなる。パトカーのサイレンが聞こえる。やっぱり気が変わって呼んでくれたのかも。そんなわけないのに。



     * * *





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