第2話 素人考えの小遣い稼ぎ
空き家管理会社でバイトを始めて3カ月が経とうとしていた。ペドロが担当していた物件をほぼ丸ごと担当するようになり、ヘルメットボックス内に貼られた会社シールは7社を数えた。しかしまだ時給は上がらない。
研修らしい研修は初日だけで、突然失踪したペドロの尻拭いで2回目からは鍵を渡されて独りで行くように指示された。社長に禁帯出と書かれた管理物件の資料と写真を渡され、写真アングルの細かい指定と申し送り事項を熟読させられるのが週末の日課になりつつある。
* * *
社員の入れ替わりは意外と激しく、それも不祥事を起こしてクビになる例が後を絶たなかった。
最初に起きた不祥事は、管理物件の敷地内にある温室で育てられていた、非常に珍しい蘭を女性従業員が勝手に株分けしてヤフオクで出品していたことだ。
オーナーにこの蘭を売りつけた業者の指摘により発覚。犯人は小夜という30代の女性従業員だったが、彼女曰く「根詰まりして可哀想だった」と大きな胸を張っていたそうだが犯罪は犯罪だ。さらに自分のエビネのコレクションを温室に勝手に持ち込んでいたことも発覚。
蘭の手入れが完璧だったためオーナーは被害届を出すことはなかったが、小夜は、いつしかこの管理物件に住むようになり、管理契約は解除。同年冬にオーナーと結婚した。
その一方で、数年前から同じ敷地内の希少種のクリスマスローズを勝手に交配させ、こぼれ種を大量に盗んでは自宅のベランダで育て、メルカリで売っていた別の女性従業員がいた。
不祥事を起こした同僚・小夜の結婚を知るに至り、嫉妬のあまり温室に忍び込み、全裸になり蘭をなぎ倒し暴れながら通路に脱糞。ええい、すべて枯れてしまえとばかりに石油式温度調節スイッチを切ったつもりが煙突を閉じてしまい、一酸化炭素中毒で気絶したところを保護され、事情聴取の過程で被害が発覚した。
管理物件の合鍵を作り、夜にデリヘル嬢を呼んで楽しんでいた50代の男性従業員はED治療薬の副作用で心筋梗塞で倒れ、全裸で勃起したまま救急車で運ばれた。
119番通報したデリヘル嬢はもとより、倒れた男性がこの家の主人だと誤解した救急隊員が警察と連携した結果、オーナーの妻に緊急連絡が行ってしまい、鬼の形相で集中治療室に駆け付けた着物姿の妻と、律儀に待合室に残っていたデリヘル嬢の殴り合いが勃発。
深夜の集中治療室から運び出された男性は顔がマスクで覆われていたため、妻も別人と気づかず、鼻血を流しながら「こんなチンコ、切り取ってやる!」と叫びシーツを引き剥がすも、一目見るや
「私のチンコちゃんじゃない!」
と、すべての復讐を成し遂げた修羅雪姫(@上村一夫)のごたる笑みで周囲をゆっくりと睨みつけた。
解像度の高いその一言に、医師や看護師たちは何が起きたのか、何が起きているのかを瞬時に理解した。理解させられた。
だがこの凍り付いた空気、誰か何とかしてくれ、と誰もが思う中、意を決して背後から忍び寄ったのはデリヘル嬢。
ショートフックが着物のおはしょりを抉るようにレバーに入り、オーナーの妻はゆっくりと息を吐きながらリノリウムの床に崩れ落ちた。彼女の夜会巻きはそれでも崩れなかった。
* * *
話を戻そう。
たった3ヶ月のバイト経験でもはっきりと言えるのは、空き家管理というシステムは、圧倒的にシモに弱い。おそらく従業員の半数が不倫や逢引きに使っていると思われる。下手をすればラブホ代わりに第三者に提供して小銭を稼いでいるだろう。青少年健全育成条例でも絡めばこんな会社簡単に消し飛ぶだろうけど、そう考えると社長たち、要は支店長たちは風俗店の雇われ店長にしか見えなくなってきた。逮捕要員ってやつだ。
いくつかの支社を回ったが、修学旅行直前の学校の教室のような甘酸っぱい匂いがしているところすらあった。何ならお誘いらしきアプローチも幾つもあった。
思い起こせばペドロは大胆にも新入りの前で堂々と見せつけるようにシャワーを浴びてはいたが、石鹸やシャンプーの類は一切使っていなかった。
たったそれだけのことで恋人や妻の存在を匂わせられるわけで、そうした機微を読み取り、学ぶ機会がなかった俺にとっては、そもそもの目的から逸れてこのバイトを実に楽しんでいた。
余談だが、嘘をついている人たちに囲まれた日々を送ることで「感情と体臭の変化」という仕組みもある程度は分かるようになってきた。何せ周りは秘密持ちだらけ、そして他愛もなくあっさりと発覚する。それも次々と。
正直に言おう。以前はこの「匂いが分かる」は、厨二病のテンプレだと思ってバカにしていた。ところが実際はハイビジョンが4Kになるぐらい鮮明だった。世の中はまだ知らないことだらけだ。
将来、警察官にでもなったら、この経験値はけっこうな強みになるんじゃなかろうか、そんなことを思ったりもしたが、俺がこれからやろうとしていることは犯罪なわけで、寝言は寝て言え、なんて庭木を剪定しながら自嘲していた。
独り言や鼻歌が出るようになったら危険信号だ。心の
* * *
これからこのバイト先を利用して俺がやろうとしているのは、銀行口座の開設だ。もちろん他人名義、いわゆる「飛ばし口座」というやつだ。これから幾つも必要になるはずで、地盤固めとしては初歩中の初歩と言える。
もしこれが金で買って手に入れた口座番号だとすると、少なくとも何人かには必ず知られているわけで、そこに大金を入れられるかというと、入金した途端に抜かれるか、口座を凍結させられるか、ケツモチなしで使おうものならどうなるか、想像に難くない。
なけなしのバイト代を使ってネットで「飛ばし携帯」を何度か購入してみてよく分かったのだが、ああいうのは金主とか暴力とか、何らかのバックがあって初めて成り立つもので、それが無いと尻の毛まで毟り取られるのがオチだ。
16歳のガキにそんな伝手があるわけでもなし、見事に3回もカモられて現在に至る。
ある程度の授業料は覚悟していたが、3カ月分のバイト代が全部消えてようやく手にしたSIMはたったの1枚。しかも下手をすると数日、もしくは数週間で使えなくなるリスク持ちときている。
ところがこれが後日あっさりと解決した。成田行きの電車内でトランクを持った外国人旅行者に声をかけて、訪日外国人向けのプリペイドSIMカード、ドンキなんかで売ってるやつを譲ってもらうのだ。ほとんどが1週間もしくは2カ月も経つとチャージできなくなり使用不可になるが、銀行口座さえ開設できればことは足りるはず。もちろんネット銀行だと詰むが。
ただこれも、2回目の買い出し中にオラついた連中に捕まり、成田空港の第2ターミナルの駐車場内へ連れて行かれハイエースされそうになったので死ぬ気で逃げた。しばらく電車に乗るのが無理になった。というか今も電車が怖い。中国語が怖い。そしてやはり脱糞は強い。とっさに自分のパンツの中に手を突っ込み、漏らしたてのウンコを鷲掴みにして取り出したら全員固まったので、奇声をあげて両手を伸ばしたら目の前の二人が転んだ。これぞ「気功砲」である。
この時初めて知ったが、人は走りながらでもウンコは出せるということだ。勢いあまって全て放出してしまうと死んでしまうかもしれないと思ってちょっと我慢した。
とにかく逃げまくって目に付いた神社の境内で、手水舎の裏に隠れてコソコソとズボンを洗っていたら、通りがかった軽トラのお爺さんが寄ってきた。なんか言わなきゃ、気功砲を会得したはじめての地球人としてこの場での最適解を…
「あ、あ、こ、肥溜めに落ちまして」
「………乗れ」
* * *
気まずい。軽トラの助手席にフルチンで座ろうとすると、タマが鼠径部にめり込んでしまっており、大股開きでしか座れないのが非常に気まずい。まるで見せつけているようではないか。隠そうにも隠せない。玉ヒュンしすぎるとこうなるのか。
お爺さんはチラリと俺の股間を見ると、
「爆弾で吹っ飛ばされた遺体とか、そうなってたな。子供はそうなりやすい」
そ、そうなんですね……
「早く直さんと子種ができなくなるな」
「え」
「温めれば出てくる」
慌ててラッキョウのように縮み上がったチンコを握るも、ここはタマじゃない。というかチンコってこんなに縮むのか。ふしぎ発見。
「そこじゃないな。鼠径部にある精巣を引き上げる筋肉が
ジジイ、ガン見しとるがな。
「おっちゃん、医者なん?」
「いや、百姓だ。身内が大陸引き上げ港の検疫で働いてた」
「博多ですか」
「いや、仙崎。戦争終わったのにGHQのお達しでいつまで経っても帰れんでな、そうこうしてるうちに嫁さん死んでな」
「あ、あ、出た、あ、ああ」
「なんと」
どう見ても精子です。ありがとうございました。
これが死ぬ間際に本能的に子孫を残そうとってヤツ? 大惨事ですけど。
「窓あけて!…あ、いや、さ、触るな」
* * *
※ 1日2話づつ、6時と18時に公開予定です。
初投稿でビビりなので、お手柔らかにお願いいたします。
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