第3話 閑話・隣の因業婆

 我が家の隣には野球場がある。誰もが知っている名門大学の付属高校のグラウンドだ。進学校なので、放課後までは人けがない。校舎から立地が少し離れているということもあり、実のところ練習試合ぐらいにしか使われていないようだ。


 さらに家の北側の角地には、その野球場の飛び地がある。30坪ほどあり、木造プレハブが建っている。以前はグラウンドの倉庫として使われていたが、いまは更衣室としてロッカーだけが残されている。 

 キッチンの窓からは、ガラス越しにずらりと並んだロッカーと木のベンチが見える。



     * * *



 グラウンドの不人気ぶりとは対照的に、この更衣室は非常によく利用されている。放課後になると坊主頭の高校生が数人集まって、ユニフォームに着替えるでもなく、大騒ぎするでもなく、勉強会らしきことをしている。日暮れ前には居なくなっている。ここは電気が通ってないのだ。

 先週、ガラス越しに坊主頭と裸の背中が見えた。ロッカーに無造作に服が突っ込まれているのが見えて、思わず喉がぐ、ぐぅと鳴いた。すわ一大事と思ったら筋トレだった。当たり前だった。喉が鳴るほど期待してしまった自分にこそ一番驚いた。



 日が暮れてしばらくすると、高校生ぐらいのカップルがコソコソと足を忍ばせて入ってくる。道路側のドアは鍵が掛けられているが、我が家側の掃き出し窓の鍵はいつも壊れている。

 去年、業者が修理したが、3日と待たず破壊された。更衣室は板張りで、歩くと床が軋むのがバレバレなのだが、いつも30分ぐらいベンチの上で二回戦を済ませるとさっさと帰っていく。どこからかカレーの美味しそうな匂いが漂っている。夕食の時間だ。



 毎晩9時過ぎになると、近所のOLが犬の散歩で通る。たまに彼氏らしき男性を連れて散歩に来ると、この更衣室に入っていく。この2人は忍びの者もかくやというぐらい足音を立てない。ただ、おっぱじめる直前に犬を外に出す。そのときその柴色の雑種犬が吠えるので台無しである。この2人は立ってするのが好きらしく、俺は足掛け2年はこのお姉さんのオッパイを拝んでいる。


 この犬とはよく目が合う。窓を背に、忠実な番犬のようにも見えなくもないが、黒い大きな目はいつも哀しそうで庇護欲をそそられる。顔はこちらを向いているが、耳はご主人様たちの一挙一動を追っている。

 ことを終えたのが分かるらしく、後足で立ち上がって窓を何度も何度もタシタシとノックする。すると窓が少し開く。柴色の体がそのすき間にくるおしく身をよじるようにして入っていく。



 深夜になると夫婦の時間だ。団地住まいなのか、同居家族に気を使ってなのか、ここを使っているそれぞれに事情があるのは分かるが、それならなおさら周囲にも気を使ってくれ、と思う。小学校の授業参観でも見かけたことのある、同級の女子のお父さんは声が大きい。



 日の出前にゴミ出しに出ると、隣のおばあさんが更衣室に入っていくのが見えた。箒とチリトリ、懐中電灯を持って更衣室に入り、サッと掃いてすぐ出てくる。彼女が何を思っているか分からないが、この「近所の憩いの場」は彼女の善意によって成り立っていることを今朝知った。



     * * *



 夜勤明けの父がもうすぐ帰ってくる。父は倉庫が更衣室になったことすら知らない。もう何年も家に帰ってきて窓を開けることすら無い。日中は自室に閉じこもり、日暮れ頃に起きてシャワーを浴びて出勤する。吸血鬼のようだ。ペットボトルに尿を溜める吸血鬼。

 産後の肥立ちが悪く、俺を産んだあとすぐ亡くなった母は、この家には半年も住めなかった。それでも父はあと14年はこの家のローンを払い続け呪縛に縛られ続けなければならない。



     * * *


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